責任はよろしく分散すべし
先日、業務でミスをやらかした。
具体的なことは書けないが、幸いなことに(笑)いまは直接放送にかかわる部署ではないので、ひとさまの人権を侵害するなどの重大な事案ではない。単純に社内の問題である。しかも一義的にそれをやるべきだったのは他の部署の者であり、うちのメンバーはたまたまメールがccされていただけなのだ(隔靴掻痒な説明で申し訳ない)。
それでもうちの上司は「これがccされていながら、なんでお前達は全員が揃ってスルーしていたのか。それが信じられん」とオカンムリである。言われてみればそのとおり。感度と精度を上げるようにしなければいけないと反省する。
会社の稟議書にはハンコを押す欄がズラリと並んでいる。実際に紙を回していた頃は、部下を海外出張へ出す前に連休が入ったりすると「うっかりハンコをもらい損ねて大騒ぎ」などということもあった。「あーあ、スタンプラリーが止まっちゃったよ」と自虐風にボヤいたものだ。いまはオンラインで回わすようになったが、それでも休日に動きが止まるのは変わらない。
つまりこれは“責任の分散”だ。なにかまずいことが起きた際にひとりだけが非難されることがないようなシステムとは、うまいことを考えたものだ。経営者がつらいのは、その最終判断を一手に引き受ける立場にあることだろう。やったことがないから知らないが。
スタンプラリーと似たようなことは、業務メールで実践している。メールを発出する際に、ちょっとでも案件に関係するメンバーを宛先のcc欄にダラダラと羅列しがちだ。冷静に分析すると、「あとで『俺は聞いてねえゾ!』って言われるのが面倒だから、一応、入れておこうか」程度の気持ち。これをみんなが実践するので、メールの送受信量は増える一方だ。報道で出稿担当をしていた頃の平日には平均で1日に200通を受領していた。
大量に舞い込んだメールを読むのはかなり面倒だ。まさに“処理”をしている感覚。いきおい、一読しただけで「あ、これはワシには関係ないな」と即断することにつながって、重要な部分を読み飛ばす。ヘタに読書を生きがいにしているので文章を読む速度が上がって、“目が滑る”のかもしれない。趣味の読書ならそれでも構わないのだけれど。
(22/5/5)