「シャバでも同じようなことをやろうかな」
あるニュース番組で「横浜刑務所で作っているパスタが大人気」というネタをやっていた。受刑者が刑務所で作る製品は「安くて品質が良い」と評判だし、そこで身に着けた技術が出所後の受刑者の仕事の獲得に役立っているのであれば、これは素晴らしいことである。ただし、安さの源泉が「受刑者なので人件費がかからない」ためであることにはちょっとモヤモヤするが、懲役のための作業なのだしそこまで考えることもないのかな、などと思う。私は横浜のパスタがそんなに人気を集めているとは知らなかった。
さて、そのニュースでは実際にパスタ制作の作業をしている受刑者のインタビューも放映されていた。もちろん顔は映さずに声も変換されている。
インタビュー内容を紹介する字幕スーパーは「私たちはあまり感謝されるようなことをしてこなかったので、出てから感謝してもらえるような仕事がしたい。うれしい気持ちは大事にしたい。シャバでも同じようなことをやろうかなと考えています」だった。まさに刑務所側にもマスコミ側にも100点満点の声だ。
ん?それにしても「シャバ」。この発言をそのまましれっと紹介して、何の補足もしないのか?
「シャバ」とは、すなわち刑務所から見た外の社会のこと。マスコミ関係者だった私だから理解できるだけでなく広く一般の人にも浸透しているだろうことは想像できる。それにしてもこれは刑務所や受刑者の“隠語”のひとつなのだ。これをそのまま放送するとはどのような判断なのか。
マスコミの現場では刑事訴訟業務方面の隠語をそのまま使うことも多い。ガサ、コロシ、ムショ、タタキ、ホシ、ガイシャ、マルヒ、マルビー。それぞれ、家宅捜索、殺人、刑務所、強盗、犯人、被害者、被疑者、暴力団員。取材相手との“空気の共有”は大切なことだし、若い頃は「こうしたギョーカイ用語を使っちゃう俺」がなんか誇らしかったもの。しかし隠語はあくまでも隠語であり、それをそのまま放送に載せることはしないのが鉄則だろう。
自分がこのパスタのネタの担当ならどうしていただろう、と自問する。「シャバ(一般社会)でも同じようなことを…」とスーパーで補足するか、あるいはインタビューを止めて「すみません、いまの“シャバ”はちょっとマズイので、言い換えてください」と録り直しをするか。
佛弟子として「シャバ」の語源が「娑婆」であり、仏教語が由来であることはなんとなくわかる。ググってみると大正大学仏教学教授が解説している記事があった。
https://www.otani.ac.jp/yomu_page/b_yougo/nab3mq000001r30o.html
それによると「娑婆」は「サハー」という原語の発音を漢字の音を借りて置き換えた音写語で「忍土(にんど) 」という意訳語もあるという。忍土とは、「苦しみを耐え忍ぶ場所」という意味で「私たちが生活しているこの世の中は、本質的に苦しみを耐え忍ぶ場所である」ということなので、「一切皆苦」という仏教の世界観をそのまま表している大切な言葉なのだった。知らなかった。
刑務所から見た「シャバ」は「自由に生活できる一般社会」というポジティブな方向性の言葉だから、意味の逆転が起きているところが面白い。
(23/12/15)