2/17 強制執行。債務者に思うこと
つい昨日、一人の人間に対して強制執行という措置を取り、住んでいた家から出て行って貰うことになった。
これは裁判等での手続きも踏んだ正規のものとなるので、債務者が今になってゴネたところで覆しようはない。
僕は立ち会いをしなかったのだが、正直行きたくなかった。
今まで何度も訪問し、書面を用いて今後の対応について記していたにも関わらずこの有様は無様であるとしか言いようがない。
家族の存在
債務者には家族がいることは分かっている。
元々はその家族がお金の管理をしていて、時折滞りつつもなんとかなんとか支払いを続けていたことで、こちらも対応は書面だけで行うに留まっていた。
ただ、なにがあったのかそれを当人が管理をすることになり、それからはあれよあれよと強制執行まで突き進んでしまった。
過去について
強制執行直前には鍵を開けて催告を行うことになっていて、僕自身も家の中に入って状況確認をしていたのだが、そこにあったやけに綺麗なテーブルやスツールがあったのが印象的だった。
もしや、かつて飲食店だったりスナックのような夜のお店の経営をしていたのかもしれない。
それは僕だけでなく、執行官、弁護士とも同じ考えだった。
お店が繁盛していたのかは定かではないが、過去に経営者として働いていた頃には、将来家を取られることになるだなんて想像はしていなかっただろうな。
なにを思っていたか
電気やガスが動いていたことから最低限の生活は出来ていたようだが、日々この先どうなって行くのか不安や恐怖に駆られていただろうか。
いつ訪問しても留守だったこともあり、殆ど面識は無いに等しい。
投函されているポストには郵便物はあったが、他の督促状を見たことがないのでどうやら他につまんでいるということはないと見ているが実際はどうだったか。
残念ながら僕がそれを知る由も無いし、部屋の様子からそれを窺うことも出来なかった。
これからどうなるか
分からない。
ただ、二度とお金や部屋を借りるだなんてことは出来なくなるのは確実で、追い出された今、次の住まいをどうするかはかなり厳しい状況だ。
親戚関係を頼って、そこでお金を借りてなんとかしていくコースが妥当なのかもしれない。
自分が思うこと
出来ることなんてあるとは思っていないし、そう考えることが烏滸がましいとさえ感じている。
故に思うこと。
たかが数万の支払いを渋った末路がコレだ。今まで一生懸命生きてきて、その結果が住まいを追われるって残酷だな、と。
同時に愚かしいと。
部屋には物が多く置かれていたし、台所には家電や食器が並べられている辺り最低限の暮らしくらいは出来ていたことは予想出来る。
実はかなり質素な生活をしていたのかもしれない。
だが、それでも当人が出来たことは必ずあったはずだ。
まとめ
借りたものは返す。
当然のことだ。
義務を怠ればどうなるか。
それがよぉく分かったよ。
自分にも起こり得ることだけに、関係が無いことであると割り切ってしまわないようにしないと。