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未来の生き方は限界集落に聞け

 宮城県石巻市の牡鹿半島に位置する蛤浜はまぐりはま。私はここで夫と暮らしながら「浜の暮らしのはまぐり堂」というカフェを営んでいる。

 蛤浜は住民わずか3世帯7人の小さな集落だ。住民構成は70代前後のご夫婦が2組、その下に夫を含めた40代が2人、そして30代半ばの私である。蛤浜を含むこの牡鹿半島部の浜々は3.11で大きな被害を受けた地域でもあり、震災後の人口流出は著しく、近隣の浜々でも高齢化は進む一方だ。
 
 だが美しい海と山とに囲まれたこの浜に生きる人々と関わりを深める中で、私は「果たして本当にこの地域は時とともに消えゆこうとしている"限界”集落なのだろうか?」と思うようになった。

 たとえば高齢の浜の先輩たちは30代の私などよりずっと体力があり、水深10m以上も素潜りして魚を突く70代の漁師さんもいれば、畑仕事が日課の元気な90代の先輩もいる。漁をし、畑を耕し、いつも自分たちで食べるものを生み出している。だからお金がなくても食べることに困らない。旬を日々味わい、食べものが余れば周りの人と分かち合って暮らしている。
 自給自足していてお金がいらない上に、先輩たちはなんと若い私たちよりも稼いでいる。旬の魚介を市場に出し、月の売り上げが私たちの月収の何倍にもなることも少なくない。
 「ここにいれば何があったって暮らしていけるんだど」と浜の先輩たちは笑う。その言葉が、浜の暮らしの豊かさと、浜の人たちの主体的な生き方のすべてを表している。

 対して都市の生活は便利で物も豊富だが、お金がないと食べてゆけない。自然と触れ合うにも体を鍛えるのにもお金がいる。サービスを受けることに慣れすぎて自分で暮らしをつくり出す術を忘れ、食べものを分け合い皆で共に暮らす安心感も失ってしまった。しかもこの便利な暮らしを続けるためには地球2個分の資源が必要だと言われている。

 最近では浜を訪れる都市の人たちや若者たちと話し合う機会も増えてきた。一緒に漁をして浜の豊かな食卓を囲むと、誰もが自分のこれまでの考え方を変えざるを得なくなるようだ。「待てよ、限界が来ているのは自分たちの方ではないか?」と。
 自分たちが暮らしの主導権を握る。手足と五感を使って食べるものを生み出し、分かち合い、創造的に生きる。浜の暮らしには、私たちが限界を迎えた消費一辺倒の暮らしから脱するための、未来の生き方のヒントが溢れている。

(執筆:はまぐり堂 亀山理子)

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