ゆでたまごの不思議
先日、体調不良になったとき、夫がゆでたまごを作ってくれた。
茹でたばかりの卵は温かく、白くツルリとしている。コロコロとした愛らしい形にしばらく見入ったあと、塩をつけてガブリとかじった。
固茹でだった。
口の中でプリプリとした白身と、モサモサとした黄身が混じり合う。その感触を舌で味わいながら、ああ、ゆでたまごだな、と思う。
私は卵が好きだ。
オムレツも目玉焼きもだし巻き玉子も大好きだ。サンドイッチを買おうと思ったとき、まず目がいくのは玉子サンドだし、インスタントラーメンを食べるときも、天津飯のように大きく焼いた玉子を麺の上に乗せてしまう。
私はこれまで、ありとあらゆる場面で卵を食べてきたわけだが、この日、夫が茹でてくれたゆでたまごを食べながら、ゆでたまごが一番滋養に良い食べ方のではないかと思った。
卵には栄養がある。
だからこそ、映画「ロッキー」ではシルベスター・スタローンが生卵を丸呑みするわけだし、時代劇では風邪をひいたら卵酒が出てきたりするわけだ。
卵の栄養価が長いこと、人間の信頼を得てきた証である。
生と火が入ったものとでは、栄養価は多少違うのかもしれないが、加熱された卵なら、オムレツでもゆでたまごでも、理屈の上では栄養価は変わらないはずだ。もし、そこに何か差があるとするならば、焼くときに使う油のカロリーくらいなものだろう。むしろ油の分、オムレツの方が栄養価は高いとも言える。
しかし、それを差し置いても、私はゆでたまごの方が滋養があるように思えてならないのだ。オムレツや目玉焼きよりも、殻ごと茹で上げたゆでたまごの方が、食べた瞬間から自分の血となり肉となるような感覚がある。
「同じ卵なのに、オムレツよりもゆでたまごの方が滋養があるような気がするのはなぜだろうね」
夫に言うと、
「丸いからだね。卵をそのまま、まるごと食べている気がするからだよ」
驚くほどの即答であった。
確かに、茹で卵は見るからに「まるごと」である。ジャガイモだって、潰してコロッケにしたものをかじるよりも、まるごと茹でて、湯気がもうもうと上がっているところを、ガブリとかじりついた方がエネルギッシュな気がする。
卵には有精卵と無精卵がある。
有精卵の方が美味しいと持て囃されているし、力をつけるために食べるなら、断然有精卵だろう。
頭ではそうわかっていても、パンとコーヒーと共に有精卵のオムレツを食べるより、無精卵のゆでたまごをガブリとやっつける方が、身の内から力がみなぎる気がする。
理屈をこえて、そう思わせてしまうところが、ゆでたまごの力強さでもあるのだろう。あの小さなひと玉に、秘めたるパワーがみっちり詰まっているのだ。
体力気力が落ち込みそうなときには、そんなゆでたまごの不思議なパワーにあやかって、卵を茹でてみるのもいいかもしれない。