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「可能性もあると見て、、、」

 以前からずっと違和感があった。ニュース原稿で多用される「・・・の可能性もあると見てさらに調べています」というやつだ。

 例えば。

 住宅火災で焼け跡から2人の遺体が発見される。「この家に住むお年寄りの夫婦2人と連絡が取れておらず、遺体はこの2人の可能性もあると見てさらに調べています」という。いやいや、普通に考えて「亡くなったのは住民のご夫妻だ」と思っているんでしょ?

 岸田首相を狙って投げ込まれた円筒状のものについて「手製の爆発物の可能性もあると見て」。そりゃ、みんなそう思うよね。

 言葉の使い方としてニュアンスの強い順に「と断定し」「と見て」「可能性が高いと見て」「可能性があると見て」「可能性もあると見て」といったところか。

 記事を書く側の心理として「まだそうと決まったものではない」「だから断定調にするのはまずいだろ」「でも、結局はそうなるんだろうな」「だからそのニュアンスは原稿に盛り込んでおきたい」「それなら弱い文章にして逃げておくのが無難だろう」と考えている。間違いない。長年にわたってそう思いながら原稿を書いてきた当事者(私)がそうだった。

 「当該ニュース項目においてこの要素は重要なポイントだから、盛り込みたい」という心理は視聴者(読者)に対する誠実な姿勢の発露だ。それなのに文章では「逃げを打っておき」「あとは察してくださいよ」「みんながそうやるのが当たり前だし、従っておけばいいや」というのは卑劣であり、甘えているのではないか。断定を避けたいなら「・・・と見て」でいいではないか。
(23/4/18)

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