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【読書】「サピエンス全史」読み直し

2025年正月のお供に約6年前に読んだ「サピエンス全史」上下巻を読み直してみた。


2011年に発売、日本語版は2016年に出版されてベストセラーに。あのころの意識高いビジネスマンはこぞって読んでいたような覚えがある。


6年前の、刺激的な読書体験をもう一度

私は社会人1年目のころに一度目を読み、例に漏れず衝撃を受けた。
当たり前に思っていた世界はサピエンスのいとなみによって生み出された虚構であり、サピエンスたちはそれを信じてありもしない社会を構築したことにして生きている。
自分の持つ歴史観がひっくり返されるのはすごく刺激的な読書体験だった。

でも、その時の私は何も世界のことをわかってない年齢だったし、経験も何もなくて、あくまでも「刺激的な読書体験」として影響を受けた。

サピエンス全史の理論から影響を受けたあとに「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を突如読みたくなり、読んで、途中で読み疲れて辞めたというおぼろげな記憶だけが残っている。

ちなみに「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」は大学の社会学研究科のとき買い、一度読んでずーっと本棚に放置していたものを引っ張り出した。今もこの時のしおりが挟まったまま本棚の奥に眠っている。


読書体験を超える刺激的なリアルの世界

あれから、6年。

世界も進んだし、わたしも少しは見えている世界が広がった中で読むと、当時ほどの衝撃はなかった。

まあ、2回目ですので。


とはいえ6年前に読んだ本なので細かいところは覚えていないし、衝撃を受けただけで行動変容に繋がったわけでもなかった。
ただ「なるほど、そういうことなんだ!」という脳内イノベーションが起こっただけだった。

6年後の今は「確かにそうだよな」が増えた。

私はあの時より社会の脆弱さを知り、このまま進んだ先の未来へ危機感を覚えているし、
科学も宗教もある意味では同じものであると実感したからだと感じる。

この6年、インタビューを通して多様な人の生き方考え方を聞き続けた。スピリチュアルに目覚めた方もいれば、起業家もいれば、精神疾患を抱えた方もいた。

数ヶ月前に無名人インタビューのあとがきに、自然科学と神は同じなんじゃないか、ということを書いた。

“私は無名人インタビューに参加して初めて、神あるいは何か上位の存在を語る方々に出会い、神を信じる人も、自然科学を信じる人も、言語化されたものが異なるだけで本質的には同じなのかもしれないと思うようになりました。
例えば、「何かに導かれたから今があると思う」ことと「正解の選択があるわけではなく、選択してよかったと思えるように努力する」ことは同じもののように思っています。うーん、と言いつつも、なんだか自分でもよくわからなくなってきました。

インタビュー:海士町に導かれた人 あとがきより

そして、今は地方創生にも関わりながら、地域経済や地域社会の持続性を保ち、暮らしを守る難しさにも直面している。



刺激的な読書体験ではなく、現実的な恐怖体験

最近仕事で関わる人と将来のことを語ると、(会社経営者も政治家も活動家の方もすべて)資本主義や民主主義がこの先どう進むのか、という話に触れる。

もちろん私自身も変化してきたけれど、
この本が書かれてから10数年経過し、
「刺激的な読書体験だった」というどこか他人事な感想を持てなくなるくらい世界が進んできているような気がする。


私は平均寿命であればあと50数年生きることになっている。最近、今の社会が連続していく前提で生きていくことが怖くなってきた。

今まで以上に、私たちが何を信じ、何をするのかしないのか、ひとつひとつの選択を考えないと、普通に生きることすらできなくなってしまうのではないか?
刺激的な読書体験、なんていう悠長なことは言っていられず、現実的な恐怖体験になってしまった。

だからこそ、社会の仕組みを変えられる(可能性はゼロではない)動きをひとつひとつ積み重ねていくしかない。

サピエンスはいつだって、刺激的な現実世界に漕ぎ出すしかないのだから。

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