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「ある」と「ない」の間に生まれるもの

余白とすき間が教えてくれること

 わたしたちの生活には、「余白」と「すき間」という、似て非なる二つの空間が息づいているように感じます。

 余白は、意図的に作られた空間のこと。デザイナーが画面に残す白い部分だったり、建築家が建物に意識的に作る空間だったり。日々の生活でいえば、心にちょっとしたゆとりを持たせておく感覚に近いかもしれません。

 一方のすき間は、自然にできる空間のこと。誰かが計画して作ったわけではなく、偶然生まれた空白。そんなすき間から、思いがけない発見が生まれることがあるから不思議です。

 趣味のガーデニングに没頭する中で、今更ながら、二つの違いに気付きました。

 庭いじりを始めたばかりの頃、地域の先輩ガーデナーから「庭づくりで大切なのは、苗と苗の間に適度な間隔を空けること」と教わりました。

 草花の苗や低木を植え込む時、それぞれの成長を見越して、余裕を持たせて配置する。こうすることで、時間とともに、庭全体に調和と美しさが生まれるのだと。これはまさに、意識的に作る空間、つまり余白でした。

余裕を持たせた植栽の例 イコロの森
苫小牧 Tomakomai 20200607

 庭には思いがけない形で空間が生まれることがあります。環境が合わずに枯れてしまった苗の跡です。この"すき間"に、見覚えのないヤグルマギクが芽吹いたことがありました。こぼれ種が風で運ばれたのでしょう。庭に新たな表情を生み出してくれました。

 余白が作り出す計画的な美しさに対し、すき間からは予想外の発見や魅力が生まれる。この二つは、それぞれ異なる形で、生活に彩りを与えてくれているように思います。

 建築家の安藤忠雄さんは、意図的に余白の空間を作り出し、人々が集う場所を創造してきました。設計を手掛けた光の教会は、十字型に切り取った壁をデザインの中心に据えています。この余白から差し込む自然光が神聖で静ひつな雰囲気をもたらし、訪れる人に深い印象を与えます。

商店街の空き地を活用した花壇
岩見沢 Iwamizawa 20241024

 一方、都市研究者のジェイン・ジェイコブズさんは、都市計画において整備された公園や広場だけでなく、路地裏や人々の生活の中に自然に生まれる小さな空間こそが、町の魅力や活気を生み出すと考えました。

 わたしはこの考えを、自分なりに「すき間の価値」として捉えました。計画的ではない、意図せず生まれた空間が、人々の暮らしに新しい発想や文化をもたらすのだと思います。

 函館や小樽、室蘭といった北海道内でも古くから開けた町並みを歩いていると、路地と路地の間にある思いがけないすき間で、小さな盆栽を育てている住宅や、季節の花を植えている地域の人たちに出会うことがあります。

 これらは、町づくりを主導する自治体や専門家が考えたものではありません。そこに暮らす人々が自発的に作り出したものです。こういった予想外のすき間が、町に温かさや人間味を与えているように感じます。

港を見下ろす住宅とビルのはざまに植えられた花々
室蘭 Muroran 20220529

 この二つの違いを知ることは、案外、大切なことかもしれません。スケジュール帳に予定をぎっしり詰め込む前に、意識的に余白を作っておくこと。同時に、日々の生活の中で、ふと生まれたすき間をすぐに埋めようとせず、そこから生まれる可能性を大切にすること。

 余白とすき間は、わたしたちの生活に必要な空間を、それぞれ異なる形で与えてくれます。計画された美しさと、偶然の発見がもたらす喜び。二つの一見、相いれない空間が重なり合うところに、より豊かな生活のヒントが隠されているのかもしれません。


【参考文献・出典】
・安藤忠雄『建築を語る』(東京大学出版会、1999年)
・ジェイン・ジェイコブズ『[新版]アメリカ大都市の死と生』(山形浩生訳、鹿島出版会、2010年)

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はなふさふみ
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