比良八講荒れじまい。嵐が去って春が来る。 京都の東の空を、浮かれた青龍がひゅるりひゅるりと舞い踊る
京都の春は、なかなか来ない。浮かれて薄着などすると、ほら見たことかと風邪をひく。春の方角は東。春は東からやって来る。東の湖国の、比良八講荒れじまい。3月の終わりに、一度寒さがぶり返し、比良山地から吹き下ろす強風で琵琶湖が荒れる。これが一段落すると、ようやく春。この時期、サディスティック・ミカ・バンドの「黒船(嘉永六年六月四日)」が聴きたくなります。嵐が過ぎ去った後の静けさ、また何かが始まる胸騒ぎ。東の彼方から、いよいよやって来る。
京都は四神相応の都であり、東の方角は青龍が護っています。青龍は、鴨川であったり、東山三十六峰であったり、いろんな解釈があるけれど、私も、京都の東には、龍か、もしくは龍のような、何か大きな力のあるものが、強かに息づいている気がします。
東山ドライブウェイ。私達が「将軍塚」と呼んでいるここは、宝ヶ池の狐坂と並んで、車の運転免許を取ったら、まず腕試しに来るところ。山頂の標高は200メートル以上。夜景スポットとしても親しまれ、青蓮院門跡の将軍塚青龍殿があります。
将軍塚青龍殿は、日本三大不動画のひとつである青不動をお祀りするために建てられた木造建築。青不動は、いつもは複製画がかかっているけれど、こちらからは見えない奥殿で、ギリリと睨みをきかせていらっしゃる。青龍殿と一緒に建てられたのが、清水の舞台よりも大きな大舞台。スコーンと、余計なものが一切ない、気持ちのいい展望台。日差しの強い日などは、ぽっかり浮かんだ雲が、北は比叡山から連なる東山の山々に、そのままの形の影を落とす。平安神宮の大きな鳥居や御所、鴨川など、市内が一望できる大パノラマ。ここは、青龍がひと休みするのに丁度いい。東の空を、ひゅるりひゅるりと舞い飛んで、疲れたら、ここへ降りて、とぐろを巻いて昼寝する。邪魔になるものは、何も置かれていない。
西側に展望台がもうひとつ。高さが10メートル以上あり、鉄骨がむき出しの、ちょっと粗野な建物。こんもりとした将軍塚を見下ろし、京都の町が見渡せる。将軍塚には、桓武天皇の命により作られた将軍の像が埋められていて、今も京都の町を護っています。桜の季節、この展望台から境内を見下ろすと、まるで薄ピンク色の雲が、一面にふわふわと浮いているよう。この雲の上に、ハイジみたいに、ぽすん、と飛び降りたらどうなるか。青龍が迷惑そうな顔をして、助けに来てくれたらなと思います。
稲妻が走り、雷鳴がとどろく。雲の上から龍を間近に。そんな庭があります。東福寺の塔頭、龍吟庵。ここには昭和の作庭家、重森三玲による三つの枯山水の庭があり、そのひとつが龍門の庭。白砂で海を、黒砂で暗雲を表現。青石の龍が、雲から鼻先を出して、今、まさしく天に昇ろうとしているところ。長い体は時計と反対まわりにとぐろを巻いて、雲間から見え隠れしています。東福寺本堂の天井にも龍がいます。体長54メートルの巨大な龍。堂本印象が、わずか17日で描いたといわれています。
洛北にある圓光寺は、もみじが美しい十牛之庭が有名ですが、もうひとつ、面白い庭があります。高台の、とても日当たりのいい場所にある奔龍庭。2013年に造られた、まだ新しい枯山水で、こちらの龍も、白砂の雲間からその姿を覗かせています。
また「永観、遅し」の見返り阿弥陀や、紅葉の名所として知られる永観堂には、臥龍廊という回廊があります。龍の体内を歩いているかのような、うねる急勾配。組木の技術を駆使し、釘を一本も使わずに造られたスリリングで美しい回廊です。
様々な青龍が、京都の東をがっちりと護っています。嵐は必ず過ぎ去るもの。東の空に青龍が舞い踊る、大らかな季節がすぐそこまで来ています。