僕は宿題をやらないことにしました
夏休みが始まって、もう2週間が過ぎようとしています。
始まってすぐ、息子は予約していた昆虫博の講演会を聞きに行き、その後はサマーキャンプに参加し、3泊4日の野外活動を思い切りエンジョイしてきました。
しばらくは疲れもあるだろうし、気ままに過ごしてくださいね、という気持ちで見ていましたが、本当に毎日好きに過ごしています。
こんな感じで毎日が過ぎていき、普通なら「そろそろ・・・勉強を」という言葉が口から出そうになりますが、今回の夏休みは、息子とある合意をしているので、何も言えません。
それは、
夏休みの宿題をやらない
ということ。
これはどういうことかというと
夏休みが始まる直前、知り合いから「夏休み、楽しみだね!」と声をかけられて、悲しそうにうつむく息子の姿がありました。
彼は、自分がやりたいこと、楽しみにしていること以上に、宿題があることを気にかけていました。
そして、宿題をやらなければいけない、と考えると、せっかくの休みの気分が萎む、というようなことを話していました。
なぜ、宿題をしなければいけないのか。
なぜ、「休み」というのに勉強しなければいけないのか。
去年までは、一応ドリルは全部やって、最後に絵日記だけずるずると引き伸ばし、ついに始業式を迎えたりしたのですが、今年はドリルの最初の1ページをやってあるだけ。
自由研究は、大好きな虫をテーマにいくらでも考えつくようですが、その他の1行日記などは、用紙すら見ていない。
「しゅくだい、やりたくない」
と繰り返し訴える息子をみていると、
去年のある光景が思い出されました。
月曜の朝「学校に行きたくない」と言い出し
暗い目をして布団をかぶる。
「面白くない」
「行く理由わかんないよ」
「とにかく行きたくないんだよ」
無言の訴えに対して、こちらがいくら説得や懐柔を試みても無駄。
ああ、この人のスイッチは、本人にしか押せないんだよなあ。
とりあえず、息子の気持ちに寄り添いつつ、
宿題=嫌なことやりたくないこと
< やってもいいこと
にわずかでも傾くのを待つ、という戦法をとろうと思ったのですが・・・
ダメだわ。全身から暗黒モードが漂ってるわ。
このモードが夏休み中ずっと続くのは、避けたい・・・
そう思った私は、こんな提案を口走っていました。
「夏休みの宿題、やる意味わからないんだったら、先生に聞いてみる?」
ええ❢ ヤバい親
そう思われるでしょう。
でも、この言葉で彼の緊張が緩んだのがわかりました。
「やらない」選択肢を受け入れてもらえたと感じたのでしょう。
もちろん、実際に聞いてみるのは別問題。
悩みましたが、恐る恐る学校に電話すると
「あ、先生は夏休みでしばらく登校されません」
・・そう。良かった。
先生にだって家族がいて、思う存分夏休みを楽しみたいよね。
次に提案したのは、なぜ宿題をやりたくないかについて「手紙を書く」こと。
作文とか、自分の思いを言語化するのが苦手な息子には、ちょっとハードルが高いかもしれない。
てゆうか、むしろそっちの方が、ドリルやるより大変じゃん!
いまのところ、手紙には『僕は宿題をやらないことにしました』しか書かれていないけれど・・
大人だって、なかなか自分の本当の思いを文章化できない、相手に伝わらないってこともいっぱいある。
彼が今、伝えられる精一杯を模索しています。