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伝える人の、つなぐ力
静寂に包まれた朝もやの参道を歩く。聞こえるのは、五十鈴川のせせらぎと足音のみ。時刻は午前6時。まだ薄暗い参道は、想像よりも神秘的だ。
「この五十鈴川にかかる宇治橋から内側は神聖な場所とされています」
2024年11月のある早朝、三重県伊勢市。伊勢神宮の内宮にある参道で、宿の主人が言う。確かに空気が変わった…ような気がしないでもない。きっと、わたしには信心が足りないのだろう。
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苦しい時の神頼み
その前日、2カ月前に体調を崩してからどこか気持ちの整理がつかないままでいたわたしは、週末に控えた会合に出席するため前乗りした名古屋で、ふと思いつく。
「お伊勢参りなるものをやってみようかな」
苦しい時の神頼みというやつである。
そんななか、偶然にも見つけたのが「参宮の宿 宿屋五十鈴」。伊勢神宮の外宮と内宮、両方をガイド付きで案内してくれる唯一の宿、という触れ込みにひかれ、えいやと予約を入れてしまった。
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知り尽くす宿主
宿の主人は、神社検定1級や、地元の伊勢商工会議所が主催する、お伊勢さん検定上級の資格を持つプロフェッショナル。なんだか、すごい人に出会ってしまった。
チェックイン前の午後3時、外宮での参拝からガイドは始まった。わたし以外に若い女性2人組とご夫婦が1組。全員にイヤホン式レシーバーが配られる。「これで離れていても説明が聞けますよ」。細やかな配慮がうれしい。
古殿地(こでんち)という場所に来た。前回の遷宮まで御殿が建っていた場所らしい。中央には心御柱(しんのみはしら)なる柱が収められているという小さな建物が見える。
「心御柱は古くから最も神聖なものとされてきました」。主人の声が静かに響く。2000年以上も続いているものの前では、わたしの悩みなんて取るに足らないものなのかもしれない。
「なぜ外宮は左側通行で、内宮は右側通行なのか、分かる方はいらっしゃいますか?」
主人は時折、参加者に問いかけながら、神宮の深い物語をひも解いていく。語り口は穏やか。時にユーモアを交え、親しい友人との散策のように会話が弾んでいく。
神話や歴史、建築様式から変遷まで、知識量は圧巻そのもの。なるほどとは思いつつ、ぽんこつな頭ではあまり理解できないのが残念だ。
川で心を洗う
翌朝の内宮参拝では、新たに夫婦1組が加わった。
五十鈴川の川べりにある御手洗場という場所で手を洗う。冷たい水が手のひらに触れる。心まで洗われていくようだ。いや、洗われてほしい。
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赤福本店はこの時間から開いている
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伊勢では1年間かけたままにするという
ガイドは外宮が約1時間半。内宮が約2時間とたっぷり。これだけ丁寧なガイドが、宿泊料金に含まれているというのが信じられない。わたしが泊まった時はシングル1泊5000円台だった。一般住宅を改装した質素な宿だが、「神宮の魅力を伝えたい」という主人の思いが伝わってくる。
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内宮内で解散後、おはらい町を歩いた。古い町並みをぶらぶらするのはやはり心地よい。赤福本店の小上がりで食べた餅の味も格別だった。最後に訪れた道開きの神様・猿田彦神社では、「この先どうしたらいいのでしょう」という思いを込め、すり切れるぐらい手を合わせた。
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宿に戻ると、布団の上に一通の封筒が置かれていた。開けてみると、朝もやの中で祈るわたしの姿。主人が撮ってくれていたのだ。写真を見ていると、じんわりと胸が熱くなった。
神宮には、一般の神社でよく見る説明板がほとんどない。1人でお参りしていたら、外観を眺めて通り過ぎていただろう。だからこそガイドの存在が重要になる。知識を得ての参拝は、ただ参拝するのとは全く違う体験をもたらす、と実感した。
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ガイドが照らす新しい景色
考えてみると、このようなガイドは、日本中にたくさんいる。
わたしが住む北海道の洞爺湖有珠山ジオパークには「火山マイスター」がいる。20~30年周期で噴火するといわれている有珠山を案内している。
実際に説明を聞くと、自然の力強さを実感せずにはいられない。マイスターは、火山を恐れるだけではなく、温泉や豊かな農作物をもたらす存在として紹介し、噴火の記憶を丁寧に伝えている。
美術館や博物館にも、同じことがいえる。ガイドの説明を聞くと、展示品の歴史的背景から作者の思いまで、鮮やかに浮かび上がってくるから不思議だ。
帰り際、心のモヤモヤが少し晴れているのに気がついた。主人の案内で日本の精神文化の深さに触れられたからだろうか。それとも、目の前の仕事に真摯に向き合う姿に心を揺さぶられたからだろうか。後者だろうな。
ガイドとは単なる説明ではない、人と人、人と地域をつなぐ大切な架け橋なのだ。訪れる人の心に何かを残していく。新しい知識だったり、深い感動だったり、時には前に進む勇気となったり。
その土地の物語に触れることで、きっと旅は違った色を帯びるはず。少なくとも、わたしにはそう感じた。
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