死ぬまでに見るべきもの
平家の武将・平知盛は、壇ノ浦の合戦でいよいよ平家が滅ぼうとした際に「見るべきほどのことをば見つ。今はただ自害せん」と言い残して海に飛び込んだという。私はことしの大河ドラマは観ていないし、そもそも源平時代を扱った歴史小説はあまり読んだことがない。それでも知っている名セリフ。誰がそれを聞いて後世に伝えたのか、そもそも本当にそう言ったのかまでは知らないが、とにかく潔い最期として印象に残る。
1000年も前の日本人にとって「見るべきもの」とは、どこまでの広がりがあったのか。欧米などの異国についての知識はほとんどなかっただろうし、そもそもアメリカは建国のはるか前だ。北海道や沖縄だって視野の外。月は見えていたとしても、それが太陽系第三惑星の衛星であることは知らない。
私は定年退職も具体的に見えてくるようなトシになってきた。海外旅行が当たり前の世代で、業務でも各国を飛び回った。感覚的に「その気になれば、世界中で行けないところなんてない」と思っていた。立花隆「宇宙からの帰還」を読んだ際には「死ぬまでには宇宙に行くことができるかなあ」とも思ったものだ。
いま、自分にとっての「見るべきもの」を考えてみると、「この目でオーロラを見る」「南極大陸上陸」「ナイアガラの滝」「タージ・マハル」などが思い浮かぶ。いずれも平知盛には想像すらできなかったものばかり。確かに、知識としての世界は大いに広がった。
その一方で。
「自分にとって “死ぬまでに見るべきもの”って、結局、観光スポットだけなのか」と思うと、ちょっとなさけない。「観光地ばかりをこんなに羅列しても、きっと、わざわざ飛行機を乗り継いであちこちへ出かけていくことはしないよね」という気分も。「全部見た」ときっぱり言い切った知盛の最期のカッコよさに憧れをおぼえるのだ。
(22/6/20)
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