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河原の石ころたちを愛でたくなって

30歳を目前に控えた冬。すこし時間ができたわたしは編み物をはじめた。

編み方の手順をよく読み、解説のイラストと手元の糸・針を見比べ、指示通りに動かしていく。無心になって手を動かすうち、目の前にそれっぽい糸の連なりが形作られていく。手元には、編み物っぽいことになっているなにかがあっという間に出現した。
文章を理解してイラストをよくみて、その通りにやってみるだけで、遠いところまでこられる編み物の世界。夢中になって、手袋、靴下、スヌード、セーターと次々に挑戦した。いまは、4つめのスヌードをいよいよ編み終えるぞ、というところ。

編み物をはじめてから、本屋に行くたび立ち寄る定番の棚に手芸の棚が加わった。
棚の前でさまざまなデザインの編み物本をパラパラめくるだけでたのしい。
その中でも特別にめくるのがたのしいけれど、ちょっとなんだか素敵すぎていつも購入まで至れない……というのが、三國万里子さんの本だった。
作品そのものはもちろん、誌面デザインや本の佇まいなど、あらゆる点においてあんまりに素敵で、わたしにとっては星付きレストランのような存在だった。本をひらいてはこころの中で「ヒャア〜〜」と頬を赤らめ、再びこころの中で「ありがとうございました!」と粛々とお辞儀をして閉じ、棚をあとにする。そんな存在の三國さんがエッセイを出版されたと聞いた。き、き、きになる……!さっそく本屋に足を運ぶ。いつもの手芸コーナーに、かわいい表紙のつやつやの新刊が平積みにされていた。

「編めば編むほどわたしはわたしになっていった」


ああああああ、似た匂いを、空気を感じる…なんていいタイトルなの…書籍裏面の帯に書いてある文章も概ね自分の人生のようで、これは……!いい予感だけを抱きしめてレジに持っていった。

帰宅して、あらためて装丁を眺めて気づく。推薦文が谷川俊太郎と吉本ばなな……いい予感に判子が捺された。もうこれは間違いないやつだ…!
昂る気持ちとともにページをめくる。

「『書く』ことは『編む』ことと似ている」


裏面の帯にあるこの言葉、本を手にしたときから勝手に共感していたのだけれど、読み進めていくと心から「そう、ですよ、ねえ……わかる……」という気持ちになる。共感しすぎて、ぽつりぽつりと言葉を発するのがやっと。
三國さんの文章を読んでいると、自分が文章を書くときの気持ちの高揚や心地よさに出会う。わたしは一読者なのに。
自分のなかにある大切な出来事を思い返し、自分の気持ちをなぞりながら文章を書いているときの気持ちよさ、ひとつひとつ文字にしていくうちしっかり長文になっていくある種の達成感。
そして各タイトルの最後の一文を読み終えると、文章を書き終えたときの気持ちよさに出会うのだった。

とってもすてきな作品を生み出し、本を出版し、すこし遠い世界にいる。憧れとも違うような、不思議な存在のひと。
けれど人生のおはなしを聞いてみると、なんて近い世界に生きているひとなのだろうと思えてしまう。
自分と同じように、どこか息苦しかったり、なんとなく馴染めないところがあったり、住み込みの仕事に挑戦してみたり。
そんな方がすてきな作品を編み出すことを生業としていたり、書くことを自分とおなじように楽しんでいる。それだけでなんだか救われるような気持ちになり、共感(という言葉では表しきれないほどの、もっと大きな、そういう類の感情)を覚え、よくわからないところで何度も感極まりぽろぽろ泣けてしまった。
子供のいる人生への不安や戸惑い、覚悟の決まらなさで凝り固まった肩には、いくつかあった息子さんとのお話がやさしく手を添えてくれた。どうしようもなく大切な存在をこの世界にひとつ増やすということの責任や恐怖ばかりが募る日々だけれど、もちろん言葉にしがたいくらいのよい感情にだってたくさん出会えるのだよね。

この人生をもう一度最初からやり直してくださいと言われたら、ぜったいにいやです、と真剣な顔で返す。
生きづらさをこじらせてばかり、30年生きてきたあたりでようやく楽になってきたようなところなのに。ここまでの長い長い道のりをもう一度なんて、気が遠くなる。
人それぞれにいろいろな大変さはあるでしょうけれども、わたしはわたしなりにとっても大変でした。と、最近そんなことばかりを思っていた。

けれど三國さんの人生のいろいろを読んで、細々とした「これまでの大変だったことたち」の孤独さのようなものがゆっくりあたたかく溶かされていった。そして、「不格好だけれど大切なできごとたち」に変化しつつある。
大変だったあれやこれやは、わたしだけのものではなかったし、長い人生の中に個性的に存在する大切なできごとのひとつだと記してくれるひとがいたから。
三國さんの文章を読むと、人生のさまざまな思い出が河原の石ころのように感じられるのだ。宝石のようなきらびやかさは決してないけれど、どこか愛らしい、有機的な形のそれら。ひとつ積み上げるにもいちいち手がかかるけれど、どの石もまあ悪くないか、と、積み上げてきた石山をみてようやく思える。この本にある29編は、その石ころの愛おしさを教えてくれる。

おそらくこれからもいろいろな石ころに出会って、その最中はいつもきっと気づかないけれど、振り返ればみんな個性的で憎めない石ころなんだろう。いや、振り返って文章にしたためてようやく、悪くない石ころだったなと思えるようになるのかもしれない。文章にしたためたくなるのは、おなじく個性的な石ころたちの話に触れたとき。まさにこの本のような。
自分が出会ってきた石ころの愛らしさを眺めたくなったとき、これからはいつでもこの本を開こうとおもう。お守りのような本がまた一冊増えた。

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