「突然あらわれてほとんど名人である」
先日のnoteで積雪に備える心がまえについて書いた。
これを書いていて思い出したのをきっかけに向田邦子さんのエッセイを図書館で借り出して再読しているが、いやあ、これが上手くて、面白くて、ひっくり返ってしまった。
読んでいるのは「父の詫び状」。戦前から戦中の家族のあたたかい姿が活写されていて、なんともしみじみさせられる。幼いころからしっかりとした観察眼を持ち、それを記憶し、きれいな文章に残す。この能力のどれかひとつでも欠けていたらこんな文章は書けないだろう。
向田邦子については、コラムニストの山本夏彦が評した言葉が有名だ。「向田邦子は突然あらわれてほとんど名人である」。
すでに売れっ子脚本家だった向田さんなので「突然あらわれて」はなんとも失礼だ。しかし当時はテレビの世界と書籍の世界がいまでは考えられないほど“分断された遠い世界”だったのだろうなと思う。
台湾の飛行機事故で急逝されたとき、向田さんは51歳。直木賞受賞の翌年だった。生きていれば、まだまだ小説、エッセイに活躍されただろうが、ジェームズ・ディーンや赤木圭一郎のように早世したからこその輝きも感じられるのかもしれない。
向田エッセイの再読は何十年ぶりになるのか。若い頃も楽しんだように記憶するが、世間が大いにもてはやすことにちょっとした違和感も持っていた。しかし還暦になったいまはそのうまさが十分に理解できる。「こんな自分も本読みとしてしっかり成長してきたんだな」と実感する。
(24/2/23)