美術史第19章『ルネサンス美術-誕生編-』
15世紀、西ヨーロッパではゴシック時代にイスラム勢力との戦いの中で起こったイスラム勢力が持っていた古代ギリシャや古代ローマなどの科学・哲学の文献のラテン語大量翻訳の影響で、高い水準の教育が受けられる大学が誕生、実際に根拠を集めて事実を明かす現在の科学に比較的近いスコラ学のスタイルが誕生するなどし、モンゴル帝国の時代から争いが起こり衰退していっていた中東に対して、ヨーロッパが繁栄を開始した。
ゴシック美術の時代の14世紀初期のイタリアのフィレンツェ共和国の首都フィレンツェ出身の詩人、ダンテ・アリギエーリがフィレンツェ追放後の放浪の中で、キリスト教伝来以前の紀元前1世紀のローマの詩人ウェルギリウスをキリスト教の世界観の地獄と煉獄の案内人として登場させた「神曲」という小説を執筆、これ以降、古代のローマの文学を当時のキリスト教的な感覚に当てはめた復興、「ルネサンス」の流れがここで誕生した。
14世紀後期には同じくフィレンツェの文学者フランチェスコ・ペトラルカが「古代は人間性が肯定されていた理想的な時代でローマ内でキリスト教が国教となり広まって以降は暗黒時代である」と提唱した。
また、ペトラルカは古代ローマのキケロなどの影響を受けて修道院に保管されていた古代の文献を収集しラテン語による著述を行い、人間の生き方に関して模索を続け、これ以降、ペトラルカのように人間の生き方を模索する「人文主義(ヒューマニズム)」が誕生、多くの人文主義者が誕生、これ以降の哲学、文学、美術などのルネサンス文化はフィレンツェが中心となって発展することとなる。
ペトラルカ以後の人文主義者からは「デカメロン」で韻を踏まない文章の散文の小説、つまり普通の小説を確立したジョヴァンニ・ボッカチオ、古代ローマの文献を参考にルネサンスの建築や彫刻の理論を作ったレオン・バッティスタ・アルベルティ、ルネサンス文化を普及させた教皇ピウス2世、フィレンツェの指導者メディチ家の元に集まった人文主義者の集団プラトン・アカデミーの中からはプラトンなどのギリシア語文献をラテン語に翻訳したマルシリオ・フィチーノ、個人の尊厳を主張し始めたピコ・デラ・ミランドラ、政治を客観的に分析し現実主義を作り出したニコロ・マキャヴェリ、不完全な社会や政治を風刺した「ユートピア」を記したトマス・モア、カトリックに対して過激に諷刺し後のカトリックからのプロテスタント離脱に影響を与えたデジデリウス・エラスムス、カトリックとプロテスタント双方を批判したミシェル・セルヴェ、膨大な古典の知識や下らない話、教会などを批判した小説を書いたフランソワ・ラブレー、人間を観察し生き方を探究した「エセー」を記したミシェル・ド・モンテーニュ、地動説を支持し宇宙=神の考えを提唱したジョルダーノ・ブルーノなどが生まれた。
15世紀半ばの1453年に、トルコ系イスラム国家オスマン帝国のメフメト2世によりビザンツの首都コンスタンティノープルが陥落し、ギリシアやセルビア、アルバニアなどまで征服されビザンツが完全に滅亡すると、当時、パレオゴロス朝ルネサンスと呼ばれる古代ギリシア文化の復興文化を担っていたギリシャ人の知識人が、古代ギリシャや古代ローマの文献を持ってイタリアに亡命し、ルネサンスを一層発展させることとなった。
建築の分野ではフィレンツェの建築家フィリッポ・ブルネレスキがサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の円蓋建設を行うなどし、ギリシア・ローマ時代の遠近法やオーダーなど古代の建築技法を導入、今までのゴシック建築とは違う統一感のある様式を確立した。
これが、ルネサンス建築の元祖となり、ブルネレスキの確立した様式を受け継いだ同じフィレンツェのレオン・バッティスタ・アルベルティにより絵画、彫刻、建築の三つの美術の様式がそれぞれの絵画論、彫刻論、建築論の書物で纏められ、フィレンツェからルネサンス美術がヨーロッパ各地に広まっていくこととなった。
また、この頃には商業で成功した豪商達が政治を取り仕切るようになっており、その中で豪商の邸宅パラッツォが多く建設され始め、このパラッツォにブルネレスキの様式が用いられる事でルネサンス建築は普及していったとされる。
彫刻の分野では宮廷向けの豪華な装飾を施した国際ゴシック様式ではなく、人体を力強く写実的に表現した作品が多く登場、ルネサンス建築の始祖ブルネレスキなども彫刻を行い、その中でもフィレンツェのドナテッロは、同じくフィレンツェの職人であるロレンツォ・ギベルティが彫刻に導入した遠近法を用いて、古代ローマ的な作風を持った数々の傑作を生み出した。
結果、ルネサンスの文学や哲学の分野の中で起こっていた古代ローマ・ギリシアの文化の復興という要素が色濃くなった、つまりより古代の彫刻を目指す傾向が強くなっていくこととなり、ルネサンス彫刻の様式がドナテッロにより確立、ドナテッロの彫刻様式を継承したアンドレア・デル・ヴェロッキオやミケランジェロ・ブオナローティらも多くの傑作を生み出していった。