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「自信ってどうやってつけたらいいの?」豊かな自信をつける方法。
「自分最高」と思えると
物事は上手くいきやすい。
以前あるクライアントさんに、「藤本さんがカウンセラー業1本だけで何年もやってこれた秘訣って何ですか?」と聞かれたことがあります。
そのときは、「差別化をはかってきたから」とか「誰よりも文章書いてきた」とか、それっぽい答えを話したと思います。
でも、自分で言っておきながら実はあんまりピンと来てなかったんですよ。
その後、僕が信頼しているスピリチュアリストの方から、次のようなことを言われたんですね。
「“自分最高!”“自分ならいける!”という状態って最強で。
藤本さんはそれがあるからずっとブレてないんですよね」
この言葉を言われたとき、「俺がこの仕事だけで何年もやってこれたのはこれかあ」と腑に落ちました。
実は僕には毎日思ってることがあって、それが何かと言うと「俺やっぱ最高やな」なんですよね。
酷いときになると1日何十回思ってるときとかあるし、どんなに劣等感やコンプレックスがあったときでも、自分をほめたくなるような場面に出くわすと、「俺やっぱ最高やな」と思ってました。
この仕事に出会ってからはそれがもっと顕著になって、自分最高と思わない日はなかったかもしれません。
「自分最高」と思っていても
口に出さない方が無難。
僕はこの仕事で独立する前、背水の陣状態で取り組んでいたことがあります。
【そのときの様子を書いたブログ】
そのブログを読んだ方からはよく、「失敗が怖くなかったんですか?」「諦めたくなるときはなかったんですか?」と聞かれることがありました。
多少はあったのかもしれないけど、そのときの前提は「俺ならいけるやろ」だったし、記事を一本書くごとに「今日もやっぱ俺最高やな」だったんですよね。
何か良いアイデアを思いついたときは、「俺やから思いついたんやな」です。
そんな調子で今までずっとやってきたもんだからそんな日常が当たり前すぎて、カウンセラーとしてやってこれた秘訣を、誰かに聞かれたり言われたりしないと分からないレベルになってました。
ただ、こういうことを書くと、藤本シゲユキは傲慢で謙虚さのかけらもない人間のように見えてしまうのですが、実際の僕は「俺最高」なんて口に出して言わないし、できるだけ謙虚さを心がけているつもりです。
それは建前上そうしているというよりか、そうしたいからそうしているだけであり、「俺最高」って思う度に口に出してたら、ただの変な人です。
「私可愛いし」って自分で言う女性を嫌う人がいるように、自画自賛する人のことが理解できないという人は少なからずいますから、個人的には口に出して言わない方がいいなと思っています。
でもそれは僕個人がそうしているだけであって、口に出して自画自賛したい人はどんどんしていいと思います。
自信がある=実力がある
ではない。
「おいおい今回の記事は藤本の自慢かよ」と思った方がいらっしゃるかもしれませんが、決してそういうわけではありません。
今回の記事で何が言いたいのかと言うと、「自信がある=実力がある」ではないということです。
つまり、実力がなくても自信がある人はめちゃめちゃあるんですよね。
僕が駆け出しの頃とか、全然今ほど文章を書けなかったのに「自分最高」と思えていたのが、分かりやすい例かと思います。
自分に自信が持てない多くの人は、ちゃんと実力が伴ってくれば、成功体験を沢山積み重ねれば、自動的に自信がつくのではないか?と思っています。
しかし、どれだけ実力があっても、成功体験を沢山積み重ねても、自信がない人は自信がないままです。
これは、とんでもなく整った容姿をしているのに、まるで自分に自信を持てない女の子を想像していただければ分かりやすいかと思います。
自信がないってどういう状態なのかと言うと、「自己否定が入っている状態」なんですよ。
たとえば難しい仕事をやり終えたとき。
自信がある人は、「俺はよくやったな」「これは私だから出来たんだな」というように自分をほめます。
しかし自信がない人は、「もっとやってる人はやってるし」「上には上がいるし」と思って、自分を肯定しないんですよ。
誰かからほめられたときも同じで、自信がある人はどんなほめ言葉でも、基本は素直に受け取ります。
逆に自信がない人は、「まだできていない部分」や「ほめてもらっても嬉しくないところ」をほめられると、その言葉を受け取ることができません。
つまり、受け取れるほめ言葉の範囲が狭いので、それ以外のほめ言葉が響かないんですね。
しかも自信のなさを努力で埋めようと一生懸命頑張るから、終わりがないし、疲れてしまいやすいのです。
なぜこのような現象が起きるのかと言うと、価値基準が「他者目線」だからなんです。
なので、自分より上の人と比べてしまうし、自己否定が入っているから前提が、「こんなぐらいじゃ認めてもらえない」なんですよね。
「自信がある人」は
価値基準が「自分自身」である。
でも自信がある人は、価値基準が「自分自身」なんです。
「俺最高」「私最高」と思ってるのも、誰かと比べてそう思ってるわけじゃなくて、「あくまでも自分の中だけでの思い」なんですよ。
だから、上には上がいることなんて知ってるし、やってる人はもっとやってることも知ってます。
それを踏まえた上で、「自分最高」なんです。
でもこういう話をすると、次のように聞いてくる人がいます。
「じゃあ自己評価が無駄に高くて、イキり倒してる傲慢な人も、自信があるから良いってことなの?」
たとえば、会社などの集団組織で、大して偉くないのに、調子に乗りまくって威張り散らしてるような人間のことですね。
これは自信があるうちには入りません。
こういう人は、お山の大将で調子に乗っているだけです。
実際、この人より上のランクの人間が現れたら、きっと自信喪失することでしょう。
なぜ自信喪失するのかと言うと、誰よりも自分の方が秀でていると勘違いしていて、「自分より上の人間がいるかもしれない」という当たり前の事実を視野に入れていないからです。
本当の自信とは、誰かと比べて根付くものではないし、自分の中だけにあるものなんですよね。
なので、自分よりすごい人を見ても卑屈になることなく、「俺(私)ももっと頑張ろう」で終わりです。
そして、そのすごい人に負けているところには目を向けず、「一生懸命頑張ってる自分最高」と思います。
そう思える人は、自信喪失することはなく、せいぜいちょっとした嫉妬をするぐらいではないでしょうか。
自信を持つために
必要なこととは?
では、そんな自信を持つためには何が必要かと言うと、「明確な自分の好き」を持っておくことです。
“明確な自分の好き”とはどういうものかと言うと、次のようになります。
・自分のこういうところが好き
・これをやってる自分が好き
・これをやってるのが好き
つまり、自己肯定できるものが「明確な自分の好き」です。
たとえば僕で言うと、文章とギターは明確な自分の好きです。
しかもこの2つは僕の人生で莫大な時間を費やしてきたものになる上に、そこそこの結果も残してるから、自分の財産でありプライドなんですよね。
文章とギターは、藤本シゲユキという人間を語る上で、強力な後ろ盾となっています。
【ギター動画はこちら】
何が言いたいかと言うと、自信を持つためには“後ろ盾”が必要なんです。
明確な自分の好きこそが、この“後ろ盾”なんですよね。
自信がある風に見えて、実は劣等感とコンプレックスの塊みたいな人っているじゃないですか。
こういう人は、そもそも自分の後ろ盾を信頼できてないので、だから本当の自信がついてないんです。
なぜ信頼できないかと言うと、後ろ盾のことをちゃんと愛してないからです。
自分の後ろ盾を愛せる人と
信頼できない人。
たとえば、自分のルックスに自信満々な人は、とにかく自分の顔が大好きです。
もし万全の状態じゃなかったとしても、そんな自分の顔もなんだか憎めなくて可愛いと思っています。
でも、自分のルックスを後ろ盾にしているけど信頼していない場合、どういう状態になるのか?
こういう人の場合、まず前提として、自分で自分のルックスをそこまで「可愛い・かっこいい」と思えていません。
しかし、周りからルックスをやたらとほめられるから、それで勘違いしたかと思えば、自分より顔面偏差値が高い人を基準にして自信をなくすこともあるから、後ろ盾をちゃんと愛せないんですね。
分かりやすく言うと、自分の子どもは他の家の子どもより賢いかもしれないけど、○○さんのところの息子にはどうしても勝てないから、手放しで喜ぶことができないみたいな感じです。
つまり、「他の家の子どもがどうであれ、あなたはあなたでいいのよ」という無償の愛を注げていない状態です。
これが、他者目線や他者との比較が入ってしまうと、本当の自信がつかない理由です。
なのであくまでも、「後ろ盾になることは自分目線と基準で愛すること」が大前提になるんですよね。
他の人がどう思うかとかは、どうだっていいのです。
あなたが自分の後ろ盾になるものを、ちゃんと愛せているかが重要なのです。
なぜ自信があると
結果が伴ってくるのか?
「それは分かったんだけど、あなたがカウンセラーとしてやってこれたのと、『自分最高』と思うことがどう関係あるの?」
このように思った方もいらっしゃるかもしれません。
では、自信がない場合、物事を進めるとどのような結果になると思いますか?
例外はあるかもしれませんが、ほぼ上手くいきません。
なぜなら物事を進めている間、「これで大丈夫かな?」「なんか良くない気がするな」という不安と懸念が付きまとっているからです。
さらに、「上手くいかなかったらどうしよう」という恐怖もセットで付いてきます。
すると、思い切りのなさが行動力にも出てしまい、それが自信のなさとして顕著に現れるんですよね。
この自信のなさは、文章を書く人なら文字に、作った物だったら商品に現れます。
売り込むのが自分自身の場合、自信がない人として周囲には映ります。
どれだけ虚勢を張っても、根本の自信のなさは透けて見えるのです。
しかし、物事を進めるときの前提が「俺最高・私最高」だったら、自信がある状態がすでにできています。
すると、「ねえ見て見て!これどうよ!」という力強さが謙虚に現れるんですよね。
それを見た人たちが、「なんか知らないけどすごそうだぞ」と思い、引き込まれるというわけです。
発信者の自信が
信者を作る。
話題に出すのも本当は嫌ですが、子宮系スピリチュアルのヤツらが売れてたのって、こういうことでもあるんですよ。
だって、ヤツらの言ってる理論はめちゃくちゃなのに、なぜ騙されてしまう信者がたくさんいたのか、不思議じゃないですか?
その理由に、騙される人が依存気質だったことは大いに関係はあるでしょう。
他の理由としては、発信者の「私最高」というエネルギーを、信者たちが文章や動画から感じ取っていたのも大きな理由の一つだと僕は思っています。
そこに発信者の詐欺師素質が加わると、信者から高額を騙し取れるというわけです。
日本人は世界的に見て自己肯定感が低い人が多いので、多くの人が自分に自信がほしいと思っています。
すると彼ら彼女らは、「俺最高・私最高」と思ってる人に遭遇すると、無意識のうちに“自信の恩恵にあやかりたい”と考えます。
これは良い悪いの話ではなく本能的なものであり、自分に自信がないという自覚症状があると、ほとんどの人がそのようになるんですよ。
過去に自信がなかったときの僕自身も、例に漏れずそうでした。
自信の恩恵にあやかりたいというのは、「この人のようになってみたい」というある種の憧れです。
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しかし、それを通り越して「この人に人生を変えてもらいたい」となると、依存になってしまうんですよ。
さらにそういう人たちの多くは、「すぐに結果が出そうな魔法」を追い求めています。
すると、子宮系スピリチュアルのヤツらのようなハイエナに、引っかかってしまうことがあるというわけです。
ろくでもない人間がモテるのも
理由がある。
ろくでもない人間なのに、異様にモテる人も同じ理屈です。
こういう人って、容姿の良し悪しは関係なくモテるのですが、その理由は「俺最高・私最高」が揺るぎない基盤としてあるからなんですよね。
なので人間性が最悪でも、周囲から嫌われていても、モテてしまうというわけです。
ただし、因果応報やカルマの法則に則り、自分のしたことは自分に返ってきます。
スピリチュアル観点から見てもマイナスの行いばかりしている人間は、きっちりそのエネルギーが自分に返ってくると言われています。
でも、その理論を抜きにしても単純にこういうことなんですよ。
悪いことしたらバレるし、その責任を取らないといけないときがいずれやってくるということです。
あと、誰かに足元をすくわれて失脚させられることもあります。
ネットがなかった時代は、悪事が明るみに出るスピードが遅かっただけで、現代は違います。
なので、企業に限らず個人でも悪評はすぐ広まるんですよね。
しかしこれは、有名人に限った話ではありません。
コミュニティの中で嫌われていたら、グループLINEで「あの人ヤバいよね」と言われているし、誰かの恨みを買ってしまったら、してきた悪事をさらされてしまう世の中です。
今がどれだけ上手くいっているように見えても、悪徳がずっと栄えることはないということです。
【参考動画】
どんなに大きな組織も同じです。
それは、オウム真理教やビッグモーターが証明しています。
つまり、「俺最高・私最高」という自信は、一時的な幸福を得ることはできるけど、道理に外れたことをやっていては、長続きしないんですね。
それが次にお話する「自信があると豊かさにつながる」というものになります。
自信をつけて
豊かになるための方法。
自信を本当の豊かさにつなげるためには、できるだけ「お天道様に顔向けできる自分」で在ることが必要です。
なぜそうしないといけないかと言うと、不義理や不誠実なことばかりしていたら、そのうち不信感を抱かれるようになり、人が離れていくからです。
本当の豊かさとは、お金をたくさん持っていることではありません。
「人に恵まれている」
「自分を信じてくれる人がいる」
「お金で買えない幸せを知っている」
などが、本当の豊かさなのです。
本当の豊かさを知らない人は、物質的幸福を目指そうとします。
つまり、お金を稼ぐ、良い家に住む、ブランド品を買うなど、物質の取得が価値基準になるんですね。
すると、より多くの物質を手に入れるために、悪事に手を染める人間が出てくることもあるというわけです。
悪いことをすれば一瞬でそれが叶いますからね。
しかし、物質を手に入れて喜んでいるうちは、本当の豊かさに到達できていません。
物質が幸福の基準になると、それを失ったときに幸福度が一気に下がります。
でも、本当の豊かさを知っていれば、物質を失っても幸福度が急降下することはありません。
そもそも報いを受けるような生活をしていないので、目に見えて幸福度が下がるような目に遭わないというのもありますね。
そして人間は、お天道様に顔向けできる生活をしていると、「自分は何も悪いことしてない」という自信を得ることができます。
そうなんです。
本当の豊かさにつながるための自信とは、
「自分基準の後ろ盾」+「お天道様に顔向けできる自分」
の2つが必要ということなんです。
この2つを持ち続けている限り、人生はより良いものになっていきます。
本当の自信とは、闇雲に成功体験を積み重ねてもつくわけではありません。
そして、本当の豊かさはお金では買えないということも、どうかお忘れなく。
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