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2024年の1年をかけて、「私は薄っぺらい人間だ」と自覚できた

2024年になったときの私は、焦っていた。

フリーランス3年目。
具体的な目標がなかったのである。


「月商◯万円を目指す!」と、とにかく金額的な目標を達成すべく量をこなしていた2年目。設定した月商を達成したところから、なんだかずっとぼんやりしている自分がいた。

もちろん、目標を立てなくても頑張れる人もいると思う。でも、私は「具体的な目標」があるときに1番力が出せる……という経験則があった。わかりやすくいうと、「学校の定期テスト」が得意な人間なのである。ゴールがあり、それに向けて努力をして、自分が設定した目標値に達することが快感。だから、目標はお金じゃなくてもいいけれど、駆け出しの私には「月商」が1番わかりやすいにんじんになっていた。

でも、ここからさらに金額を目標にするには、今までと同じでは難しい。時間が限られている中で、一人で手を動かして記事を書いていても頭打ちになる。

2024年の目標、フリーランス3年目の目標、どうしよう?

同じように月商(あるいは年商)にゴールを置く?
順当にいくと、次は法人化……?

「法人化したい!」だとか「社長になりたい!」だとか、そういう言葉はすごく「わかりやすい」。個人事業主がつぎに立てる目標としては、まぁ、アリなのかもしれない。

でも、まわりの起業家の方と話していると、視座が私と全然違う。なんにもないことが暴かれるたび、自分が恥ずかしくなる。

私はあまりにも薄っぺらい。


でも、思えばそんなことばかりだ。

本を出したい!とずっと言っているけど、どんな本が出したいか?はずっとぼんやりしている。

「ライターなんて……」とバカにされても、「フリーランス?旦那さんの稼ぎで暮らせるのいいね、自由にのんびりしてるのね」と言われても、なにも言い返せなくて、どこか自信がない。

このままでいいのかなって、いつも心のどこかでぼんやりとモヤモヤしていた。

そんななか、2024年の私にとって「そっか!」となるポイントが2回ほどあった。

①「コーヒーショップのマスター」という生き方

近所にDIYで作り上げた空間でコーヒーが飲めるカフェができた、と知ったところがスタートだった。

なんでこの人は、この世界にはたくさんなものがある中で、カフェを開こうって思ったんだろう。コーヒーを売ろうって思ったんだろう。「コーヒーのことが好き」という気持ちがこれからずっと続くと、どうして信じられるんだろう。

それに比べてわたしは……

と、悩んでいたら

「カフェ」に相当するのは、ライターにとっては「ライティング」「書くこと」なんじゃね???

という指摘を受けて、びびっ!ときた。

わたしは「書くこと」を選んだんだ。

ということが、はっきりと感じられた。

じゃあ、もっと私は覚悟をもたなくてはいけない「書く」ことに、もっともっと、真剣にならないといけない。

でも、本当にそれでいいんだろうか。

「ライター?ww」と馬鹿にされることもあるし、
書くことに絞ったら、ずっと手を動かしていないといけないのではないか?とちょっと不安にもなるし、
周りを見ると、ライターからスタートしつつも、そこから別のことに世界を広げている方もたくさんいるし

「覚悟を決めることが怖い」こともあり、「でも」をたくさん集めながらも、それでも進むしかないのでは〜と横断歩道をウロウロ。

恐る恐る一歩を踏み出したとき、2つ目のブレイクスルーポイントが待っていた。

②さとゆみ朝集中講義に参加

私がハッとさせられたのは、さとゆみさんのライター講座だった。

講座の中で私が一番心が動いたのは、嬉しかったのは、「書いて生きていくことを肯定してもらえたこと」だった。

在宅ワークならなんでもよかったわけじゃない。
お金を稼げるならなんでもいいわけじゃない。

書くことで生きていきたいっていうことを、言語化してもらえて、認めてもらえて、それにはこういう方法がありますよと提示してもらえた、そんな気持ちになったのだ。

書いて生きていっていいんだ。
書いて生きていきたいんだ。
覚悟を決めるしかもう、ないのだ。

そういうことが、この1日で全部すとんと落ちた。

先日届いた、さとゆみさんのZINE。

こちらにも、同じようなことをお悩みとして書いていた。私のグルグルを解きほぐしてくれる手描き文字が、消えてしまったエッセイに挟まれて、そこにあった。

馬鹿だったなぁ。と、思った。

無駄だったとは思わない。
全部必要だったと思う。

けど、振り返ってみたときに、「私はなんにもわかってなかったんだ」ということがはっきりとわかってしまって、もうそれは「馬鹿だったなぁ」としか言いようがない。

薄っぺらい人間なのは「わかっていた」。

けど、それは脳みそで「つまりこういうことなんだから、私って薄っぺらい人間で、これじゃだめよ」って言ってる「わかっていた」だ。

今なら私は、「おばかさん」のてっぺんからつま先をなぞれると思う。

山ほど勉強して、一文一文を磨き上げて世に出す人たちがこんなにたくさんいるのに、なにをクソ生意気なことを考えているんだろうか。こんな人間に文章を教わりたい人が果たしているだろうか。読みたい、お金を出したい、と思う人が果たしているだろうか。

いねぇんだよなぁ〜

もっとたくさんの文章に触れて、
もっとたくさんの人と話して、
もっとたくさんの文章を書かなくてはいけない。

もっともっと、「わたしはおばかさんである」と知らなければならないと思う。やっとなぞれた輪郭のなか、自分の愚かさを、手触りをもって知らなければならない。

書けば書くほど、きっとこの気持ちは強くなっていく。どんなコンテンツ沼よりも、文章の沼は深いのだろう。少なくても私にとっては。

このことに気づけたぶんだけ、私はすこし成長できたような気がするし、

こうして自分の未熟さに気づくことができたのは、たくさん行動して、たくさんアウトプットして、たくさん挑戦したからだ、きっと。そんな自負もある。

焦らなくたって大丈夫。

2025年、ゆっくり、でもたしかに、たくさんのものを吸収できる年にしよう。

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猪狩はな|教育ライター
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