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dharmazeroalpha
風が気持ちいい中で「疲れ」について考える
昨日は旅行帰りの家族が実家まで車で迎えに来てくれて、母と3人で外食しました。
この世で最も気を使わなくていい人たちと食事をしていたのに、なんだか疲れてしまって、帰りつくころにはグッタリしてしまい、早めに就寝。
午前の散歩をしながら昨夜の「疲れ」について自分なりに分析してみました。
母と私2人だとほとんど喋らない(そういう親子なんです)
家族と私2人でもそこまでしゃべらない、喋るとしても彼が話すのを私が聞いていることが多い(自分の考えをまとめるために人に話すとスッキリするタイプらしく、私が聞いてるのか聞いてないのかわかんないぐらいでちょうどいいらしい)
母と家族が揃うと2人はけっこう喋る。しかも気を使いあって喋ってる気がする。
↓
2人が気を使い合って喋ってるので潤滑剤として間に入りたいんだけど、大人数での会話が苦手(3人で既に多いと感じる)なのでうまく入れないで「疲れ」を感じるのかなぁ、と思いました。
休職中はほとんど家族としか会話することがないので、3人だけの会話でも以前より疲れるようになってしまったというのもあるかもしれない。
あと私は車移動が好きではないので疲れたのもあるかもしれません。
車だと荷物があるときなどはすごくラクなんだけど…
どうしてもこわい想像をしてしまって、車移動は常に「命掛け」な感じがします。自分が運転しないからかも。
電車だって徒歩だって、そう考えたら常に「命掛け」なのに、車だけすごくこわく感じるのは不思議。