自称でもHSP だと思えば生きやすくなるかと思って
ここ数年のHSP ブームには違和感を感じていた派ですが、ブームの初め頃にイルセ・サンの「鈍感な世界に生きる敏感な人たち」を読んで、私はもしかしたらHSPなのではないか、と思っていました。
信頼しているお友達にそのことを話したら「気にしすぎだよ」と一笑に付されたこともあり、忘れることにしていました。
数年経って、昨年仕事が原因で適応障害になり、1年経ってうつ病に変わってから、もう一度同じ本を読みました。
やっぱり当てはまるような気がする。
武田友紀さんの「繊細さん」シリーズも図書館で借りて読んでみました。(武田さんはポジティブに捉えるために「繊細さん」と名付けたとのことですが、むしろ「過敏さん」のほうがしっくりくる)
うん、やっぱり当てはまるような気がする。
チェックリストがけっこう誘導尋問的だったり、例えば「芸術などに【他人より】感動しやすい」とかって、他の人が自分より感動してないかどうかなんてわかんないじゃん、って疑問に思うところもあるのだけど。
「気にしすぎ」「過敏」と身近な人から言われることが多かったり、エアコンの風や街のにおいがすごく気になったり、他人の感情に振り回されやすかったりするのは(それが他の人と比べて過剰なのかはわからないとしても)事実なので、いっそ自分がHSPだと認めてしまえば生きやすくなるのかもしれない、と思ったのです。
というのがここ2週間ほどの私。
ところが、今現在のところ逆に生きづらくなってしまった、という感じ。
なぜかというと、今までは「こんな些細なこと気にしてはいけない、嫌がってはいけない」と封じていたことが「HSPだから気になったり嫌に思うのは仕方ない」に変わったことで、「あれも嫌、これも嫌」のイヤイヤ期状態になってしまったから。
読んだ本には「嫌なことは嫌だと自分で認める」のが生きやすくなるためのことはじめとして書かれていたので、このイヤイヤ期は過渡期なのかもしれないと思って頑張っています。
だけど、私がHSPであることは身近な人には内緒。というかイルセ・サン氏の著書にも、人に言うときには「私はHSPという気質だから」とはほとんど言わないと書いてありました。
「テレビの音が気になるから少し小さくしてもいい?」とか「エアコンの風が当たるから席を移動しない?」とか、「大きな音をたてるとビックリするから力任せにやらないで」とかは言ってもいいみたい。
まずは「これが嫌」と認めて、言える相手には上のような角の立ちにくい言葉で伝えるようにしています。
内向型HSP(自称)の初心者的考察でした。