喪失体験はカサブタぐらいまでにしておいた方が良い
クライシス・カウンセリングを学んだ時の先生のお言葉です。
この講座では、自分の喪失体験をグループメンバーにシェアするワークがありました。5~6人の、60歳前後ぐらいの方が多いグループです。話は親が亡くなった時の後悔、介護から逃げていたこと、親の老いに向き合えなかったことなどが挙がり、声に詰まる人や目頭を押さえる人が続出でした。
私はというと親は不具合を抱えながらも暮らしている一方、同級生を何人か亡くしています。転校してきた時から病気療養していた子はまだしも、小さな子供たちを遺して胃がんで亡くなった同級生の話はとてもできず、自分が「健康を損なった」という現在進行形の喪失体験を話しました。
最後の方で冒頭の話があり、友人の件はまだカサブタにもなっていないのかなと思いました。カサブタはできていてもすぐ剥がれそう、剥がれるとまだ下は癒えていないだろうな、そんな感じです。
ただ、今それを掘り返して癒そうとは思っていないようです。彼女のお通夜でしばらくぶりに会った友人が数年前に産業カウンセラーになりましたので、お互いがその気になった時に彼女の思い出話ができればと思います。
この講座で使ったのが、この絵本。くまの喪失体験について、森の仲間のようについ他人が「忘れなさい」などと意見を言いがちです。やまねこの寄り添い方、見守り方がお手本になりそうです。
湯本香樹実さんの作品は、他に『ポプラの秋』と『夏の庭』を読みました。『ポプラの秋』は映画の公開を知って、その前に小説を読んだのでした。子供の描写が子供らしくて微笑ましいです。
クライシス・カウンセリングは通常の傾聴とは一味違います。一味というか、逆とも言えます。だから危機の時に身体と脳で起きている状態を知ることが大切なのでしょう。
電話相談を始めて、だんだん慣れてきて担当できるクライアント企業が増えてくると、受けるラインの特徴によってはかなり重い話も受けるようになりました。希死念慮の強い人、精神疾患の人……自死遺族の話を受けた時は、このカウンセリングスタイルを思い出しました。
その方が今、喪失のプロセスのどこにいるのだろう、と見立てることも大事ですね。
今日は少し重い話になりましたが、世は3連休でもワタクシ出勤ですのでね。いや~、どうりで街が混んでいると思いましたわ。