「ビール離れ」は関係性の変化から?
主に宗教上の理由からアルコールを嗜まない私だが、このニュースには感慨をおぼえた。
アサヒビールが2つの工場を閉鎖する。
ビールの需要が減少していることが背景にあるらしい。反対に需要が高まっているチューハイ、ノンアルコール飲料の生産は増やすというのだ。
「とりあえず、ビール!」という“居酒屋文化”も変わりつつあるのだろう。そういえば、そこそこ呑めるウチの長男も「ビールは全然おいしくない」と敬遠気味だ。
コロナ禍で外食という習慣がすっかり様変わりした。外食チェーンのワタミも270店のうち40店を閉店すると伝えられた。
居酒屋ばっかりやっているのかと思っていたが、記事によるとワタミグループの売上のうち外食産業はわずか20%ほどで、主力は宅食事業になっているのだとか。この記事を読んでからは街でワタミのバイクが目につくようになった。気づかないうちに、こんなところにも社会の変化が現れている。
「飲みニケーション」という造語がある。言葉を強引にくっつけたセンスが嫌いだが、やはり家族も同僚も「同じ釜のメシを食う」ことで気持ちがつながっていることは間違いない。オンラインでしか知らない仲では、なにかよそよそしい気分が抜けないものだ。これは、昭和枯れすすきの「昔はよかったノスタルジー」を超える真実ではないか。
ビールを飲まないから関係が希薄になるのか。関係が薄れたからビールの消費が減ったのか。卵が先か、ニワトリか。
それでも終電近くまで延々と飲むわ食うわを続ける同僚の体力と胃袋にお付き合いするには、かなりの覚悟が必要だ。ひとたび生活のリズムが乱れると、取り戻すには相応の時間がかかる。こちらは、体力が落ちた昭和オヤジの愚痴である。
(22/2/25)
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