人新世の寺院立博物館経営 研究計画の草案

私たちは大きな宇宙の中にある地球に生きている。人類がこの地球と共に生きている限り、この地球史及びそのなかにある人類史の歩んでいる証が文化財といえる。この文化財を守るとは文化財保護によって未来の一切衆生の与楽抜苦になることである。ではその施設である博物館の展示とその経営理念とは何だろうか?現在私たちは「人新世」を生きている。この時代は大量生産大量生産消費、ゴミの大量製造の時代であり地球環境破壊とくに生物多様性の危機が騒がれている。私はクレット島における専門家ではない僧侶が経営する資料保存が杜撰な寺院立博物館経営及びその少数民族無形窯業文化保護を研究している。寺院立博物館の資料保存の問題はタイ全国にあると京都大学白石華子の先行研究で明らかになっている。クレット島も温暖化の洪水、民主化問題を伴う彼らを苦しめる杜撰な防災・都市計画が起きている。私は2018年に行った時、その寺院立博物館で1m平方程度の台座に乗ったレンガで作った窯の模型展示に作陶のパフォーマンスをする職人の粘土のゴミと吸い殻が積み込めれて壊れてしまっているのを目撃した。それ以外はただの土器のショーウィンドーケースの店のようであった。都市開発は近代化した都心民だけを助け郊外の彼らを苦しめている。毎年のように気候変動による過剰な雨季の降雨により床下浸水や軍隊によるダム放水が起きている。時には大洪水の時に窯が潰され彼等の伝承文化の存在が危ぶまれてきた。危ぶまれている中で、生き残るべく無理じして作った彼等の食器のいくつかは常にカビが生える製品ばかりである。私はこの問題に仏教を寺院立博物館の経営理念に活かせないかと考えている。

というのもタイは政教一致と言われるほど仏教国であり、教育福祉が仏教との結びつきが深く、僧侶が社会福祉を行うことがある。これらの施設の中に博物館も含まれると示唆する。島民はタイとミャンマーの先住民族モーンであり、「先住民の権利に関する国連宣言」の条例が適応可能である。この条例には彼等の宗教、工芸などの無形文化財が環境保全の資源になると明記されている。彼等は自然崇拝及び仏教を信仰している。さらに仏教は生物多様性を求める宗教であり寺院立博物館の強みを活かせる可能性がある

目的

実は産業革命によって生み出されたモダニズム期に柳宗悦は工芸の美と仏教思想の関係を出版した。柳宗悦『美の法門』は人新世を「末法」表現している部分が見受けられる。柳宗悦は美は他力によって生まれると信じてきた。この他力とは言うなれば大きな宇宙のハカライ、摂理である。柳宗悦がいう美とは自然と共に素朴に生きることであり、これを表象した手工芸「民藝」に形を見出してきた。
 
 

 近年「美」という感覚は脳の報酬快楽であると解明された。つまり美は生理現象であるならば自然現象である。人類は工芸を作る生物である限り心、自然、身体が調和した生活にこそ本当の美があり、これらは「大悲」と呼ばれる大きな宇宙の摂理によって成り立っている。私たちはワンヘルスな生き方もとめておりこの手段として美術、工芸、デザイン、博物館があるといえる。また南方熊楠は万物にある「モノとコト」との関係と接点を密教思想、仏教的宇宙観、唯識といったアビダルマに基づいて「熊楠曼荼羅」を描いて、未来の博物館展示を示唆した。

しかし異なる宗派や信仰を持つ人々がくる公共の場所では、同じ理念を共有することは困難かもしれない。けれども博物館のユニバーサルデザインの歴史を見ると宗教と関わってきた。ユニバーサルデザインのユニバーサルとはユニバース(宇宙)という語源であるため、宇宙の真理探求とその好奇心を体現する教育活動が現代まで展開されてきた。つまり展示資料の採取地に関する自然観・生命倫理、宗教は博物館の経営理念、経営倫理にかかせない。私は博物館経営理念とそれに基づく展示方法の関係に着目する。倫理規定に遵守し博物館経営には展示資料の背後ににある宗教、所有者の尊厳、生命の尊厳に敬意を払わないといけない。この延長には博物館館活動として環境保全の任務がある。
 またユニバースと関連した語源の意味を持つ単語として宗教リリージョンがある。このリリージョンは本来、世界の再結合を意味している。さらに宗教学では宗教とは人知を超えた超越的存在に対する畏怖、聖視性、究極性(真理探求性)の精神活動と定義されている。特に欧米の博物館の歴史は18世紀以前半ごろにおける脅威の部屋・陳列館から宗教的真理探求と宇宙の真理探求の活動から始まってきた。現在では美術館でもあるロスコチャペルが信教の自由を取り入れてその精神活動を引き継いできた。ロスコチャペルは現代に作られた教会であるが特定の宗教のための施設ではない。あまねく祈る人々の空間である。そこにはこの教会を作った画家のマークロスコが感じた内面にある宗教的真理に触れた感覚が抽象画で描かれており来館者はロスコの絵画を通して彼の宗教的真理体験を共有している。そしてこのチャペルの新設時には各世界宗教の司祭がそれぞれの宗教儀礼で祝福を行った。この空間は様々な信教の人々がロスコの空間美術に触れた宗教的真理体験を語り集い新しい価値観を育みその価値観で社会をうごかそうとする展示装置である。これは18世紀前半の陳列館で来館者同士が真理探求をしようと館内の展示資料で感じた宗教的真理の経験を声に話して共有するという当時の習慣と共通している。この装置は市民を含めたすべての存在を受け入れ包み込みひとつの関係性の宇宙をつくる。教育活動は真理を探究する好奇心の精神活動の場であり、自然史観、宇宙観の再生産活動であり、この活動に参加した人々が獲得した体験の共有活動による人類の壮大な世界生成の営みである。不特定多数の利益となり脱私事化しておりつまり公共の空間である博物館が政教一致に抵触せず、さまざまな人々のコモンスペースとなっている。しかし仏教の宗派が違う。上座部仏教のその博物館にすり合わせるためには、原始仏典や近現代のタイ人上人らの文献を読むなり、ご存命のタイ人高僧への取材が必要となり、1から探さなければならない。

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