美術史第27章『バロック美術-後編part1-』
バロック美術の彫刻や建築の分野では17世紀にローマで活躍したジャン・ロレンツォ・ベルニーニが最も著名で、ベルニーニは若くして「プロセルピナの略奪」「アポロとダフネ」「ダビデ像」などを作成した。
また、ベルニーニは教皇のもとで光を使い彫刻と建築を組み合わせた様式を確立、多くの噴水彫刻を行った他、現在カトリックの総本山となっているサン・ピエトロ大聖堂の前の「サン・ピエトロ広場」を建設し、ローマの街並みを大きく変化させたとされる。
この時期のローマではベルニーニの他にも局面を多用する幻想的な建築を確立したフランチェスコ・ボッロミーニや、パラッツォ・バルベリーニの天井画で知られるピエトロ・ダ・コルトーナなどが活躍、バロック美術の建築や彫刻は彼らによって確立されていった。
一方、北方マニエリスムの時代だったフランドル地方では10年程度イタリアに滞在してミケランジェロなどの盛期ルネサンス美術やカラヴァッジオなどの初期バロック美術を学んだドイツ出身の画家ピーテル・パウル・ルーベンスがルネサンス盛期の解剖学的な人体表現とカラヴァッジオの光と影を明確に書き分けるような様式を組み合わせた独自の様式をフランドルの中心地アントウェルペンで確立した。
当時、フランドル含むネーデルラント一帯はスペインの領土となっており、当時はネーデルラントが独立しようとした八十年戦争も終結し、繁栄を取り戻していた時代であったため、ルーベンスはスペインの王妃のイサベルの画家として活動、「キリスト昇架」や「キリスト降架」などバロックの宗教画で最高峰とされる祭壇画を描いた。
他にもルーベンスはピーテル・ブリューゲルが確立した風景画を継承し数多くの風景画も残し、ルーベンスの助手であったアンソニー・ヴァン・ダイクは後にイングランドのチャールズ1世の宮廷画家として活動する様になり、細く柔らかい線を使った独自の華麗な肖像画技法を作りあげ、後の水彩画やエッチングに大きな影響を与えた。
他にもフランドルでは宗教画や神話画などを風俗画のような自然な状況に描いたヤーコブ・ヨルダーンス、ピーテル・ブリューゲルの息子でベルベットのような色調の絵や花の絵を多く描いたヤン・ブリューゲルなどが活躍した。