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パリで養子を考えるまで(2)

そろそろ子供でも・・・

付き合った期間も浅く、結婚とともにすぐにフランスに移住して生活が落ち着かなかった私たちは、すぐに子供を作るという気持ちはありませんでした。

こどもの話が出たのは、結婚して3年経つ頃で、私が33歳になる年。子供もいいかもなぁとようやく意識しだし、35歳までに第一子が欲しければ、そろそろ真剣に考えないといけないな、という気持ちもありました。

年上の友人の中には、思うように妊娠せず、苦労している人もみていたので、時間がかかるかもな、という予感があったのかもしれません。それでも、当時は、不妊治療の手を借りれば、2年もあれば生まれているだろうと思っていました。

産婦人科へ

半年経っても妊娠する気配はないので、産婦人科に予約を取り相談。ここまではなんとなく想定内。
生理周期や生活習慣、これまでに妊娠した・させたことはあるかなど夫婦揃っての問診に加え、私は卵巣に卵胞がどれくらい残っているのかを調べるAMH検査を、夫のほうも精液検査を受けました。
私自身は生理は毎月定期的に来ているし、他に体の不調を感じたこともなかったので、自分は健康体そのものと思っており、原因があるとすれば、体調を崩しやすい夫のほうではないかと思っていたくらいです。
2017年6月に受けたAMH検査の結果は、0.23ng/ml(再度8月に受けたものは0.19ng/ml)という非常に心細い結果でした。受診したラボの診断表には、2 - 10ng/mlが標準、0.5ng/ml以下は「残り僅か」という備考がありました。
その意味するところを自分なりに消化しようと、日本語のブログサイトや不妊治療の本などを読みあさり、私なりに理解したのは、その数値が妊娠率と直接関係するものではないものの、「残された時間が少ない」とは言えそうだったので、すぐに顕微体外受精を行うための専門医の紹介状をもらいました。

この期間が約半年。日本だと、1年経っても自然妊娠しなければ、タイミング療法、次は人工授精とステップアップしていくのが多い印象ですが、これを全部すっ飛ばしての顕微体外受精コース。フランスでこれがどれだけ一般的なスピードなのかはわからないけれど、日本に比べたらだいぶステップアップが早いなぁとびっくりしましたし、この時も、「早めに受診してよかった!これでひと安心」くらいにしか思っていませんでした。

顕微体外受精スタート

その後、不妊治療の専門医のもとで、他にも子宮卵管造影検査を行い、1-2回だけ人工受精を試み、2017年11月から顕微体外受精を始めました。
この体外受精のサイクルが毎月始まると、毎日決まった時間に注射でホルモン剤を投薬するために、外食はうまくやりくりしなくてはいけないし、ホルモン剤の量やタイミングを間違えないか神経をすり減らし、ホルモン剤で体重も増えたり、といったことがじんわりとストレスになります。
一週間を終えて気分良く外でディナーをしていて、ハッと気づいたら注射の時間!私だけ走ってうちに帰るなんてこともありましたし、注射を打ち間違えて、これで今月は無駄になったのかとガックリきたこともあります。
最初は自分で注射を打たないといけないことにもびっくりしましたが、女は強い!心配げな夫を横に、すぐに自分で打てるようになりました。ちなみに日本では、これを病院でするようなので通院は本当にストレスだろうなぁと思います。

2017年11月、1回目は当初5つの卵胞が確認できたもののホルモンがにうまく反応せず、断念。続く12月、2回目は私が排卵を促す注射のタイミングを間違えて失敗。
2018年1月、3回目はホルモン剤なしで臨むも、2つの卵胞は育たずに見送り。
2018年2月、4回目は2つの卵胞を確認できたものの、体外受精日まで排卵を抑止するホルモン剤がうまく効かず、採卵する日には排卵してしまっていました。
そして、2018年3月、5回目にしてようやく採卵に至り、3つの卵子を採卵し、そのうちのひとつが受精卵となり移植できました。
この「もしかして妊娠しているかもしれない」期間は、なんとなくふわふわした時間です。何となく運動は控えめになったり、何となくアルコールも飲まず、気分が落ち着かないわけです。
けれど、この初めての移植では、着床しませんでした。

気を取り直して、2018年5月に6回目のトライ。3つの卵胞が確認できていたのですが、いざ採卵してみると空砲でした。夏休みを経て、9月に7回目のトライをするも採卵には至らず。
何が辛いって、辛いところを夫に見せたくない、ということです。日本にいる母も、なんと声をかけたらいいかわからないと感じているのがわかってしまって、あまり話せません。惨めな気持ちでいっぱいです。
こうして2017年冬から1年ほどの間に8回のサイクルで採卵を試みたのですが、それがことごとくうまくいきません。8回トライしても採卵に辿り着いたのは2回、採取できた卵子は2-3個。受精卵になったのはひとつ。

改めて文字にしてみると、やはり悲しくなってしまうような数字です。動物としての私の生殖能力の低さを実感し、私の体はポンコツなんだなぁと思い知らされるような1年でした。
それでも、日本で不妊治療している人のブログなんかをみていると、日本には5年、10年と不妊治療している人がいる中で、私がまだ1年しか経っていません。なので「私もまだまだ頑張る」という気持ちでいっぱいでした。

戦力外通告

さて、夏休みを経て、9月、10月とまた採卵に至らなかった後、次の採卵に向けて担当医に予約を取りました。
まだまだやる気の私を前に、担当医からはとてもシビアな話を切り出されます。それは、「この年齢(当時33-34歳)で、この回数をこなしていれば普通なら妊娠に至っている。そうでないということは、今後この(顕微)体外受精を続けても、妊娠する可能性は限りなく低い」ということでした。
それは辛い現実でした。担当医はつづけます。
「母親になるには他にも方法はある。ドナーから卵子の提供を受け、体外受精を行えば、実際にあなたが妊娠をして、出産をする。旦那さんと話し合ってみたらいいですよ」

私たちは、この言葉を受け入れることに時間が必要でした。他の有名な先生に結果を携えてセカンド・オピニオンを取りにいき、また同じようなことを言われます。
ダメ押しに、3人目の先生にも意見を聞きますが、所見は変わらず、私たちは「私の卵子で妊娠する可能性は極めて低い」という現実を受け入れらざるを得ませんでした。

それと同時並行で、私は他の可能性に考えを巡らせはじめます。私とはDNAを共有しない、卵子ドナーを受けての体外受精、養子縁組をこの時にぼんやりと考え始めました。ただこの時にはまだ養子縁組はさらにハードルが高いと感じ具体的に話し合うことをありませんでした。

当時は、私が直感的に養子縁組もアリかなと感じる一方で、夫のほうはそこまで想像できないようでした。



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