【50日目】なぜ私は毎日noteを更新しているのか?
noteを毎日更新し続けて、50日目。
これから毎日書くぞ!と決意したあの日から、もう50日も経ったのか…と、何だか感慨深い。
そして、noteを毎日更新し始めて、最初の節目は30日目のとき。
そのときには、「自分が伝えたいこと」が明確になった感じがした。
あのときから更に、20日が経った今。
なぜ私は、毎日noteを更新しているのか?について、書き記しておきたいと思う。
・無理はしてないの?
私は1月から会社をお休みしているわけだけど…
仲良しのnoterさんである、ゆきなつちゃんに心配されたことがあった。
「毎日noteを更新することが、負担になってない?休んでもいいんだよ」
そんな風に心配してもらったことが、すごく嬉しかった。
そして、自分の胸に手を当てて考えてみる。
毎日更新することが、義務になっていないだろうか?
時を同じくして、夫にも「noteの更新を辞めて、ゆっくり休んだ方がいいと思うよ。」と釘を刺された。
noteを更新することは、私にとって負担になることなんだろうか?
本当に、無理はしてない?
改めて考えてみて、答えが見えた。
・私にとってnoteは「大切な居場所」
私にとってのnoteは、「大切な居場所」なんだと思う。
ときにnoteは感情を整理する場所となり、ときに私が「何かを生み出している」と感じられる心の拠り所にもなるのだ。
「無理はしてないの?」
という疑問を投げかけてくれた、2人に感謝している。
私にとってのnoteは何なんだろう?という答えにたどり着けなければ、もしかしたら今頃は息切れしてしまっていたかもしれない。
noteは、ごく個人的な日記のようなものでも、受け入れてくれる優しさがある。
私も誰かのありふれた日常が垣間見えるnoteを読むのが好きだ。
その人が、そこに確かに存在するんだという、体温を感じるからかもしれない。
そんな風に、人の温かみが詰まったnoteは、いつのまにか私にとって「大切な居場所」になっていた。
・今この瞬間の気持ちを封じ込める
毎日noteを更新し続けて、正直に言うと有益なことなんて言っていなくて。
その日その日に、思いついたことをつらつら書いているだけ。
だけど今、適応障害という診断を受けて、日々感じていることを書き綴ることも大切なことだと思ってる。
私は残念ながら、毎日日記を書くことは出来ない。
気付いたら、手帳は先週分の見開きページが真っ白だった。笑
喉元過ぎれば熱さ忘れる、じゃないけれど、今感じてる気持ちを後から振り返っても、それはホンモノじゃない。
ある感情は控えめに、ある感情は過剰に、思い出されてしまうかもしれない。
だから私は、「今」の気持ちをnoteに封じ込める。
同じように悩む人にとっては、仲間だと思ってもらえるかもしれないし、私も今の自分の気持ちを忘れたくない。
きっといつかまた読み返したときに、私は今この瞬間の気持ちを、思い返せるように残しておきたい。
・自分が何かを生み出している喜び
50日目を迎えて感じることは、「50日間、毎日文章を生み出し続けたんだ」という喜びだ。
仕事から離れ、家事と育児だけに専念している今、この喜びは心の拠り所になっている。
noteがあって、よかった。
今は自分のために書いているけれど、もっと読みやすく、誰かの心に響く言葉を届けたい、とも願っている。
誰かの心を、私の文章で動かすことができたら、それ以上の喜びはない。
だから私はこれからも、毎日noteを書き続けていこうと思う。
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