やっと一条の灯りが見えた。
この一ヶ月、暗闇の中走り回っていた。
ひどい侮蔑や無関心に疲れ切っていた。
「許せない。それでも生き抜いてやる!」との思いだった。
猪突猛進しては壁にぶち当たり、軌道修正しても壁にぶち当たり、傷だらけで走っていた。
その中で気付いたことがあった。
儲け目的で適当に運営している株式会社。
心から心配してくれる支援者。
辛い状況の時こそ、他人の真意が分かる。
ぶち当たるたびに軌道修正して、話が通じない悪意がある人は法廷に持ち込み、地元で何十年も運営して信頼されている事業者に的を絞った。
一昔前は利用者が多すぎて予約も取れなかった事業者も会って話を聞いてくれるようになった。
利用者本人というより親に問題があり、利用料の不払いや常識が通じず居座られてしまうため、原則平日しか利用できないようにしていること。
表立ってはタブーだが、自閉症スペクトラム症候群(発達障がい、ADHD、LD、知的障がい)は遺伝性だ。
私も様々な親子に会ってきたが、毎日てんかん発作を起こし尿や便を垂れ流しても薬を飲ませない親、オムツを履かせない親、大怪我させても謝らない親、要介護度を低く申請する親、料理や洗濯ができず毎日牛丼やカツ丼を食べさせて糖尿病や腎不全を発症させても平気な親、子どもより親の方が問題だった。
昭和生まれの私たちは、第二次ベビーブームで小さな校舎に詰め込まれ、同じクラスに文字も読めない書けない友達が5人位いることが当たり前だった。
もちろん特殊学級は存在していたが、先天的な身体、知的障がいの子だけで、ほとんど申し込む親はいなかった。
当時の日本は高度成長期で、今まで閉鎖環境で暮らしてきた色々な人が東京や大阪等大都市に移住してきた。
うちの親もそうだ。
それぞれ家庭を持ち、子どもを産み育て、マイホームを持った。
だからこそ「ウチの子、三歳過ぎても歩けない」「五歳過ぎても話せない」とは口が裂けても言えなかったのではないだろうか?
ちんぷんかんぷんでも、ただ机に座っていなければブン殴られる環境で育った子。
そんな子が大人になったら、引きこもり、子どもへの虐待、異性への執着を引き起こすのは当然の帰着だろう。
世代を超え、どうにもならなくなった支援団体が、慈善だけでは運営できなくなった現在、我が家にとっては良いタイミングだった。
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