美術史第29章『ロココ美術』
18世紀、輪作と囲い込みにより農業生産が飛躍的に上がった「農業革命」、それに続き製鉄業、綿織物の技術革新、蒸気機関の発明によって起こった「産業革命」がイギリスで発生し、ヨーロッパ全体で国の利益を増やす事を重視する重商主義の考え方が広まった事で、激しい貿易競争が勃発した。
これにより貿易大国オランダが廃れ、イギリスとフランスが力を持ち植民地で激しい戦争を行い、当時弱体化しつつあったムガル帝国、オスマン帝国、大清帝国などアジアの超大国にヨーロッパ諸国が進出していった。
その一方で、この頃にはトマス・ホッブズ、ジョン・ロック、シャルル・ド・モンテスキュー、ジャン=ジャック・ルソー、ヴォルテール、ドゥニ・ディドロ、ニコラ・ド・コンドルセなどの登場により、自然権、平等、社会契約説、人民主権などの概念が生まれ理性と思考の普遍性を主張し人間の解放を求める啓蒙思想が広がるなど思想の面でも大きな変化を遂げており、プロイセンやロシアなど君主が主導して啓蒙思想を広め、国を発展される事もあった。
この時代のフランス王ルイ15世のフランス宮廷から始まりヨーロッパ各地に波及した美術がロココ美術で、ロココという言葉はバロック美術の庭園に使用されていた貝殻で装飾された岩組のことを読んだロカイユに由来し、後の時代に退廃的な様式であるとして使われたものが時代の名前として定着したものである。
ロココ美術の時代、美術は大きく進歩していたといえ、建築の分野ではギリシア美術、ローマ美術への関心が高まり、アンジュ=ジャック・ガブリエルによる小トリアノン宮殿を建築、18世紀後期にはヴェネツィアの画家・建築家ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージがローマ教皇の支援を受け古代の遺跡や景観を研究しそれを細密な版画で描いており、これらは後の新古典主義美術の時代のきっかけとなる。
工芸の分野では家具、金属加工品、服飾品、陶器など各分野でレベルの高い作品が作られる黄金時代とも言える時代を迎えており、特にドイツの都市マイセンで作られる中国から輸入されてきた白磁を再現したマイセン陶磁器が繁栄、一方、彫刻の分野ではジャン=アントワーヌ・ウードンなどが活躍したが大きな繁栄は無かった。
絵画の分野ではバロック絵画とは違う曲線的で装飾的な様式が誕生、フランスのヴァレンシエンヌ出身の18世紀初期の画家アントワーヌ・ヴァトーにより「シテール島の巡礼」のような歴史画や宗教画とは真逆と言える男女の駆け引きなどを描いた風俗画フェート・ギャラントもとい雅宴画が確立されるとこれが多くの画家に描かれ始めた。
18世紀後期にはフランス貴族のポンパドゥール夫人の庇護を受けたパリの画家フランソワ・ブーシェにより官能的なフェート・ギャラントを確立、これもヨーロッパ中に広まり男女の関係を描いた絵画はロココ美術最大の特徴となり、これらの様式は「ぶらんこ」「読書する娘」などの作者でロココ美術の代表的な人物であるジャン・オノレ・フラゴナールなどに受け継がれた。
その一方で、ロココ美術の時代には家族的なテーマの絵画も人気となり、パリの画家ジャン・シメオン・シャルダンやトゥルニュ出身のジャン=バティスト・グルーズなどにより市井の人々の様子を描いた人物画や、民衆の家庭の一部を切り取った静物画などが多く描かれた。
また、フランスでは18世紀中頃からは定期的に王立絵画彫刻アカデミー主催のサロン・ド・パリのような美術展覧会が開かれ始め、美術品が不特定多数の人間に見られるようになったため、ダランベールと共に「百科全書」を編纂した事などで知られるドゥニ・ディドロなどが美術の批評を行い始め、絵画を売る画商もこの時期に増加してきたため、支援を行うパトロンと芸術家の関係性が大きく変化した。
ロココ美術の初期、ルネサンスの中心地だったイタリアではヴェネツィアの画家ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロが登場し、白を基調とした明るい壁画・天井画を制作し、重苦しい雰囲気の無いこの様式はヨーロッパ中で高く評価された。
これにより今まで美術の歴史にほとんど現れなかったイングランドではヨーロッパ本土の美術が本格的に輸入、絵画技法が飛躍的に向上し「青衣の少年」の作者で肖像画家として大きな活躍をしたトマス・ゲインズバラ、王立芸術院の初代会長で歴史画を絵画の頂点と考えて絵画を作成したジョシュア・レノルズなどが活躍、後に訪れるイギリス美術の黄金時代へと進んでいった。