麻薬
ぼくはしょっちゅう手をぱたぱたさせたり、繰り返し変な叫び声をあげたり、口にふくんだ水をぺっと吐きだしたりする。
こういう行動を自己刺激行動、もしくは「スティム」という。
スティムはぼくの頭にとつぜん飛びこんでくる。そうなると、手をぱたぱたしたり、変な声を出したり、水を吐きだしたりしたくてたまらない仕様ドウにかられる。
眠気や空腹に逆らえないような感じ、といえばわかってもらえるだろうか。
スティムをするのはむずがっているからだと思われているようだけれど、まったくそんなことはない。
ぼくはスティムと友達のようにつきあっている。
スティムはいつもぼくと一緒だから。
つらい現実から逃げだしたいといつも思っているぼくを、スティムは別世界に連れだしてくれる。エネルギーの波が押し寄せるような、空想の世界だ。
銀色の光と、あふれ出る色。
空想の中で、数えきれないほどの色が、狂ったように踊りだす。
美しくてついうっとりと見とれてしまう。
でも、ときどき怖くもなる。たとえは悪いけれど、スティムは麻薬のようなものだ。
われを忘れられる、空に舞いあがるような心地。
イド・ケダー 著 入り江真佐子 訳
『自閉症のぼくが「ありがとう」を言えるまで』 飛鳥新社
しばらく前に買い置いていて、読まないままだった本。書き写していて、いままで読まずにいたのが悔やまれた。この記事を書き終えたら最後まで読もうと思う。
引用したのは本書の冒頭にある文章で、「ぼくが手をぱたぱたさせるわけ」というタイトルがついている。
引用文中で「スティム」と言われている常同行動は、重度自閉症の子を持つ親や、介護スタッフにとって、終わりの見えない課題のひとつである。
「Autism Stimming」等でgoogle検索をすると、自閉症の子どもたちがスティムする様子を撮影した動画などを見つけることができる。
私の息子も、著者と同じ重度の知的障害を伴う自閉症者であるけれども、ほぼ常に何らかの常同行動に囚われている。
もっとも、「囚われている」などというのは、「スティム」の効能と恩恵を経験したことのない側の言い分でしかないのだろうけれども。
最近の息子の「スティム」を思い出して箇条書きにしてみる。
・つばを吐くふりをする。
・自分の頭を平手でたたく。
・短い奇声や同じ言葉を繰り返す。
・水道を頻繁に出したり止めたりする。
母親の私も、息子の介護に携わっている方々も、こうした行動を持て余してしまうことがあり、なんとかして穏やかにやめさせようと努力しつづけているけれども、努力が実ったことはほとんどない。
息子もおそらくは止めるべきだと思っているのだろう。
幼いころは本当につばを噴射していたけれど、近頃では、噴射するマネだけで、実際に液体が飛んでくることはあまりない。同じ言葉を何十回も繰り返したあと、自分で、
「同じことをなんかいもいわない」
と、自分に言い聞かせるように言ったりもする。
水道にこだわるときは、そういう自制が効かない、ギリギリの状態のことが多いように思う。ひどいパニックを起こしそうなのを、水の流れる音や感触で、なんとか抑えようとしている様子がうかがえるので、強くは静止せずに、気がまぎれるように工夫をしたりして、おさまるのを待つことにしている。
イド・ケダー氏のように、息子も「スティム」の麻薬的な効果によって、別世界に自分を逃がしているのだろうか。
いつか、息子自身に話してもらいたいと願っているけれど、かなう日がくるのかどうかは、私にはわからない。
本のカバーにある、著者の略歴を書き写しておく。
1996年アメリカ・カリフォルニア州生まれ。作家。会話のできない重度の自閉症者。
2歳8か月で重度自閉症と診断され、3歳より行動療法にとりくむ。しかし改善せず、深刻な知的障害があるともいわれた。ところが7際の誕生日に、自分の意思で字が書けることを、母親が偶然発見。その後、ラビッド・プロウプティングの提唱者ソマ・ムコパディヤイの指導により、文字盤による意思疎通法を学ぶ。これによって高い知性、言語能力、感性を持った少年であることが明らかになった。原書刊行後の2015年、普通科高校を好成績で卒業。現在は大学進学を準備しつつ、シンポジウムや講演など、自閉症についての啓蒙活動にとりくんでいる。
ことばなき魔法の子らの理(ことわり)の先にあるのはやさしい異界