はまだちか
茶トラおばあちゃん猫、ふわこの擬態集。
京都の四季折々を綴っています。
茶トラ猫の素晴らしさ、好きでたまらない気持ちを綴っています。
木魚の原形、かいぱん。京都のお寺で出会ったユニークなかいぱん達を紹介します。
去年の今日、令和4年7月28日にふわちゃん亡くなる。夜中の2:45くらいだった。28って、ふわの日。まったく気が利いている。 27日の朝、もう一度病院に行っておく。これが最後の点滴。病院のふわちゃんは終始手のかからない大人しい子。本当は全然、違うのに。 仕事から帰ると、いつものふわちゃん。けれど、今夜、絶対に死ぬ。わかる。ここ数日で、ふわちゃんの見た目はガラリと変わった。目はキュッとつり上がり、全盛期のダイナマイトボディとは真逆のガリガリ。足も弱っている。けれど、中身はふ
京都の春は、なかなか来ない。浮かれて薄着などすると、ほら見たことかと風邪をひく。春の方角は東。春は東からやって来る。東の湖国の、比良八講荒れじまい。3月の終わりに、一度寒さがぶり返し、比良山地から吹き下ろす強風で琵琶湖が荒れる。これが一段落すると、ようやく春。この時期、サディスティック・ミカ・バンドの「黒船(嘉永六年六月四日)」が聴きたくなります。嵐が過ぎ去った後の静けさ、また何かが始まる胸騒ぎ。東の彼方から、いよいよやって来る。 京都は四神相応の都であり、東の方角は青
かなり色褪せている。2001年初版だから、20年も前に買った本。浅田次郎作、マルハペットフーズCMのショートストーリー。売れない作家といなくなった猫、民子の話。猫が不意にいなくなる辛さは、体験した人にしか分からない。 私の歴代猫は、ちび、おしし、ふわちゃん。過ごした時期が違うけれど、みんな茶トラの野良猫で、みんな一度はいなくなった。おししとふわちゃんは戻ってきて、うちの子になったけれど、ちびは戻らなかった。 ちびは子猫の時に現れた。ある日、洗濯機の上にちょこんと佇ん
大好きな昔の写真。商店街のアーケードの上。子猫時代のふわちゃんと、ふわちゃんが邪魔で、こちらに渡って来られない、渋い顔のおしし。 おししが逝って、もう10年近い。子猫だったふわちゃんも、年齢的にはもう立派なおばあちゃん猫だ。おししもふわちゃんも押しかけ野良で、何度も「来るな」追っ払ったがやって来た。部屋に入って来ようとするおししと、追い払う私。そんな小競り合いが楽しみになり、いつしか来るのが待ち遠しく、また、姿を見ないと心配になった。 おししは、ガニ股、ダミ声の厚か
かいぱんに会いに嵐山の大悲閣千光寺へ。渡月橋を南に渡り、エメラルドグリーンの大堰川を遡るように20分ほど歩く。更につづら折りの石段を息を切らせて登りきると、柴犬のすみれちゃんが迎えてくれます。切り立った岩肌に建つ舞台造りの客殿からは、緑豊かな渓谷が見下ろせ、はるか遠くに大文字山が見えます。 大悲閣千光寺は、もともとは嵯峨野にあった天台宗のお寺。私財を投じて大堰川や高瀬川を開削した江戸時代の豪商、角倉了以が、河川工事に協力してくれた人たちの菩提を弔うため、衰退していた
小川のせせらぎが琴の音に聞えることから「琴坂」と呼ばれる参道。初夏は新緑、秋は紅葉が美しいこの坂道を上った先に、龍宮城みたいな白い漆喰の山門があります。興聖寺は京都の宇治にある曹洞宗のお寺。宇治はお茶の名産地。毎年10月、栄西禅師、明恵上人、千利休を偲び、宇治茶産業の繁栄を願う「宇治茶まつり」では、興聖寺の本堂で「茶壺口切りの儀」が行われます。 興聖寺には2匹のかいぱんがいます。まずは山門をくぐり、右手の庫裡へ。ここには引退した先代のかいぱんがいます。 煩悩の玉を吐
地べたにしゃがみ込んで、枝の内側から見上げると、薄紅色の花がシャワーのように降りそそぐ。鼻の奥にツンとくる、甘くて、ちょっと狂おしい香り。まだ冷たい空気が居座る3月だけれど、まるで天国にいるような、幸せな薄紅色の世界。 城南宮は「方除けの大社」といわれ、家を新築する時には、ここの清めの御砂を敷地に撒いて穢れを祓う。広大な敷地に造られた神苑では、源氏物語に登場する花が四季折々に開花し、特に素晴らしいのが、およそ150本の枝垂れ梅が一斉に咲く「春の山」というエリア。薄紅色
野良生活を卒業して、気ままな家猫として、おそらく幸せに過ごしていたものの、やはりその時は来たようで、食べない日が何日か続き、みるみる痩せていった。最後の最後は本当に、冗談みたいにぺちゃんこな体になって、おむつをしても、すぐにスルッと抜けてしまう。何度か通院して、入院もして、もうおそらく無理だろうと、家で様子を見ていたものの、やはり今日、もう一度病院へ連れて行こうと言っていた朝に、家族のいるリビングで、私が歯を磨いている間に、息を引き取った。 おししの亡骸はとても軽くて、
時を知らせる魚「開梆」。ひらがなで書くと「かいぱん」。一気にゆるキャラみたいになる。かいぱんは木魚の原形。口にくわえている玉は煩悩で、かいぱんを叩いて煩悩を吐き出し、より精進しましょうというもの。お堂の前に吊り下げられて、毎日、法要や食事の時間を報せています。そもそもどうして魚なのかというと、魚は眠っている間も目を閉じないことから「不眠不休で精進しなさい」という思いが込められているとか。 京都の南、宇治の萬福寺は、中国明朝様式で建てられた黄檗宗のお寺。風が吹き抜ける回廊
猫は、特に茶トラが可愛らしい。ちびに、おししに、ふわちゃん。茶トラしか飼ったことがないけれど、私はもう、茶トラだけでいい。茶トラはとにかく人懐こい。人に対してだけではない。茶トラは自分が生きる世界のすべてに対して懐っこい。コミュニケーションの星の下に生まれた、好奇心旺盛なチャレンジャーであり、不用心で隙だらけだ。 太った野良猫の多くは茶トラだ。好きなだけ食べて巨大化する。冒険好きな茶トラはどこへでも行く。茶トラの雄はよくいなくなる。どこをどう歩いたら、それだけ汚れるのだ