「優駿」~宮本輝作品をどう楽しむのか
「優駿」は震えるほど面白い傑作だ
去年の春、何十年かぶりに宮本輝の「優駿」を再読して、あまりの面白さにひっくり返り、危うく徹夜しそうになった。このトシになってそんな体験をすることは滅多にない。
もの言わぬオラシオン(主役の競走馬の名前)の静謐なたたずまいと、対照的に世間のあれこれに右往左往してしまう人間の業(ごう)。端正な文章がそれを浮き彫りにするが、しかしその醜い姿も愛おしい。
ストーリーにワクワクドキドキさせられてページをめくる感覚は、どう考えてもエンタメ小説のノリだ。これは純文学なのか?純文学とエンタメの線引きはどこにあるの?
宮本輝作品はどちらに分類されるのか
宮本輝さんは「泥の河」で太宰治賞を、「蛍川」で芥川賞を受賞している。もちろん両者とも純文学を対象にした文学賞だ。これに対して「優駿」は吉川英治文学賞を獲っていて、こちらは大衆小説に与えられる賞らしいので、これはまさに宮本作品の評価の幅広さを示している。ご本人はきっとそんな区別などは意識せずに書いておられるのだろう。エッセイなどをしっかり拝読すればどこかで明らかにされているのかもしれない。
「優駿」をワクワクドキドキの徹夜本として読んでしまった者として「この読み方は間違っているのだろうか」と考えてしまうこのモヤモヤ感。純文学を「楽しむ」ためにはやっぱり高度な技術を求められる、と実感する。愛書家としてこのレベルから脱却する日はやってくるのか。