見出し画像

逢魔の子 風樹館の万年筆

 4月、桜が舞い始め、新しい出会いと暮らしが始まる季節。

 この時期の沖縄は、肌寒い日もあるが、それでも最低気温は20度を超え、最高気温は30度近くにもなる。日本一早い海開きが行われるのも、この時期だ。
 だが、そうは言ってもこの時期に海に入る沖縄県民ウチナーンチュは少ない。沖縄県民ウチナーンチュは冷たい海が大嫌いだから。

 安座真漆間あざまうるまはそんな沖縄で、大学2年生になっていた。

 あの日から、真鏡名神鈴まじきなみすずと出会い、共に公園の椅子に座る幽霊を鎮めた日から、もう5ヶ月が過ぎている。この間、漆間は神鈴から様々な霊現象を鎮め、怪異を祓った話を聞いていた。その地は琉球弧全体に及ぶ。

 これは、大学1年生の生活もあと僅かとなった2月、漆間と神鈴が再び怪現象と対峙した話である。


 サークル棟2階の廊下にカツカツと靴音が響く。早足に聞こえるそれは、琉球弧伝承研究室のドアの前で止まった、と思う間もなくドアが開く。

「安座真!安座真漆間はいるか!」

 ドアも開ききらない間に漆間を呼んだのは、真鏡名神鈴だ。漆間と彼女はこの数ヶ月間で、お互いの能力を嫌というほど認め合っていた。
 神鈴の能力、それは人外との交信能力。それも、霊や怪異の内にまで侵入し、直接その意思を理解し、また、意思を伝えることも出来る。その卓越した力によって、彼女は怪現象の根源を見いだし、これを祓い、そして穏やかに成仏させることを得意としている。

 彼女の霊気は穏やかに輝く緑色だ。

「はい、美鈴さん。います!」
「漆間!前に教えた石垣島の怪現象の話、覚えてるな?」
「はい、もちろん覚えてます。博物館の件ですよね、それが?」
「あれと同じ現象が起こってるようだ、ちょっと来い!部長!それと真美、この件はレポートするから、終わったらよろしく!」

「いいよ~」
「は~い」

 部室には部長の比嘉と奥間、新垣がいたが、神鈴は奥間の名を呼ばなかった。奥間が焦った声を上げる。

「あ!美鈴さん!オレも行っていいっすか!車とかオレ持ってるし、ね!」
「あ?ああ、そうだな、車か。じゃ、付いてきて」
「うぃっす!」

・ 
 サークル棟近くの駐車場に、神鈴は漆間と奥間を連れてきた。

「えっと、美鈴さん、ここで話すんですか?それとも、ここに怪異が?なんにも感じませんけど」
「ん?ああ、ここに奥間の車があるだろ?車で向かいながら話そうと思ってな。な?奥間」
「は、はいはい!オレの車、ここです!いや~うれしいなぁ。美鈴さん、オレが車を停めてるとこ知ってるなんて」
「いやいや、いっつも乗れ乗れってうるさいだろ。それに停めてるのはいつもここだ」

 奥間も“椅子に座る幽霊”の件で漆間と神鈴の力を目の当たりにし、以来、サークルに入り浸るようになった。特に神鈴に心酔したようで、何かあれば運転手役を買って出ている。奥間は神鈴より1年先輩だが、神鈴はそんな奥間に対して遠慮会釈なく物を言うようになっていた。
 逆に言えば、それが奥間に対する、神鈴の信頼とも言える。

「うん、学食とかで話すより車の中の方が良かったな。この方が遠慮無く話せる。奥間、ありがと」

 奥間の車に乗り込むと、神鈴が奥間に向かってそう言った。奥間は何も言わなかったが、その表情はこれ以上ないほど緩んでいる。

「ところで漆間、話というのはな・・」
「あの!美鈴さん!」

 話し始めた美鈴を遮って、漆間が声を上げた。

「あの、みんなが居るところで話しちゃ、ダメなんですか?それに、学食でもダメって、それじゃあ、なにか隠さなきゃならないみたいだし、理由があるんですか?」
「あ?ああ、漆間の疑問はもっともだな。率直に言う。この怪現象は、このキャンパス内で起こっているんだ、それも現在進行形で。だが学生たちはこの現象に気付いていないし、この除霊で気付かれる訳にもいかない。だから、学校に言われてるんだよ、秘密だとな。それに・・」

 神鈴は一呼吸置いて続ける。

「除霊と言ったが、これはある種の呪いだからな。気付かれれば学生たちに疑心暗鬼が広がるだろ?犯人は誰だ?って。模倣犯も出そうだしな」
「の、呪い、ですか」
「ああ。石垣島の話と同じと言っただろ?あれも、呪いだったんだよ」
「あの話は単なる霊障じゃなかった、と言うことですか・・」


 1年前の2月、琉大1年生だった真鏡名神鈴は、石垣島の博物館に招かれていた。
 表向きは博物館の展示品調査。歴史ある古い品々にまつわる伝承を調査し、それをリポートにまとめて資料化するという依頼だったが、当時、その博物館では数年に渡り職員の原因不明の体調不良や事故、事件が続いていたのだ。そしてついに、観覧者が体調不良を訴えるに至って、地元のユタを頼んで博物館の展示品を視てもらっている。
 ユタによれば、どの展示品かは分からないが、周囲に霊障を与える物があり、職員や観覧者に影響が出ているとのことだった。そして琉球大学にそのような現象を扱う学生がいる、との助言を得た。当時すでに、その世界で真鏡名神鈴の名は広まっていたのだ。高名なユタの家系、真鏡名の出であるということも、そしてそれが交通費のみの負担で、祓い自体は実質無料だということもだ。

「あの件では、展示物の中に紛れて置いてあった石板が霊障の元だった、と教えただろう?」

 神鈴は漆間の目を見ながら言う。漆間も目を逸らさず頷いた。

「あれは、霊障ではなく呪いだった。そこは言ってなかったんだ。呪いは簡単に祓えない。下手すればこっちが呪われるし、呪いを掛けた本人に返ってしまう場合もある。だからあのときは、その石板を封ずる結界を張った部屋に移し、そこに書いてあった文字から犯人を特定した」
「それ、なんて書いてあったんですか?それに、そこから犯人が特定できるなんて・・」
「ああ、それは一見すると意味のない文字の羅列に見えたんだが、アナグラムになっていたんだよ」
「アナグラム?」
「ああ、暗号の一種だ。単純に文字を入れ替えたり、読む方向を変えると意味が変わる、とかな」
「ああ!あいうえお作文、みたいな?」
「あいうえお・・・まぁ、そうだな。そしてそこには、館長の名前と死、殺、呪といった文字が浮かび上がった。つまり、館長を呪い殺そうとして、その呪いが館長だけではなく、周囲の人たちにも影響を与えていたんだ。それでな、博物館職員の中に犯人がいるって踏んだ。犯人が石板を置ける人物っていうのもあるしな」
「そうか、外部の人間なら簡単には置けないですよね、石板なんか。それで、犯人が分かって・・」
「ああ、私の前で呪いを解かせた。呪いを掛けた本人だからな」

 漆間は神鈴の話を聞きながら、その場にいる感覚に没頭していた。これで漆間も神鈴と同様の経験をしたことになる。普段、神鈴の思念を読むことはできないのだが。

 高校生の頃、漆間は言葉ことのはの霊気が見えず、剣道部の試合稽古で連戦連敗だったことを思い出した。
 言葉はかなり大きな霊気を持っていたが、普段はそれを内に秘めていた。だから相手の霊気を視ながら闘う漆間は、剣道歴に勝る言葉には勝てなかったのだ。だがそのとき、言葉は意識して霊気を出さなかったわけではなく、言葉の能力のようなもので、無意識にできていたのだろう。

 神鈴はそれを、自由自在に操ることができる。そして今は、自分の経験を漆間に見せるために開放している。

「分かりました。美鈴さん、怪異を祓ったり幽霊と会話したり、そういうのと呪いは全然違う、ってことですね?」
「ああ、分かったな。今回この大学内で起こっていることも、これによく似た事例だ。ということは・・・」
「呪いを掛けた本人を見つける必要が、ある。そしてそれは、大学内の人間だから、外部に漏らしたくない」
「そうだ、そのとおり!じゃ、そこまで分かったなら、行こうか」

 そこまでふたりのやりとりを呆然と聞くだけだった奥間が、ようやく声を発した。

「へ?行くって、今から?どこに?美鈴さん、どこに行くんです?」
「ああ、風樹館だよ」
「ひぇ!風樹館、ですか?」
「ん、奥間は来なくてもいいぞ?漆間とふたりで歩いて行くから」
「あ、いや!キャンパスは広いですから歩けば結構あります!行きますよ!オレも!」

 奥間は慌ててシートベルトを締め、シフトレバーをDレンジに入れた。


 大学のキャンパスは広い。1周歩けば楽に半日は掛かるだろう。だが車ならば、風樹館の近くの駐車場までわずか数分だ。

 3人は、駐車場から風樹館までだらだらと続く坂道を歩いていた。

「ふぅ、車だと近いが。ずっと登るのは意外ときついな。奥間がいて助かったよ」
「え?そうですか?いや~、美鈴さんが言うならオレ、ヤンバルまででも走っちゃいますよ!でも、オレなんかが付いてきて、いいんですか?ふたりの邪魔になるんじゃ?」
「ああ、いや、邪魔というか、ひとりで置いておくと、呪われるかもしれないだろ?それに、そのとき普通の人間がどんな状態になるのか、一緒に居た方が確認しやすい」
「は?・・・はぁ?」

 奥間は瞬間的に漆間を振り返り、お前もそう思ってるの?という表情を見せた。

「あ!いや奥間先輩、そんなこと微塵も思ってませんよ!美鈴さんも、冗談ですよね!今の!」
「あはは、まぁね」

 神鈴は慌てる奥間の顔を見て、さも面白そうに笑った。


 風樹館。
 そこは、琉球大学の歴史に関わる書物や資料、そして様々な生物の化石や剥製など、沖縄に関する様々な物が所蔵されている博物館だ。
 規模こそ大きくないが、赤煉瓦造りの建物は長い時を刻み、風格を滲ませている。
 だが建物全体が金網に覆われ、それが何かを封ずる結界を思わせる、一種異様な建築物だった。

 3人は館内に入り、ほぼ中央に位置する展示室に着いた。

「漆間、どうだ?なにか感じるか?」
「ん~、マジムンのような怪異とか、幽霊とか、そういう感じはしません。でも、いますよね。瘴気ではないけれど、気の塊を感じます。それと・・」
「残留思念、か?」
「はい。この建物の外からずっとなんですけど、強い思念が残って、それが続いています。で、この展示室に入って、ぐるりと回って・・そこか」
「ん、さすがだな。私もそこに気が溜まってるのは分かるが、残留思念の足跡までは分からなかった。残留思念を読む力は、お前の方がずっと上だ」
「いやそんな、それより、これですよね。これ、なんですか?」

 漆間は残留思念が示す先、そして、気の塊が示す物を指差した。

「そう、それだ。それはな、万年筆だ」
「万年筆、すごく古いですね。それに、すごく錆びてる」
「ん、これは多分、ゴウから出た物だろう」
「ゴウ?ゴウって、戦争中の?」
「そうだよ。太平洋戦争中に日本兵や民間人が隠れて、多くの命が失われた洞穴ほらあな、壕だ」

 壕、それは琉球石灰岩が浸食されて出来た天然の洞穴や鍾乳洞で、戦時中、民間人がその身を隠すため立て籠もった場所を指し、ガマと呼ぶこともある。入り口は小さい穴に見えるが、中に入ると相当な広さがあり、数人から数十人単位で隠れることが出来た。
 その他に、日本軍が基地として使用するために掘った広大な地下壕もあるが、一般に壕と言えば天然のものを指す。
 神鈴は大学からの依頼で、朝のうちに風樹館を訪れていた。そのとき見つけたこの万年筆は、そのような壕や地下壕から発見された展示物に紛れていたのだ。

「じゃあこれって、戦争でその、壕の中で亡くなった人が持っていた物」
「そのとおり。私は今朝もここに来て、この万年筆が呪物だと分かったんだが、その背景を知るのに漆間の力を借りたかった。そういうわけだ。それにそのとき、ちょっと遠いし歩くのはしんどいなって思って、奥間にも頼もうと思ってたのさ」

 神鈴の言葉に奥間の顔がゆるゆるに緩む。

「それで漆間、これを直接持てば、もっと色々と分かるんじゃないか?」
「はい、それは絶対そうだと思います」
「そうだろうな。じゃ、開けるか」

 神鈴はポケットから鍵を取り出した。あらかじめ大学から借りていた展示室のケースの鍵だ。それを鍵穴に刺し、ケースの扉を開けた。

 その瞬間だった。

「あ・・・あ、みす・・・みすず・・さん?あれ?あ・・あれ?」
「奥間!いかん、結界が破れた!こいつを開けると呪いが強く発動するのか!!」

 風樹館の中では普通の人、奥間は呪いを受ける可能性が高かった。だから神鈴はずっと奥間に結界を張っていたのだ。だがケースを開けた瞬間、奥間に強い呪いが襲いかかった。その呪力は神鈴の想定を遙かに超えていた。

「あ・・あーーー!のど!喉が!!のどーー!水を、水を!ミズーー!」
「あーー!あついい、あっついいい!!なんで、なんで目が見えない目が見えない目がーー!喉が焼ける、のど!やける!あっつい!あっつ・・・」
「ぎゃーーーーー!!」

 奥間は口を信じられないほど開け、よだれをだらだらと垂らしていた。見開いた目は真っ赤に充血し、流す涙には血が混ざっている。鼻から流れ出る血が口に入り、よだれと混ざって襟を赤に染める。更に奥間は、両手で喉を掻きむしろうとして、喉笛に爪を立てていた。

「奥間先輩!やめて!のど!喉が、破れる!」

 漆間は両の手の平に霊気を集め、奥間を後ろから抱き締めた。喉を掻きむしろうとする奥間の手を腕力と霊力の両方で押さえる。

「奥間さん!あっ・・・っ!!ぐっあああ!!!」

 押さえる漆間に奥間の体から何かが流れ込み、その脳裏に鮮明なイメージが炸裂した。


 暗い壕の中、自分の後ろで皆が息を潜めている。何人?何十人?全員が民間人だ。
 自分は、自分は兵隊だ。民間人を守らなければ、敵はすぐそこにいる。気付かれてはならない。相手は鬼畜だ。なにをされるか分からない。女子供もいる。乳飲み子もいるのだ。自分が、自分が守らなければ。
 あ!どこにいく!外に出るんじゃない!お前たちは大人じゃないか!子供たちを守れ!
 いかん、あいつらが逃げれば、敵がここに気付く。あぁ、赤子よ、泣いてくれるな。おまえの泣き声に気がついて、あいつらが来る。

 あぁ、駄目だ。壕のすぐ外で、あいつらが何かを準備している音がする。だが、自分には闘う術がない。とにかく今は、民間人を隠さなければ。あぁ、赤子よ、泣かないでおくれ。

 ××××、××××に手紙を書きたい。そうだ、万年筆、まだ書ける。なにかに、なにかに書きたい。手か、手の平か、手の平にペン先を突き刺して、入れ墨のように書けば、自分が死んでも、××××に届くかも。

 壕の前で何人かが叫んでいる。いかん、いかん、民間人を、民間人を守らなければ。武器は無いが、自分が、自分が出て行けば、民間人は見逃してくれるかも。
 走れ、壕の入り口まで走れ、早く!あいつらが何かする前に、止めるんだ。

 なんだ?なんだ?真っ赤ななにかが壁になって壕の入り口を塞いでいる。

 前に進めない。

 真っ赤だ、何の音だ?轟々と。なんの匂いだ?何か焼けてる?肉か?毛か?燃えているのか?

 これは火か!炎なのか!!火炎・・放射?・・

 やめろ!やめろやめろやめろ!!自分の後ろには民間人が!女が!子供が!赤子が!!殺すなら自分だけに、兵隊の自分だけにしろ!!

 あああああ、やめろぉーー、もうやめろぉぉぉ!!
 ああああああ!目が!目が見えない!!真っ赤だ、真っ赤だ!
 ああ、あんなに赤子が泣いていたのに、今は何も聞こえない。赤子が死んだのか?それとも、自分の耳が、焼け落ちたのか?

 喉が!喉が熱い!あああっつうういいいーー!!みず!みずっ!!
 そうだ、手、手を隠せ、手を燃やすな、手の平には、××××への手紙が・・

 ××××、××××・・・お、おれは・・・兄ちゃんは・・・

 と・・×××

 ×・×・×・×


「うるま!うるま!!大丈夫か!?」
「はぁ、はぁ、は・はい、大丈夫です。僕より、奥間さんは」
「奥間は大丈夫だ。結界の強度を上げた。お前が奥間を止めてくれたから間に合った。だが、危なかったな。結界がほんの少し遅ければ、奥間は自分の喉を掻っ切っていた」
「ものすごい呪いでした。これを普通の人が直に受ければ大変なことになります。でも、これまで体調不良になった人とかは、そんなことなかったんですよね」
「ああ、急な発熱とか、異常な喉の渇きとか、今回に通じるところはあるが、どれも体調不良の域を出ない。それに、ここに来る全員がそうなるわけではなかったそうだし、漆間でもここに入らないと呪いの気配も分からなかっただろ?それくらいのものだと思ったんだがな。まさかここまでとは」

 神鈴は腕組みして思案している。

 奥間はまだ展示室の床に突っ伏して起き上がることができない。こんな危険な呪いをこのままにしておく訳にはいかないが、まずは呪いを掛けた本人を見つけなければならないのだ。
 だが、これほどの強力な呪いを掛ける術者に呪いを解かせるのは難しいだろう。それに漆間の霊視もまだ終わっていない。今回のことを考えれば、また日を改めて、漆間とふたりで出直すしかない。

 神鈴はそう考えていた。

「あの、美鈴さん?」
「ああ、悪いな漆間。奥間がいるところではケースを開けられない。今度またふたりで・・」
「いえ、残留思念は見えました。もう分かりましたよ」
「なに?漆間、それはどういうことだ?」

 漆間は呪いで自傷しようとする奥間を止めたとき、奥間に取り憑いた呪いを直接感じ取って、その呪いの根源を視た。それは想像を絶する残酷な出来事だった。日本の敗戦間近、万年筆の持ち主の、壕の中での経験だ。

「・・それで万年筆の持ち主は、誰かに手紙を書いているんです。名前は聞き取れませんでしたが、自分の手の平に、その万年筆のペン先を突き刺して入れ墨のように刻み込んでいます。だけどそれが、その人に読まれることは、なかったんです」
「それで漆間、その手紙の内容って・・見えたのか?」

 神鈴は前のめりになっている。漆間の能力はその凄まじい霊力だけではない。それよりも恐るべきは、この卓越した霊視能力だと言っていい。だから神鈴も普段、漆間といるときに自分を霊視されないようガードしているほどだ。
 神鈴自身も霊との交信能力は高い。だがそれは、今、目の前にいる霊の話だ。すでに失われた状況をつぶさに観察する能力は、神鈴にはない。ただ直近の数時間程度を探ることができるだけなのだ。70年以上前の物に残った思念など、感知できるはずもなかった。

「美鈴さん、まずは、この万年筆をここに置いた人を探すのが先なんじゃないですか?おそらくその人は、この万年筆の持ち主の、弟さんです」
「そうだな。分かった!まず奥間を介抱して、それから辺土名へんとな助教のところに行こう」

 辺土名は、神鈴にこの呪いの件を依頼した人物だった。


 某時刻、サークル棟の琉球弧伝承研究室には、比嘉部長と奥間、神鈴、漆間、そして辺土名助教授がいた。
 神鈴はすでに、先ほど風樹館で起こった事について辺土名に報告している。
 呪いに掛かった奥間が自傷行為に走り、それを漆間が止めたこと。呪いの根源たる呪物が万年筆だったこと。そしてそれは、壕から発見された展示物に紛れこませてあり、外から持ち込まれた物であろうということも。
 ただ、漆間に霊視能力があることは伏せた。辺土名に嘘をつかれてもいいように、だ。

「助教、ご依頼の件、このとおり、かなり難しいことになっていまして、もう少し詳しく経緯などを教えていただけませんか?」

 辺土名はひと息、ふぅっと大きなため息をつくと、話を始めた。

「真鏡名君にはあらかじめ話しておいたけど、じゃあ、もう一度はじめから話そうか。それと、もう少し詳しく、ね」

 全員が辺土名の言葉に耳を傾けた。

「実は、この現象が始まったのは30年以上も前からなんだ。当時から風樹館の担当者、つまり大学の事務職員だな。この人たちの中に、風樹館の担当を外れたいとか、体調を崩して長期休むとか、結果、大学職員を辞めてしまう者が続けて出て、何かあるんじゃないか?って、長年、代々の職員の間で噂になっていたんだよ・・」

 担当を外れたい理由は、とにかく薄気味悪いから、というようなものだったし、体調不良の症状は、悪夢を見るとか幻覚を見て眠れない、という者が多かった。
 最初はどの場合もストレスからの病気だと思われていたのだが、彼らの友人など、悪夢や幻覚の内容を聞いた人たちの間で、どれも内容が似ているか、ほぼ同じなのはおかしい、という噂が立ったそうだ。
 そしてそれはついに、風樹館の担当職員だけではなく、風樹館を訪れた学生や一般の観覧者にも広がった。数名で訪れた観覧者の中に、館内で意識を失うとか、錯乱して館を飛び出す者たちが現れだしたのだ。
 30年という時間を掛けてじわじわと拡大する怪現象に、ついに大学側も放置できなくなった、ということらしい。

「それで、その人たちが共通して感じるのが、炎、なんですね?」
「ああ、そうなんだ。そして今日、奥間君が感じたのも、熱、炎、渇き、だったね?」
「え、は、はい~、って言うか、確かにそんな感じなんですけど、もう意識がぶっ飛ぶって言うか、もう死ぬ、って言うか、上手く言えなくて、すみません」

 奥間が受けた呪いは、ケースの中に入っている状態とは比べものにならなかった。漆間と神鈴がいなければ、命を落とすほどの呪力だったのだ。

「助教、お話ありがとうございました。ただ今日、奥間が受けた呪いに関しては非常に危険です。これを放置すると、おそらくですが、犠牲者が出るんじゃないかと」
「それほどなのか、その、万年筆に掛かった呪いというのは」
「はい、それで、どうしてもその万年筆を持ち込んだ人物を特定したいんです。そして、呪いを解くよう説得しなくては」
「分かった。だが、なにか手掛かりがなければ調べられるかどうか」
「それについて、手掛かりはいくつかあります。まず・・」

 神鈴が術者に繋がる手掛かりをいくつか提示した。それはまず、術者が大学職員であること。それは、風樹館のケースに万年筆を置けたことでも分かる。そして年齢は、戦争当時20歳前後だったと思われる万年筆の持ち主の弟であれば、現在は80代から90代である、ということだ。

「そうか、ならば、沖縄戦の戦没者資料の中に名前があるかもしれないな。それに、壕で見つかった遺物でも、形見の品は出来る限り調べて縁者に返すんだ。そこからも分かるだろう。大学職員だというのも大きいな。名簿があるはずだから、それと照合しよう。しかし、私にはよく分からないんだが、どうしてその人物が、万年筆の人物の弟だと分かるんだね?」

 辺土名の疑問は当然だった。漆間が神鈴に目配せする。

「それは、漆間、話すか?」
「はい、じゃあ、お話しします。実は・・」

 漆間は辺土名に、奥間を助けたときに感じたことを包み隠さず話した。それは、万年筆の持ち主が壕の中で経験した凄惨な出来事や、弟への思いといったものだ。だが、その人物が手の平に書いた手紙については、言わなかった。

「そうか、君にもユタのような力があるんだね。それは信じるよ。だってね、目の前に、本物のユタがいるからね」

 辺土名は神鈴の能力をよく知っていた。だから漆間を同行させたのか、と納得もいった。漆間と神鈴がいたから、奥間は助かったのだろう。

「分かった!では今話した内容で調べよう。その間、風樹館は閉館だ。判明事項があれば、また連絡するよ!」


 サークル棟を出て琉球弧伝承研究室の窓を見上げながら、辺土名は考えていた。

-しかし、すごいサークルになったもんだ。真鏡名君が入ってからすごいんだが、あの安座真漆間って子、またとんでもないんだろうな。だが分からないこともあるぞ?なんで真鏡名君は奥間って普通の子まで、あそこに連れて行ったんだ?いや、それはもう考えまい。とにかく今は、万年筆の人物の調査だ。

 辺土名は大きく頷くと、止めていた自転車に跨がって走り出した。


「漆間、どうして助教に手紙のことを隠したんだ?」

 辺土名が部室を出て行ってすぐ、神鈴が漆間に聞いた。

「いえ、隠したわけじゃないんです。あのとき、弟の名前を呼んだ兄のイメージを感じたとき、分からなかったんですよ、弟の名前が。それが分かっていれば助教に伝えても良かったんですけど。それに、助教の話だと特定できそうでしたよね?そう思ったら、ひとつ考えを思いついて」

「ほぉ、どんな考えだ?」
「はい、もう一度、イメージを視てみようと思うんです。さっきは奥間さんを押さえるので必死でしたから、もっと集中して視てみようって」
「ん?どうやるんだ?風樹館にはもう行かないぞ?なぁ奥間」
「いやぁあ!ぜ~ったいもう行きませんって、1億積まれたって!いや、1億なら・・いやいやいや!行きませんっ!」
「あはは、大丈夫ですよ、奥間先輩。十分に残ってますから」
「ああ、そうか。そういうことか」
「はい、美鈴さん。奥間先輩の体に残ってるんです。今度はそれを、しっかり集中して視ます」
「なになに?オレの体になにが残ってんの?」

 神鈴が奥間に向き直って、静かに言った。

「のろいだよ、の・ろ・い」

 奥間は無言で縮み上がった。


 奥間の手を握り、じっと目を瞑っていた漆間は、大きく息を吐き出して、顔を上げた。

「お、漆間!どうだ?見えたか?手紙の内容、弟の名前!」
「はい、見えました。内容も、名前も。それに、その名前の人物の思念も、この大学に色濃く残っていました。風樹館で視た残留思念と同じ人です。僕、全部分かってしまいました」
「じゃ、どうする?行くか?助教に伝えに、行くか?」
「いえ、言わないでおきましょう。助教が調べてきた名前と照らしてみるんです。もしかしたら、違う名前が出てくるかも知れませんから」
「むぅ、漆間、お前、辺土名助教を疑ってるのか?」
「いえ、さっき辺土名助教は嘘なんかついていませんでした。でも、もしかしたらこの名前だと・・・」
「うん、分かった。漆間がそれほど言うなら、信用する」
「ありがとうございます。美鈴さん」

 後は、辺土名からの連絡を待つだけだった。


 2週間後、琉球弧伝承研究室のドアが開き、辺土名助教授が足早に入ってきた。そして用意された席に着く。

「すまない、遅くなった。戦没者名簿や当時の軍の名簿と大学の職員名簿、いろいろ調べたよ。それで、ある人物の名前が挙がったんだ。じゃあ、いいかな?」

 部室に集まっていた神鈴、漆間、そして奥間はそろって頷いた。
 内容が内容なだけに、この件に他の部員は関わっていない。あらましを知る比嘉部長もだ。あれから皆、呪いや風樹館でのことを話すことも止められている。

「年代は沖縄戦の最中、つまり1945年の4月から6月だ。そのとき、沖縄本島南部は地上戦に突入して、地獄の様相だった。それは知っているね?」

 辺土名の問い掛けに全員が頷く。そして辺土名の話は、核心に触れた。

「安座真君の話からすると、時期は地上戦終結間近、5月末から6月のことだろう。そこで壕の中で亡くなった日本兵の名前を調べ、遺物として収集された万年筆があることも確認した。それが遺族に返された記録もあった。万年筆に名前が刻んであったんだ。消えかけていたそうだがね。そしてその名字は、この大学の職員録にもあった。30年前、定年退職した人だ」

 神鈴が身を乗り出す。

「助教、その人の名前って」
「ああ、小那覇智久おなはともひさ、この大学の元学長だ」

 おなはともひさ、その名前を聞いて、漆間が大きく頷いた。それを見て、神鈴が口を開く。

「辺土名助教、よく分かりました。そこで私たちから、助教にお詫びすることがあります」
「詫び?なんのことだね?」
「はい、私たちはその、小那覇智久という人物について、すでに知っていたんです。元学長ということも」
「な?しかし、どうやって?」
「漆間の、安座真の霊視です。先日、助教がお帰りになってから、奥間の体に残った呪いをもう一度霊視しました。集中して霊視した漆間は、その名前を聞き取ることに成功したんです」

「なんだって?じゃあなぜ私に伝えなかったんだね?」
「申し訳ありません。ただ、その名前から、漆間はその人が元学長というところまで視えてしまった。もしかしたら、学校がこのことを伏せてしまうんじゃないかと、万年筆もどうにかして処分するとか・・・そうすると、呪いは解けません。それどころか、土着の呪いになってしまうことも・・」
「分かった!そういうことか。君たちは学校が隠蔽を図ると思ったんだな。しかし、んん~~~」

 辺土名は腕組みしながら唸っている。万年筆の持ち主の名前を伝えられなかったことに相当怒っているように見える。その様子を見て、漆間がたまらず声を上げた。

「助教!ほんっとうに申し訳ありません。助教に言わないようにって言ったのは僕なんです。この呪いのことは30年にも渡って噂でしかありませんでした。でも、はっきりとした現象が起こっているのに、僕たちはこの件について口外するなと言われましたし、もしかしたらって。でも今はもう、お詫びするしかないと思っています!」
「・・・まぁ、その考えも、分からなくもないか!」

 漆間の謝罪を受け入れたのか、辺土名は笑顔で顔を上げた。

「少々腹立たしい、というか信じてもらえなかったのはかなりショックだが、分かった!それで、これからは信頼してくれる、かな?」

 3人は大きく頷き、大きく返事した。

「はい!辺土名助教授!信頼します!」
「よ~し!じゃあ安座真君、この万年筆から何を見たのか、今度こそ、包み隠さず話してもらおうか?」

 辺土名は、いたずらっ子のような笑顔を浮かべた。


「そうか、つまり壕で亡くなった万年筆の持ち主、小那覇智市おなはともいちは、弟の智久に伝えたいことがあった、ということだね?それを、万年筆で手の平に刻んだ。だが、火炎放射器の炎を浴びて、智市は命を落とした。だが・・」

「ええ、智市さんは万年筆を握りしめて、手紙を刻んだ手を後ろに回して守りました。そこで、万年筆に刻まれてしまったんです。智市さんの無念が」
「そして、その万年筆は壕で発見され智久の手に渡ったが・・」
「はい、智市さんの意思が智久さんに伝わることはなく、智久さんは定年と同時に、風樹館のケースにその万年筆を置いたんです。壕から発見された他の遺物と共に。きっと供養のためと思ったんでしょう。でもそれから30年、万年筆には智市さんの無念に呼ばれるように、他の遺物に染み込んでいた無念も積み上がって」
「呪いとして完成してしまった。だから呪いは年々強くなっていったのか」
「そのとおりです。それはもう、人を呪い殺すほどに強くなっています。もう猶予はありません。ですが、これは正確には呪いではありません。智市さんも智久さんも呪いを掛けた訳ではないからです。ただ強すぎる念が籠もっているだけ。だからこれを解くには、解呪の法ではなく、智市さんの手紙を智久さんに伝える必要があるんです」
「分かった、分かったがな、安座真君、そういうことなら、もう無理だよ」

 辺土名はそう言うと、悔しそうに俯いた。

「もう、亡くなっているんですよね、智久さん」
「ああ、安座真君には、それも分かってたんだな。それでどうするんだね?これから」
「はい、じゃあ美鈴さん、お願いします」

 漆間は神鈴に話を引き継いだ。どうやって智市の手紙を智久に渡すか、それはもう、考えてあったのだ。

「では辺土名助教、これからその方法をご説明します」

 30年の無念を纏った万年筆の呪い、それを解くために、ここにいる全員で、ある場所に行くことになった。
 神鈴と漆間だけでは、文字通り手が足りないからだ。


 某日、某時刻。
 中城湾を眼下に望む霊園に漆間たちは立っていた。万年筆の持ち主、小那覇智久が眠る地だ。

「あれですね、小那覇家の墓、間違いない。智久さんの名前がある」

 漆間は墓石の姓名を確認すると、墓前に手を合わせた。
 沖縄では一族を門中むんちゅうと呼び、墓は門中で持つことが普通だ。亀甲墓と呼ばれる大きな墓で、そこに代々の門中が入る。沖縄で、門中墓は死後に住まう家なのだ。
 だが門中を持たない家や本土からの移住者は門中墓ではなく、普通の霊園に墓所を構えることも多い。
 小那覇智久もそのような墓所を構えていた。

「それじゃ、助教、美鈴さん、奥間先輩、こちらへ」

 辺土名と奥間は、ガラスのケースをふたりで抱えている。そしてケースの上には、神鈴が右手を置き、左手は印を結んで一心に念じている。万年筆の呪いを神鈴が押さえているのだ。

「そこにケースを置いて、助教と奥間さんは離れてください。ここからは美鈴さんと僕です」

 墓石の前に置かれたケースの蓋を、漆間がゆっくりと開ける。その間も神鈴は念を切らさない。そして漆間も、その両手に霊気を纏わせ、万年筆の呪いを押さえる。
 辺土名と奥間には見えなかったが、漆間の両手は金色の霊気で輝いていた。神鈴の両手も緑色の霊気に包まれていたが、漆間の霊気は桁が違う。

「漆間、お前のその気はなんだ?金色で眩しいったらないぞ、それで何%くらいなんだ?」
「えっと・・じゅ・・いや、今はいいじゃないですか、そんなの」
「うん、まぁ、そうだな。じゃ、後は頼むぞ」
「はい、分かりました」

 漆間の霊気が十分であることを確認し、神鈴は辺土名と奥間の側に行く。左手の印は結んだままだ。
 皆の位置を確認すると、漆間はケースに手を入れて万年筆を掴んだ。それを左手に持ち、右手で更に覆う。

「では、始めます」

 漆間は皆にそう告げ、智久の墓に向き直り、ひざまずいた。
 万年筆を掲げ、目を瞑る。

「ああ、あれは、すごいな」
「え?美鈴さん、なんか見えます?」
「ああ、漆間の体が金色の霊気に包まれてる。大きいぞ?あの墓所全体を包むくらい」
「あの子の力というのは、それほどにすごいものなのか?」
「はい、助教。すごいです。うちの家系、真鏡名にもあれほどの者はいませんね」

 神鈴がそう言ったとき、漆間の体を包んでいた霊気は急激に収束し、両の手に集まった。漆間の両手は、天空の太陽のように輝いている。

「どうやら成功したようだぞ」

 神鈴の言葉を切っ掛けに、漆間は万年筆を墓石の前に置いた。そして開いた左手の平で、墓石に直接触れる・・

「うわっ!!眩しい!熱いっ!!!」

 神鈴が叫んだ。
 漆間が墓石に触れた瞬間、漆間の金色の霊気は墓石に移り、天に向かって爆発的に膨れ上がる。そして次の瞬間、墓石から轟々と炎の柱が立ち昇った。その霊気の輝きと炎柱の熱気は、何も感じないはずの辺土名と奥間にすら感じられるほどだった。

「あれは、あれが、霊気なのか、あんなものが、ホントにあるのか」
「おお、風樹館で感じたのと同じ熱さだ。でもこれ、なんかあったかいな」

 辺土名と奥間が顔を見合わせる。
 だが、輝く霊気も、立ち昇る炎も、次の一瞬には消え失せていた。

「終わりました。もう大丈夫です。皆さん、ありがとうございました」

 いつの間にか漆間は立ち上がり、3人の方に歩いてくる。

「終わったな。漆間、さすがだな」
「え?え?終わったって、漆間!お前、今何したの?」
「ああ、私にも分からなかった。安座真君、なにがどうなったのか、教えてくれないか?」

 漆間は少し微笑みながら、左手を開いて3人に向けた。

「お・・おお、それって」
「手紙、か。小那覇智市が万年筆で手の平に刻み込んだ、手紙」

 呆然とする辺土名と奥間を余所に、神鈴の表情は満足げだ。

「うん、そうだ、きちんと伝えられた。良かった」

 そんな神鈴の言葉を聞いて、辺土名と奥間も慌てて読み始めるが、手紙は漆間の手の平で見る見るうちに薄くなり、そして消えた。

「あーー!読めなかった!」
「ああ、私もだ、最初に“智久よ、許せ”って書いてあったが、そこまでだ」
「まぁ、いいじゃないですか、これで万年筆に込められた智市さんの無念は晴れました、って言うか、智久さんも喜んでましたよ。それに、万年筆に呼ばれていた他の念も一緒に消えてますから、すべて解決!さ、帰ろ?奥間」

 神鈴はよほど満足したのか、満面の笑みで帰りを急かしている。

「あーー!分かりましたよ!美鈴さんがそんなに言うなら、帰りましょ!」

 4人は神鈴を先頭に、駐車場に向かった。


 奥間の車は与那原町東浜の海沿いを北に走っている。
 もう夕方に差し掛かり、右手に見える海は夕焼けに紅く染まっていた。

「しかし漆間、上出来だった。だがそれも、お前のバカでかい霊力があってこそ、かもしれないな」
「いや、そんなことないですよ。僕は万年筆の残留思念を読んで、手の平の手紙を再現して、後は全部美鈴さんじゃないですか」
「え?え?ふたり何話してんの?やっぱ聞きたいですよ~」

 謎解きをせがむ奥間に、辺土名もウンウンと頷いている。

「はぁ、ま、そっか。今聞いたとおり、漆間は残留思念を読み取って、智市さんが手の平に刻んだ手紙を左手に再現したんですよ。その間、万年筆の呪いは漆間のでっかい霊力で押さえてながら、ね?手の平の手紙はチラっと見えたでしょ?」

 辺土名と奥間はウンウンと頷く。

「そして私は、ふたりの横で結界を張りつつ、智市さんと智久さんにその手紙を読んであげたんですよ。これは私の降霊術と交信術。それでふたりは手を取り合って、天に昇りました」

 事もなげに語る神鈴を見ながら、辺土名の口はあんぐりと開いている。奥間の口も開きそうだったが、運転中だと気付いて気を引き締めたようだ。

「そうか、それが君たちの能力、ってことか。それで、手紙にはなんて書いてあったんだ?」
「いえ、助教、それは個人情報ですから、やめておきましょうよ」

 神鈴は辺土名の求めをやんわりと断った。
 優れた交信術を持つ彼女にとって、心の平穏は何よりも大事なのだ。それは生者も死者も関係なく。
 クールなルックスと辛辣な言動の裏に、限りない優しさを秘める。神鈴はそんな女性だった。

「うん、まぁ、そうか。そうだな、死者とはいえプライベートに立ち入るな、だな!」

 手紙の内容を知る漆間と神鈴は、ホッとしたように顔を見合わせる。辺土名が常識人で良かった、という表情だ。

「ところでだ!こないだから気にはなっていたんだが」
「はい、なんでしょう?」
「真鏡名くんと奥間くんは、付き合っているのかな?」
「なぁ!!なぁんですか?それ、そんな訳ないでしょ!!」
「え?えええ??オレたち、そぉんなふうに、見えます?」
「いや、こないだっから美鈴君、奥間奥間って言ってるじゃないか。奥間君の方は神鈴君のこと好きだって、見てれば分かるだろ?」
「わぁー!さっき常識人だって思ったけど、撤回!!もう助教とは一切喋りませんから!一切です!」

 慌てまくる神鈴に、辺土名が止めを刺した。

「なに言ってるんだ?君たちのサークル、顧問居なかったろ?私が4月から顧問をやってあげるから、もっとも~っと喋るぞ?感謝しろよ?次期部長さん」
「いやだ!撤回してください!撤回!撤回!」
「えぇ~~、いいじゃないですか、美鈴さん。それに来週はヤンバルでしょ?オレ、運転しますよぉ~、どこまでも」
「いやだ!もうバスだ!バスで行く!!」
「じゃ、オレもバスで行きます!」
「なぁにぃ~!ゆるさん!!私ひとりで行く!」

 わいわいと楽しげな奥間車の中で、漆間はひとり目を瞑っていた。
 その脳裏には、悲惨な戦争から80年も続く無念と、そこから解放された兄弟の姿があった。

 漆間は想いを巡らす。
 その想いは、漆間の中で言葉になる。

 本当に良かった。智市さんと智久さんが分り合えて。
 それにしても美鈴さんの降霊術はさすがだ。墓所に着いてから、すぐにふたりを降霊してたからな。
 でも、終戦からもう80年、ずっとあんな風に、無念を抱いてる霊たちも、まだいるんだろうな。

 智久さん、お兄さんは、あなたのことが嫌いだったわけじゃない、ああしなきゃ、駄目な世の中だったんだ
 だってああしなきゃ、智久さんは戦地に向かうお兄さんの足にしがみついて、泣いて泣いて、離れなかったでしょ?
 だからお兄さんは、あんなことを言ったんですよ
 良かったですね、それが分かって

 漆間は心の中でそう呟くと、目を開け、左の手を開いた。
 手の平にはうっすらと、文字が浮かんでいる。

『ともひさよ、許せ
 あのとき、お前を殴ってしまったことを
 お前のことは嫌いだと、ひどいことを言ったことを
 今も悔いている
 強く生きろ、ともひさ
 兄ちゃんの分まで』

 漆間は車窓から、夕日に染まる空を眺めた。

 漆間の瞳に、幼い弟の手を引いて、天に昇る兄の姿が映った。


逢魔の子 風樹館の万年筆  了

いいなと思ったら応援しよう!