私の中の2人の私
自分にはいくつかの自分がいる。
それは主に二人の私が存在している。
その2人を「スパルタちゃん」と「ベイビーちゃん」と勝手に命名した(バカバカしいように思えるが私は至って真面目である。)。
まず、「スパルタちゃん」
こちらは、私のスキルや情報処理、タスクを処理するキャパを把握し、客観的に私を見て問題点や解決策を模索してくれる存在となっている。
仕事や勉強、思考性や論理性を司るのがこの私である。
常に何事も公正に見て、バイアスや主観を一切排除して中立に判断し、ずるや甘えを許さないので「スパルタちゃん」と名付けた。
そして、「ベイビーちゃん」
こちらは主に心の感情を司っている。周囲に寄り添い、どうしたら相手が幸せになれるのか、自分は何が出来るのか、他者を起点に考えるのがこちらの私だ。
他人を陥れたり、悪いことが苦手で、自分ではない誰かのために動こうとする。誰かの悩み相談や、励ますことが得意で、誰よりもその人を考えて動けるのだが、自分自身に対しのの心のキャパが狭いので、責任や負担がのしかかると萎縮してしまう。
そして、私の少しだけ変なところは私自身も他者だと認識しているので、萎縮した私を見て無理しなくてもいいよと思ってしまうのである。
自分に対しても甘く、まだ心が成熟していないので「ベイビーちゃん」と名付けた。
このふたりが完璧に乖離して存在している日のが私の今の現状となっている。
この現状が今の私の目の前に迫った乗り越えなければならないハードルを作り出している。
その課題は
「ふたつの私の融和」である。
まず、この2つが別々に存在してることによって起きているいちばんの弊害が休めないということだ。
今の私には自分のスキルアップや夢のためにやらなければならない課題が山積みになっている。そして、そのための環境や設備は整っている。
あとは動くだけという状況になっているにも関わらず私はまだ走り出すほど労力を避けていない。
これはなぜかと言うと、私の中で他者を巻き込んで失敗したくないということと、自分に失望したくないという思いが強くあるのだ。
学生生活を通して挫折してきたことをふりかえってみるとそのどれもが私だけに降かかる問題だけだった。
例えば部活での結果、テストの成績、これによって不利益を被るのは自分自身だけだった。
でも社会に出ると違う。
自分の仕事は一人でやる物じゃない。誰かが必ず関わっており、下手をすると事業を潰してしまうかもしれない。
その責任を持てるほど自分に能力があるとまだ認識できないのだ。
そして、自分を信じ続けている自分に失望したくない。
何も出来ない自分、頑張って結果が出ない自分。
そんな自分を見たくないと思ってしまう。
これはまだ学生である私の完璧なる甘えであるとは認識している。
主にこの考え方をするのは私の「ベイビーちゃん」である。
環境や設備はあって、協力者も多数いる。
それなのに、そこに踏み入れる勇気がまだ出てないのだ。
甘い甘い考え方のせいで。
そうすると、例えば休日に1日全く何もやらずに休むとしよう。
そうなると私の「スパルタちゃん」がずっと責めてくるのである。
私の脳の処理の量がまだまだ空いているのに私自身が感情でやらないという選択肢をとる事が許せないのだ。
20パーセントのことをして頑張ったという「ベイビーちゃん」にあと80パーセント余ってることに「スパルタちゃん」がイライラしてしまうのだ。
なぜやらないの?頑張れないの?ここまでやれる状態なのにどうして動けないの?
そう思ってしまうと1日全く何も考えなくて、やらなければならないことをしない日が作れなくなってしまうのである。
何もしないと「スパルタちゃん」が責めるから、少しでもやれることはやらなければならないと。
「スパルタちゃん」が私の今の現状について平等に判断できるからこそ自分自身の甘えが許せなくて、「ベイビーちゃん」視点で頑張っていたとしてもそれは甘えだと思ってしまう。
そして、「ベイビーちゃん」が辛くなってしまっても、「スパルタちゃん」が箇条書した事実から辛くなるはずがないと思うので心と体が倒れてしまうことがないのだ。
常にギリギリのところで自分は耐えて頑張るということをせざるをえなくなってしまっている。
そうなるとただひたすらに負荷はかかりつづけてしまうのだ。
休みも必要なのに休めない。
これが私の今の一番の問題だと思っている。
そのためにもまず「スパルタちゃん」が「ベイビーちゃん」のキャパを受け入れてもらえるようにしなければならない。
どちらも私自身だから自分はできるならあなたもできると思ってしまう。
それが良くないと私の中で考えたのだ。
どちらも私だからこそ、自分との違いを受け入れなければならないと。
それに気づけた今、少しづつ自分の中で妥協点を探している。
このふたりが融合したらきっと私はもっと効率も、能力も上がるはずだと考えている。
正直、他者から見たらどんな多重人格者の話だと思う。
でもこの言語化に私自身はしっくり来ているのだ。
「スパルタちゃん」と「ベイビーちゃん」と外側である私自身。
全員の良いところだけを取って更に私を昇華させるようにしたい。