電気あんか禁止令
気がつけばもう三月。
身が縮むような寒さも、ようやく底が見え、あとは気温も上がるばかりになりそうだ。
そのことに私は心底ホッとしている。
これでしばらくは、就寝時の足先の冷えに悩まされることはない。本当に助かる。ありがたい。
あれは確か、寒風吹きすさぶ、昨年末のことだった。
「なぁに、やってんだっ! このバカちんがぁ!」
夫がやおら起きてきて、開口一番、私を叱り飛ばした。
バカちんの元祖である武田鉄矢でも、起き抜けに、これほど軽妙な
「バカちん」
を発することなど、できないのではないだろうか。
一体、何が夫の導火線に火をつけたのか。その原因がわからず、私は大きな体を小さくして、夫の次の言葉を待った。
「また電気あんかのコンセントが入れっぱなしになってるんだよ! 何回言ったらわかるの! 電気がもったいないでしょお! このバカちんがぁ!」
この日、二度目の「バカちん」である。令和の世になって、当の武田鉄矢でも、これほど「バカちん」を連呼することはないだろう。
導火線の火元は、私が電気あんかのコンセントを抜き忘れたまま起床し、部屋で呑気にお茶を啜っていたことが原因であった。
しかもこれが初犯ではなく、私は電気あんかのコンセント抜き忘れ罪の常習犯だったのである。
冬の足元は本当に寒い。
夜、台所で家事仕事を済ませて戻ってくると、つま先はすっかり冷たくなって、布団に入ってもなかなか温まらない。両足を合わせて擦ったり、足でグーチョキパーをしたりしても、冷えが取れるまでに時間がかかる。
こうなったら想像力で温めようと、足の裏に大量の唐辛子をこすりつけるイメージングをしてみるが、口の中が辛くなったような気がするばかりで、足が温まる気配はない。
私は仕方なしに電気あんかを取り出し、コンセントを入れる。やはり、こちらのほうが、唐辛子をイメージするよりも断然あたたかい。しかし人というものは現金なもので、温かくなったら、足元のあんかが邪魔になり、寝ている間に蹴飛ばしてしまう。朝になると、私はすっかり電気あんかのことを忘れ、コンセントを抜き忘れ、このように夫に叱られるのである。
叱られると、私は従順な飼い犬のように、
「申し訳ございません」
の気配を全身からしおしおと放出することで、夫の許しを得ているのだが、この日、夫の機嫌はなかなか直らなかった。
「もうっ! この、おぽんちん!」
夫はそう言って、餌を両頬に蓄えたハムスターのように、ほっぺたを膨らませている。「おぽんちん」とは一体なんだろう。そんなことを考えていたら、夫が続けた。
「もうっ! 今日から電気あんか禁止だからね!」
こうして夫は、まだまだ冬もこれからという12月の朝に、電気あんか禁止令を発令したのである。
「電気あんかがないと、ちべたくて眠れないよぉ」
時代劇に出てくるような、ひもじい子供風の雰囲気を醸し出して、私が夫に懇願すると、
「昔、無印で買った小さな湯たんぽがあるでしょお! それ使いなさいよ!」
そう言われてしまった。
確かに湯たんぽはあるのだ。
でも、正直、お湯を沸かすのが面倒くさい。実際、湯たんぽの方がよく温まるし、快適には違いないのだが、台所を片付けて、さぁ、寝ようと思ったのに、また台所でガタガタするのは嫌なのである。更に体が冷えそうだし、せっかくの眠気も冷めてしまいそうだ。
「えぇ、でも、めんどくさいんだよぉ」
私が呟くと、夫は、
「おだまりっ!」
美川憲一の如く言い放ち、夫は電気あんか禁止令を取り下げることなく、歯を磨きに洗面所に向かってしまった。
武田鉄矢に美川憲一。
朝から、昭和歌謡満載のラインナップである。
ちなみに私は11月17日生まれ。正真正銘、さそり座の女だ。
そうしているうちに夜になり、電気あんかを使おうと思ったら、どこにも見当たらない。どうやら禁止令は本気だったらしく、夫に電気あんかを隠されてしまった。「ああ、旦那様なんてご無体な…」と小声で呟きながら、私は仕方なく立ち上がり、
「さぶいさぶい」
と言いながら、お湯を沸かし、湯たんぽに注いだ。夫の分もついでに注いで手渡したら、
「まぁ、ありがとう!」
晴れやかな顔をして、布団の中に湯たんぽを入れた。もしや、これが目的で電気あんかを隠したのだろうか。だとしたら、なかなかの策士である。
それにしても、電気あんかは一体どこにあるのだろう。
その場所は夫しか知らず、春になろうとしている今も、電気あんか禁止令は解除されていない。
関連記事
(2021年の9月にも、私はバカちんと言われていました。トホホ)