夢を掴んだその先に、気分障害というものがいた話〜気分障害と向き合った1年半〜
5000字あります。
時間のない方は、他の記事へ
行ったほうがいいです!
読んでくださる方
飽きたら他のところへ
最後まで読む予定の方
文がめちゃくちゃなので
そこは気にせずスルーしてください。
教員になって7年
休職1年半
気分障害と向き合って1年半
その想いを総括したものです。
noteというサイトに出会わなければ
わたしは、文章を書くということは絶対しなかった。だからこそ、このサイトに出会えてよかった。
また、読んでくださるファンの皆さんにも感謝申し上げます。
復帰したらまた、違う観点で記事を書くと思います
それもまた、お楽しみに‼️
それでは、本編スタート
夢を追いかけて
がむしゃらに勉学に励み
ボランティアに励んで
やっと掴んだ夢
ワクワクした気持ちで
スタートラインに立った
走り続けて わかったこと
大変だけど やりがいがある
それは幻術にかけられていただけ
自分の理想 目の前の現実
適応しないのが普通?
理想と現実のチャンネルを
合わせることでやっと通じ合う
初めて知った楽しさ
世界が未曾有の事態に
どう対策していいのか
検討を重ね、提出
戻されて、検討、再提出
労働時間が過労死ラインを超えた
その年。部長となり新しい生活の仕方について
テレビ放送を通じて話すことが多かった。
自分の命とみんなの命を守ることだよということを言い続けた。
密にならない、接触しないルールがある中で
楽しくできそうな遊びやアイデア募集します!って言いました。
これならできそう? こんなのできるかも!
準備は?色々悩むと思うんだ。
とにかく相談して!先生や友達に提案してみよう!やってみたいこと!
学校のみんなとクラスの先生、学年の先生、職員室にいる先生、用務員さんなど色んな人と心空先生は考えてやりたいって思っている。
ダメだって言われたことはできない。
いいよって言われたら全力でやろう!
終わった後、1日やり切ったような顔、よかっなぁ〜
まだ、朝だけど笑
少しずつ世界が動き始めて
できることはなんだろうと模索した。
大人が考えるより 子どもの方が柔軟だった。
子ども「ダメだと思うけど、こんなのどうかな?」
心空「先生方の会議で聞くから!」
子ども「怒られる可能性高いよ!」
心空「怒られてもこの案をもとに、他にヒントくれる先生いるかもよ!」
子ども「いたらいいなぁ〜 できたらたのしいね」
心空「君たちで考えたやりたいことっしょっ。聞いてみよう。試行錯誤してできるなら、やろ。責任は先生がとる。」
この頃から口癖がある。
素敵な作品を廊下に掲示したり
新聞を作って大きく貼ったり
クラスで模造紙にすごろくを作ったり
子どもたちの工夫でたくさん乗り切れた。
マスクで見えない中でも、目はキラキラしていた
心空せんせいのワガママや無理難題を
当時一緒にいた先生方のアドバイスなどを受けて様々なことが実現した。
支えたくださった先生方の心の広さに感謝したい。
軌道に乗ってきたところで
次の学校への異動通達。
最後、校長先生に言われたこと。
この学校では、
事情で2学年ずつしか回せず申し訳なかった。
部長としてコロナ対応や遊び方、子どもの活躍の場面作りありがとう。
と感謝された。
その際
0以下の状態からたくさんのことを教えていただいてとっても感謝の気持ちでいっぱいです。
やってごらん!って背中を押してもらって
どーした?って心の支えになってくれて
とても恵まれた職場でした!と言いました。
転勤先が180度違う雰囲気の職員室
しかし、異動した先は、壮絶なものだった。
授業は、しているがお客さん状態。
(自分の責任もある。)
共働きでしつけ等は、学校にお任せ。
提出書類の期限が過ぎるのは当たり前。
職員室で子どもの支援について解決策も出さず。
愚痴こぼし状態の会議。
「どうせ、やっても意味ない。」
「これは、学校のやる業務ではない。」
「学校は、何でも屋ではない。」など。
今まで、10年後子どもたちが生きていけるようなスキルを身につけさせたくて、あの手この手の準備や実践が真っ向から否定された。ような気がした。
こりゃ大変だ。
お忙しいご家庭が多くあり。
連絡がつかなかったり、文章で返すと誤解が生じて
お話しすることになったり。
授業のことや子どものことを相談したくても
あとでいい?
それ重要じゃないよ、ほっときな。
無視するのが1番。
と自分が傷つくような言葉ばかりで
相談できなくなりました。
しょがないね。と腹を括ってたつもりが。
休職前
絶対にしなければいけない仕事
と思っていたものがいくつかある。
1 ケンカが起きた際にそれぞれの家庭に連絡。
一年目の時から解決したはずのケンカに対して保護者から連絡があった。仲直りがうまく行っていなかったと保護者から厳しいことをたくさん言われて辛かった。
それが嫌だったから自分から連絡していた。
1日何軒も電話してた。
電話が鳴ると、怖かった。
自分なら名前が呼ばれると、なんだろう。と心臓がバクバクいって辛かった。
校内放送が鳴った瞬間もドキッとして辛かった〜。
トラウマですね。
2 気になる児童の家庭への連絡
不登校気味の子やクラスで心配だなあと思う子の家庭に週に一回くらい連絡を入れて、少しでも安心してもらおうとしていた。
3 教室掃除
毎日子どもが帰った後、黒板を綺麗にして
子どもたちの机の下など教室の掃き掃除をして
机を整頓して、20分。
4 算数の問題演習プリント
単元末のまとめ問題などで筆算がある時。
筆算を書くだけでも時間がかかる子用に
筆算だけ書いておいたプリントを手書きで作成していた。
5 学級便り
週に1回出すことで、クラスの状況や授業内容、子どもたちのいいところを伝えていた。
そうすることで、担任としての学級経営が伝わるかなと思っていた。
6 部長をやっていた時に文書チェック
前年踏襲ということが多い学校現場。しかし、前年踏襲とまでは、いかない状況がある部にいたので、毎回、上がってくる文書をチェックして打ち合わせたり、直していただいたりしていた。
3年目、4年目、6年目で部長だったためお願いするのが辛かった。
7 近隣の公園でのトラブル解決。
子どもが帰ってきてからいうことによって学校に連絡がくる。
8 ラインでのトラブル解決。
もはやこれは、放課後の出来事であり、携帯を渡しているのは、保護者なんだから学校に連絡してくる事項ではないと思う。
トラブルになるのが嫌なら持たせないか制限かけて。
9 ご家庭がある方のお仕事を代わりにする
お子さんが体調悪くなったからなど様々な理由でお仕事代わりにやりますよ〜って言ってました。
どんなに自分の仕事が早く終わっても、何かやることありますか?って聞いて仕事していた。
外面がよく
「やりますよ!」
なんて笑顔で言って。
重大事案になるのでは?と
ドキドキしながら毎日過ごして
先手を打って
ご機嫌伺って
ご機嫌とって
同僚の前で
保護者の前で
子どもの前で
一生懸命色々頑張る自分を演じて
できもしない先生を演じて
子どもに注意できないくらいホントはだらしないし、幼少期なんて勉強してもいない。問題児だった。
みんなが思ってるほど
できる人でもない。
仕事が早いわけでもない
子どもに好かれてるわけでもない
今考えると
自分じゃない他人を演じている毎日だったのかも。
自分らしく生きたい。
うつ病になった。
学習発表会前。休みました。そこからです。
理由は、一つ。
教職員とのコミュニケーションが
うまく取れなかった。
自分のやりたいことを主張すると、他の先生に潰される。あるいは他の学年の先生からコソッとこんなこと言われてたよとかいわれるやつ。
二つ。譲れないポイントがあり意見が対立。
そこまで子どもたちや保護者にすることない。
私たち教員は、何でも屋ではない
心空先生がやってしまうと
全ての先生がやるって思われるからやめてほしい。
と何度も言われ、怒られた。
病休期間
まず3ヶ月休ましょう!っていって。
本屋さんにいったり、通院したりしていた。
そして、ここにきてコロナに感染
100%私が原因。友達のライブを観に行ったため。
その当時外に出る回数も少なかったため、免疫力が下がっていたのでしょうと先生の判断。
なんでこんな目に合わなきゃ行けないんだ!
いろいろな人への恨みつらみがありました。
仕事に行けない悔しさが1番でした。
休職期間
最初は、ほぼ寝てた。
布団から起き上がることが難しかった。
起きても感情コントロールが難しく
まくらをボコボコ殴ってた。
隣で小さい頃からのお供。
リラックマがずーっと見てた🐻
そもそも、朝起きるのだって
昼夜逆転からスタート
眠れないことが辛くて
ただ時計の針が動いていくのが辛かったなぁ〜
マンガ読んでたら最終巻読み終えるくらいな日とかあった😅
マンガと音楽は、眠れない夜のお供だったな
少しずつ薬や体調が上向いてきて
何しよう。となったのが
手芸。
ビーズ楽しかった!
あとは、家の草取り。お花も植えた。
100均とかいってビーズ見るの楽しかったな。
あとはきめ込みパッチワーク。
これは、助かった。小さい作品から大きい作品までや8種類作りました。
そして、
note作成
短編小説を作ったり、エッセイ集作ったりしました。
やり切った感すごくありました。
8月以降、サボりがちで申し訳なかったのですが
多くの人に見てもらうことができて
ほんとに嬉しい限りです。
心空の記事を読んでくれたみなさん
心から感謝しています。
もちろんアイドルにも会いにいきました
この記事が2024年 年間ナンバーワン記事です👏
こういった家での活動やお外での活動が
できる日とできない日がありましたが
なんとか、自分の体調が戻ってきたと思います。
その休職中に思ったことをいくつかお話したいと思います。
当たり前なんかないんだぞ!
朝起きること できたら すごい
朝ごはん食べること できたら すごい
顔洗って、歯磨きして できたら すごい
洋服に着替えて 行ってきます できたら すごい
学校や職場で過ごす できたら すごい
お昼休み ご飯を食べることが できたら すごい
帰ってきて宿題や予習復習 できたら すごい
帰ってきて夜ご飯食べることが できたら すごい
夜マンガ読んだり、音楽聴いたり、ゲームしたり自分の好きなことをすることが できたら すごい
お風呂に入って、歯を磨いて、お布団へ。
寝ることが できたら すごい
当たり前のことに思えるけれど
この当たり前ができなくなる
未来想像できますか?
私は想像できませんでした。
経験してほんとに辛いって感じた。
だからこそ、何事もできて当たり前ではないって改めて感じた。
子どもたちにも強制することは、難しいと思う
特に、さまざまな家庭環境で育ち、一人一人の個性も強調される。
10年後、目の前の子どもが生きていけるスキルを身につけさせる手助けと見極めが必要だと思う
学力に限らず。
人生のゴール地点を見据えて考えていく必要があると思う。
体験してみないと
わからないことが多い。
憶測でしか言えないってことがわかった。
休むことも必要
逃げることも必要
寛容な世の中が必要
誰しも健常者ではない
誰でもできる、当たり前なんかない
それができるのは、半数の人だけ
できる人で頑張って。
余裕があるなら
落ちこぼれてる私たちも救って。
難しいと思うけど
障害があっても強く生きることができる証明は自分
優しいだけじゃ、ダメですか?
って思ってきたけど
優しすぎたら自分がやられてしまう。
この経験から
私はどんな状況でも受け入れる
心の広さが広がったがします。
そして、自分のできる範囲も少ない。
夢を追ってた学生から
教員になってがむしゃらだった自分
異動して驚いた雰囲気のギャップ
そして休職に。。。
1年間を通して感じたことを書いた。
いよいよ始まる復職リハビリ。
目指すものは、ただ一つ。
居場所=安全なところを作る 学校で。
窮屈な学校を根本から変えてやる。
自分が苦手なことやできないことを
隠さずにさらけ出せる場所。
自分を見守ってくれるところ。
いいことは褒めて
ダメなところは、一緒に直してくれる。
これが居場所なのではないだろうか。
ここは、自分の居場所だからといって
ワガママに振る舞ったり
私の全てを認めて、受け入れて!と
いうものではないと思う。
違う環境で育ったもの同士が
安全な場所を求めてきているから
簡単には、自分を曝け出さないだろうし
最初は、ハリネズミのようにチクチクしてるかもしれない。
でも、時間をかけていくと
互いのよさも悪さも出せる
個性を認め合える場所になっていけばいいなって思う。
誰でも、認めてもらいたいし
自分のことを褒めてほしい
そして、安心して生きていたい。
そのためには
互いの妥協点を探すこと。
そして、自分の目標は、
仕事を精査できる人
自分のプライベートも考えること
子どもたちとめいいっぱい楽しむこと
前向きな考えができる人になりたい
自分に自信をもてる人になりたい
自分の意見を言える人になりたい
何か言われてもすぐに切り替えられる人になりたい
余裕のある人になりたい
なりたい自分がいるけれど、多くを目指さず。
できることから、コツコツと。
不安と期待が入り混じる状況で
再び社会へ入ります。
唯一のお守りは、推しのチェキと新しいバッグ。
自己満足の5000文字の熱い想い。
もう戻らないぞという覚悟。
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