「博士の愛した数式」は、暗闇に光る一筋の流れ星だった。 【夏の読書感想文 #33】
読み始めて1ページ目から、鼻の奥がツーンとして、グッと涙を押し込める。
日常を切り取った一場面一場面が、どうしてこんなにも温かいのだろう。
きっとそれは、「愛」に溢れた文章だから。
「愛」に満ちた、一冊だから。
「博士の愛した数式」
小川洋子
「友愛」でつながる、博士と「私」
220と284。
神の計らいを受けた、絆で結ばれた、「友愛数」。
220の約数の和は284。284の約数の和は220。友愛数だ。
なぜ冒頭からことさらに「愛」と連呼するかといえば、主人公である家政婦の「私」と、記憶が80分しかもたない天才数学者「博士」との出会いがこの「友愛数」から始まるからだ。
美しいと思わないかい?君の誕生日と、僕の手首に刻まれた数字が、これほど見事なチェーンでつながり合っているなんて。
「チェーン」でつながりあう、2つの数字。
220と、284。
「私」の「220」が、彼女の誕生日・2月20日から来ているのに対し、博士の「284」は「大学時代、超越数論に関する論文で学長賞を獲った時にもらった賞品」である腕時計に刻印されている番号だ。
博士を表す数字は、博士自身を表す数字ではなく、博士が「数学の論文で得た」腕時計の番号なのであった。
博士を構成するめちゃくちゃに大きいもの、「博士自身」「博士そのもの」みたいなものが、「数学」だということを象徴しているように思えてならなかった。
「私」と博士(そしてルート)との「友愛」は、「数字」「数学」という大いなる力のもとでこそ、育まれた。その事実が、数字の出自から示されているように思ったり。
そんなわけで、この2人の不思議な関係は、一見バラバラに思える数字たちの「友愛」からスタートすることとなる。
暗闇に光る一筋の流星、オイラーの等式
さて、数字の世界で戯れて、仲を深めての物語の中盤。
息子・ルートをめぐり、「私」と義姉とが口論する場面。博士は「いかん。子供をいじめては、いかん」と言って、数式を書いて残す。その数式を見た義姉は、「私」を責めるのをやめる。
このとき博士が書き残したのが、「オイラーの等式」だ。
オイラーは不自然極まりない概念を用い、一つの公式を編み出した。無関係にしか見えない数の間に、自然な結び付きを発見した。
πとiを掛け合わせた数でeを累乗し、1を足すと0になる。
私はもう一度博士のメモを見直した。果ての果てまで循環する数と、決して正体を見せない虚ろな数が、簡潔な軌跡を描き、一点に着地する。どこにも円は登場しないのに、予期せぬ宙からπがeの元に舞い下り、恥ずかしがり屋のiと握手をする。彼らは身を寄せ合い、じっと息をひそめているのだが、一人の人間が1つだけ足算をした途端、何の前触れもなく世界が転換する。すべてが0に抱き留められる。
オイラーの公式は暗闇に光る一筋の流星だった。暗黒の洞窟に刻まれた詩の一行だった。そこに込められた美しさに打たれながら、私はメモ用紙を定期入れに仕舞った。
この式も、説明も、さっぱりわからなかったゴリゴリ文系の私は、ぐぐっていくつかの解説サイトを読んだ。
……が、読んでもよくわからない……😇ありゃま😇伊達にゴリゴリの文系やってませんね!
最後の希望を託して開いたWikipedia。
ここに、なんと、「流星」が載っていた……!
見てくれ〜〜〜!!!
うおおおお!!!!すごい!!!!!!
動いてる!!!!!すごい!!!!!!
驚いた。比喩でなく、本当に流星だった。
「0」で、着地していた。すごい。
「円は登場しないのに、予期せぬ宙からπがeの元に舞い下り」ってこのことを言ってるのか!!!
それでね、加えてなんだけど。
最初、本文の中でこの数式を見た時は、「これは、それぞれが誰かを例えているのだろうか?とすれば、4人いないとおかしい?まさか、義姉?「1」ってなに?」って、頭を捻っていたのだが。
この「流星」を見た瞬間、あっ。って、気づいた。
「1」は、数字だ。
そりゃあ、そうだ。見りゃわかるわ。って話なんだけど。「1は、数字」なの。
eとiとπは、ルートと博士と「私」。⬆️
特に、「恥ずかしがり屋」な虚数iは博士かな?赤ん坊が不恰好に積み上げたつみきみたい、でもそこには秩序がある……と評されたeは、ルートかな?とかとか。
そこに、「1」という「数字」がぽんっと現れる。
「無関係にしか見えない数の間」、一見てんでバラバラで、接点なんてないように思われる「e」「i」「π」が、1という「数字」によって結ばれて、「すべてが0に抱き留められる」。
「1」は数字だ。
博士とルートと「私」を結ぶ、数字という絆だ。
そしてその軌跡は、「暗闇に光る一筋の流星」のように美しい弧を描くのだ。
その美しさが、ようやく、ちらっと見えた🤦🏻♀️
数字の世界は深くて広くて、私にはまだまだ真っ暗だけど、そのなかにきらりと光る「流星」が、確かに見えたのだった。
すごい。すごすぎる。
抱える頭が、1つじゃ足りない。
すごい。🤦🏻♀️🤦🏻♀️🤦🏻♀️
「博士の愛した数式」に詰まった友愛
本文中には、「博士の愛した数式」が「オイラーの等式」を指している的なことは書いていない。
けれど。ルートと、博士と、「私」。そして「数字」の調和を象徴しているかのようなこの「数式」が、「博士の愛した数式」であるとするならば……
それってめっっっっちゃイイよね?????
えっっっもいよね???????
友達もいない、頭の中の数字たちと遊んできた博士が、「80分しかもたない記憶」という壁を乗り越えて結んだ「友愛」。3人と「数字」が育んだ調和が、最も美しいと評される「オイラーの等式」によって表現されている。
ってことなんですか?!?!
教えて数学に詳しい人!!!!!(?)
最高!最高ですね?!?!?!
博士は、愛に満ちた、アイの人
博士に例えられているであろう「恥ずかしがり屋」な虚数iが「アイ」であるように、博士は「愛」に満ち満ちた人だ。
学生時代は教科書を見るだけで寒気がするくらい数学が苦手だった「私」。にもかかわらず、博士との関係性の中で、数字の世界に魅了されていく。それはなぜか。
数式を前にして彼が発する驚嘆のため息や、美を讃える言葉や、瞳の輝きは、それだけで意味深かった。
博士の、数字への飽くなき憧れと探究心、圧倒的な知識量に裏打ちされた教授、そして、その美しさへの深い深い「愛」。
その「愛」に、「私」も、ルートも、そして私たち読者も、魅了されて、引き込まれて、そうして、数字の美しさに出会うのだ。
私も瞳の輝きで、愛で、生徒を古文の沼に引きずり込みたいよぉ……それには、圧倒的な知識量が、圧倒的に足りないよおおおぉおお……学ぼう。学ばねば。(なんの話)
3人の絆と、完全数28と、それから江夏
物語は「完全数28」によって幕を閉じる。
「完全数28」。
それは、博士との友愛の中で数字に魅了された「私」が、自分で初めて「発見」した数式だ。
「私」が、「友愛数」が他にもないか探している最中に見つけた数式。28の約数のうち、28以外の全て足すと、28になる。それが、「完全数」。
28:14+7+4+2+1=28
そして、28とは、博士が大好きな「阪神タイガースの江夏」の背番号でもある。
「阪神タイガースの江夏」はたびたび物語に登場する、めちゃくちゃ重要な人物である。日常会話はもちろん、みんなで行った野球観戦にも、誕生会にも現れる。野球に詳しくなくても、読み終わるまでに必ず記憶するであろう野球選手、江夏。
3人の絆の代名詞、江夏。
博士と「私」、そしてルートとを結ぶ数字、「完全数28」。
3人をつなぐ数の世界、3人をつなぐ野球、3人をつなぐ思い出。それを象徴しているのが、「完全数28」だ。
物語は、友愛数に始まり、完全数に終わる。
バラバラな2つの数字からから「友愛」を発見し、数式という大きな世界で親交を深めた3人は、「完全数28」によって固く結ばれる。
それはまるで、28からはじまって28にたどりつく数式のように、美しい。
たくさんの愛が詰まった、優しい物語
私も同じ言葉を使って文を書いているはずなのに、そんなふうには、どうしたって思えない。それくらいに、まぁるくて、優しくて、温かい物語。
それはきっと、小川洋子さんが紡ぐのが、「愛」に溢れた文章だから。博士の、ルートの、「私」の、「愛」に満ちた、一冊だから。
私の涙腺がゆるっゆるで水道なせいもあるかもだけど、博士がめちゃくちゃにルートを可愛がって、彼のコンプレックスに「ルート」なんてキュートなニックネームをつけて、「賢い心が詰まっていそうだ」なんてなでなでしているだけで、なんかもう涙が出ます。ましてや、最後ルート22歳よ!?最後の日の話とか、泣くでしょこんなの😭
初めて読んだ時からすると、かなり読み方変わりましたね…「息子」を産んで、「息子」が私の中でリアルな存在になったからかもしれませんね…へへ……
まだ読んだことない!という方はもちろん、昔読んだことある〜と言う方も。きっと今読むと、見え方変わっていますぜ〜〜〜!
ぜひ、手に取ってみてくださいねッ。
余談というか、映画もいいぞ!という宣伝
「博士の愛した数式」と聞くと、なぜだか、毎回一番に思い浮かぶのは、博士のこの言葉だ。
「私」が、フライパンで豚肉を焼いている場面。
「何故そうやって、肉の位置をずらす必要があるのだろうか」
「フライパンの真ん中と端の方では、焼け具合が違いますからね。均一に焼くために、こうやって時々、場所を入れ替えるんです」
「なるほど。一番いい場所を独り占めしないよう、皆で譲り合う訳か」
どうしてこんな言葉が出てくるんだろう?なんでこんな優しい気持ちで物事をとられられるんだろう?
本当に素敵。優しさに包まれる。
それでね、私、なので、「博士の愛した数式」の映画も何回か見ているので、小説を読むときも自然と寺尾聰さん・深津絵里さんで再生されております。
この豚肉の場面も、映画のなかで、「私」のフライパンを覗き込む博士の映像がありありと思い浮かぶ。
それくらい、ぴったりハマり役。
いいっすよ。映画。ぜひに。
映画の公開が2006年と知って震えている者より。
---💌🕊---
実はこの記事🙋♀️
アヤコさんが「はなさんに読んでもらいたい本」「はなさんのテンションで愛を語ってほしいです!!」って、「博士の愛した数式」をあげてくださいまして……!
そのご縁で書きました🥺✨
「博士の愛した数式」、好きィ!しかし、最後に読んだのは、大学生のころだったような……?映画は、長男産んだあとの産褥期に見たような……?
教員に復帰して、息子を2人もった今の私は、この素敵な作品をどう読むようになっているのだろう?!
ドキドキワクワク!で、久々に手に取った次第でした!🏃♀️✨
アヤコさん!ありがとうございました!
まんまと泣きました!!!
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猪狩はな 💙@hana_so14
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