#1 まつりのうらで「誰かが街の地図を剥がした」
誰かが、街の地図を剝がした。
区画だけがおぼろげに、体裁を保っている。
うぐいす色の線は幹道にあたるのだろうか。剥がしたというよりも、掻き毟ったような跡である。ずいぶん昔の傷。はたまた最近の傷。
この地図は何時間、何日間、風雨にさらされただろう。
どれだけの往来が、この地図を前にして発生しただろう。
どれほどの人が、この地図をたよりに目的地へたどり着いただろう。
__ぺたりと、地図が掲示板に貼られた瞬間を思い出す。
ぴかぴかの光沢紙、つやつやのラミネート。
ただ、貼られた瞬間に地図はその意味をなさず、現在における過去となる。
ゆえに、完成された状態では地図はそこに現れない。常に途上の抽象画。
同時に、街は風化する。
街を構成するステークホルダーたちはいれかわりたちかわり、がたがたと音を立てて右往左往する。
「それではだめだ」と言うひともいる。「それでいいのだ」と笑う人もいる。
街の地図を剥がしたのはどちら側の人間だろうか。
私のシャツの袖口がにじんだ。
さて、街の地図が表すものは、アンニュイか希望か?