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【広告本読書録:091】東京物語

奥田英朗 著 集英社 刊

あなたは奥田英朗の『無理』『邪魔』『最悪』を読んだことがありますか?既読の方ならわかるとおもいますが読んでいる間、寝不足になりますよね。それとも徹夜してイッキ読みした?わかります、その気持ち。

つまり全米が泣いたのと同等のレベルで超絶面白いクライムサスペンスの名手が奥田英朗さんなのです。

一方で読書家のあなたなら「いや奥田英朗はサスペンスだけじゃねーだろ」とおっしゃることでしょう。はい正解。そのとおり。

上記の三作以外に『マドンナ』『ガール』といった働く男と女のリアルをコミカルに描いた作品や『空中ブランコ』『イン・ザ・プール』などの精神科医・伊良部シリーズ、平成の家族シリーズなど幅広いジャンルでいくつもの佳作をものにされています。

今回の広告本は、そんな奥田英朗さんの『東京物語』です。なんで流行作家の小説が広告本なの?とおもわれるかもしれません。が、実はこの本には昭和の広告制作の現場がみずみずしい筆致で再現されているのです。

しかも主人公であるコピーライターの駆け出し時代、中堅時代、ベテラン時代それぞれの仕事ぶりやプライベートでの出来事が時代の移り変わりとともにリアルに記録されているので、当時の広告業界や社会がどうなっていたのかが手にとるようにわかります。

いま、当時の、といいました。しかし広告制作の現場で悶え苦しみつつ成長を遂げようとするヤングの感覚はいまも昔もそんなに変わっていないのではないでしょうか。

ぼくみたいなロートルには「懐かしいなあ」。現役クリエイターには「なんだ昔からこうなのね」。これからのホープには共感または予習みたいな切り口で楽しめる一冊ではないかとおもいます。

奥田英朗さんは1959年、岐阜県生まれ。ちょうどぼくの10コ上で同じ東海地方出身ということもあり勝手に親近感を抱いています。作家としてデビューされる前はプランナー、コピーライターとして活躍されていました。

この『東京物語』は18歳の主人公、田村久雄が名古屋から上京し、バブル景気に向かう時代の波にもまれながら成長していく青春グラフィティです。

大学進学で単身上京するもすぐに寂しくなり同郷の友人らを尋ね回ったり、大学では演劇サークルで小さな恋をしたり、という1978年、1979年の章も甘酸っぱい味わいがあります(特に地方出身者にとっては)。

が、ここで紹介したいのは大学中退して紛れ込んだ代理店での駆け出し時代の章、そこそこ仕事ができるようになって調子に乗っちゃう時代の章、そしてフリーランスとなり怪しい仕事に片足をつっこんでいる時代の章です。

1980/12/9…駆け出し時代

家庭の事情で大学中退を余儀なくされた久雄が転がり込んだのは「新広社」という広告代理店。代理店といっても本編を読む限りでは孫請け制作プロダクションに近いんじゃないかなとおもいます。

社長は30代のデザイナーで、総勢5名の陣容。全員が寝袋をキープしていてたいてい誰か1人か2人は泊まり込んでいる。久雄も4日間風呂に入っていなかった。会社はマンションの一室だが風呂場は暗室に改造してある。

ほら、このあたりの描写ですでにオールドクリエイターのおじさま、おばさまは胸アツじゃないですか?っていうかこれオレのことじゃん!ってぼくはおもいました。さらに久雄が家に帰った理由におもわず共感です。

急ぎのコピーの仕事があったので少し悩んだが、このまま悶々と悩んでいてもいいアイデアは浮かばないだろうと、自分に言い訳して終電で帰宅したのだ。もっともいまとなっては後悔している。風呂に入ったからといって状況は昨夜とまるで変わっていない。久雄はいつもこんな都合のいいことを考える。湯船に浸かっているときに何かコピーを思いつくのではないか、ベッドに転がって天井を見ているうちに何か素晴らしい言い回しを思いつくのではないか。そして思いついたためしがない。

これはもう全コピーライター、プランナーが一度や二度はやってることですよね。これから広告制作の仕事に就こう、とおもっているそこのヤング。もうこれは何百年も前から同じことが繰り返されている鉄板なので、キミも必ず同じ目に遭いますからね。

この会社で久雄はオーディオの広告をつくっています。新しいカセットデッキ(しかも懐かしのダブルデッキです)の宣伝キャッチに頭を悩ませる久雄。元請けの中堅代理店のCDに何度も何度もダメ出しされているうちに締め切りが近づいてくる。にもかかわらず、さまざまな雑務とトラブルで全然コピーに取りかかれない。焦る久雄の冬の一日が描かれています。

この章のタイトルは『あの日、聴いた歌』ですが副題として『1980/12/9』とあります。1980年の12月9日はジョン・レノンが射殺された日。久雄はこの悲報をスタジオからの帰りのタクシーで耳にします。

そして事務所に戻り、出入りのイラストレーターとその話題でひとしきり盛り上がったのち、彼がいまレコード屋で買ったというジョンの新作を目にします。それが『ダブル・ファンタジー』でした。

結局、夜10時になってCDから督促を受けた久雄は、このタイトルをキャッチコピーに拝借します。ダブルカセットデッキのキャッチに「ダブル・ファンタジー」。ううむ、できすぎのような気がしますが、果たしてこのコピーはCDのお眼鏡にかなうことになるのでしょうか。

1981/9/30…そこそこ出来る君時代

新広社で経験を積み、ちょっとした自信もついてきた久雄。すっかりコピーライターの仕事が気に入ったようです。弱冠21歳にして部下もつきました。久雄より年下のふたりと、同い年のひとり。

この部下に対する久雄の当たりが、まあ、仕事の調子がいいときのヤングにありがちなんですが、キツイんですね。これがうんと年上で大ベテランとかならまだわかるんですが、先に入社していたからといって同い年とか一個上ぐらいで先輩風を吹かれるのはおもしろいものでもないはず。

ま、とにかくこの頃の久雄は天狗です。いまや大ベテランのみなさんも、そんな時期ありませんでしたか?

広告コピーはたいていウエストの西条氏からチェックを受ける。昨夜原稿を届けておいた。ちょっと斬新で辛口のコピーを書いてみた。西条氏の反応を楽しみにしていたのに。
パンフレット用のコピーを練った。コツを習得したのでもうお手のものだ。いつか糸井重里みたいになったりして。そんなことまで空想する久雄の今日このごろだ。

こんな調子ですから、それはもう周囲への要望も富士山より高いわけです。みんな自分とおなじぐらい仕事ができるとおもっちゃうんですね。で、できないとクズだ、アホだ、とけなすわけです。

そのうち事件が連続で起きます。元請けから嫌味を言われたり、オーディオ評論家からクレームを受けたり、写植屋から級数指定がむちゃくちゃだと苦情がきたり。これらすべて久雄の部下の仕事が招いたトラブルです。

頭にきた久雄は残酷なまでに冷たい態度で部下を詰めまくります。

まったくもうどいつもこいつも…という気分で会社に戻ると、社長からちょっと話がある、と呼ばれる久雄。後輩を叱っていることを窘められます。社長いわく、俺も若い頃は他人に厳しかった、自分と同じ能力を他人にも求めていた、と。

後輩に対してあれもできないこれもできないなんて考えるな。発想を変えろ。ああ、こいつはこういうことができるんだ、こういう取り柄があるのか、そういうふうに考えろ。いいところを見てやるんだ。

これ、いま部下をお持ちの方ならなんとなく「おお、最近忘れてた…」と目が覚める一節じゃないですか?社長は「後輩に遠慮はいらん。でも配慮はしろ。褒めること、労ること。いいな」となかなかの名言を吐きます。

そして天狗の鼻が折れた久雄にさらなるボディブローが見舞われます。元請け代理店CD西条氏からの呼び出し。西条氏のオフィスで久雄は前夜に届けたシステムコンポのコピーについて、強烈なダメ出しを受けます。

どうやら久雄の最近のコピーは、コピーライティングという仕事に乗じて世の中にひとこと言ってやろうとか、俺にいわせればこうだとか、そういう功名心が透けてみえるものばかりだったそうです。調子に乗ったコピーライターがやりがちなヤツ。ぼくもそんなときありました。

そのことを西条氏からガツンと言われた久雄。

ぼくは君の会社の上司じゃないから、こういうことは言うべきではないかもしれない。けれどももう一年半の付き合いだ。ときには冗談も言いあう仲だ。他人行儀でいることもない。だから言う。いい気になるな。

透き通った西条氏の言葉に返すこともできず、ただただ打ちひしがれる久雄です。

でも、いまあらためておもったんですけど、こういう風にハッキリと進言してくれる大人って、最近減っちゃってませんか?

っていうか大人ってぼくのことなんですけどね。

ここのところヤングを相手に妙に気づかってしまい、説教することがグッと減っています。パワハラとか老害とかいわれるのを避けて、物わかりのいい大人を演じている。それって、あんまりよくないのかもしれないですね。ただの保身でしかありません。

老害は老害としてきちんと老害らしく老害を撒き散らすべきなのかも。

要は信頼関係と言い方なんですよね。この物語の西条氏のように、ほんとうに相手のことを思っていうべきことをいう。ちょっと最近できてなかったなと反省です。広告業界なんて特に、こういう上と下の関係が連綿と続くことでいろんな知見が継承されていくというのにねえ。

1989/11/10…フリーランスバブル時代

さて、久雄が上京して11年、社会に出てから9年の月日が経ちました。30歳の久雄は独立し、カメラマンとデザイナーの三人で恵比寿に共同事務所を構えています。住まいは1LDKのマンションで家賃15万円、駐車場は野ざらしなのに5万円。愛車はルノー5で自動車電話なんかつけてます。おお、なんという出世ぶり!ザ・バブルのギョーカイ人ですね。

なぜそんなに羽振りがいいかというと、当時の現場をご存知の方ならわかるとおもいますが、不動産絡みの仕事をしているからなんですね。久雄のお得意先は『世界土地開発』。そうです、いわゆる地上げ屋です。

バブルのころは不動産屋、地上げ屋にカネがうなるほど集まってきていました。銀座で一晩に100万も200万も使う社長がわんさかわんさといたんです。世界土地開発の社長、郷田もそのご多分に漏れず、都心の土地を買い漁り、大手に納めては法外な利ざやを得ています。

ちなみに郷田のところでは企画書を出すたびに数十万円を口座に振り込んでくる。一度、会議に出席してはったりをかましたらそれだけで20万円をくれた。以来、請求書の数字はいつも強気だ。頬がゆるみっぱなしの二十代最後の秋である。

ちなみにぼくもプロダクション時代はプレゼンフィーがもらえていました。プレゼンに参加するだけで10万から30万ぐらい。結構豪華なカンプとか作るので実費と言えなくもないのですが、それでもプレに負けることもあるのである種の保険として重宝したものです。

そのプロダクションのメインのクライアントは、そうです、不動産でした。そしてサブは自動車。それも輸入車です。いずれもバブってました。いまプレゼンフィーは?なんていったらその時点で出入り禁止でしょうね。

話を戻します。

まさにバブルと寝た男と形容できそうな郷田ですが、それでもやはり無理があるようで情緒不安定気味です。ほんの少しの判断ミスで数十億もの損失をうむ世界で生きていれば仕方ないことなのかもしれません。

そのあたりの描写は本当にリアルで、奥田さんご自身が経験したことが多分に含まれているんだろうな、とおもいます。

この章で久雄は郷田に対して会員制クラブの企画、CIとVIを提案しています。神楽坂に作る大人の社交場、その名も神楽坂倶楽部。東京の隠れ家というコンセプトで古い日本家屋を模したフロアを設えるというものです。

ターゲットは田舎の成金オヤジ。最初、交詢社に匹敵する紳士の社交クラブというコンセプトでした。しかしプレステージの高い会員制クラブよりも地方の実業家を対象にした「東京の会員制クラブのメンバー」のほうがステイタスがあり、大金を積んでも手に入れたいものだというのが郷田の考え。

これ、非常にありだな、とおもいます。クリエイター気取りで鼻息荒くしているプランナーは絶対に前者を推してくるでしょう。しかし実際に人が集まり、カネが動くのは多少下品でも後者のプランです。

さすが郷田。百戦錬磨の経営者です。久雄は最初こそ抵抗していましたが、よくよく考えて郷田の案を受け入れます。このジャッジ、めちゃめちゃ賢明ですね。名古屋から出てきてキャンディーズのコンサートを後楽園球場の外で聴いていたあの久雄も、ずいぶん立派な大人になりました。

読者は読み進めるにつれ、久雄の成長を目を細めながら見守ることになります。と、同時に自分自身におもいを馳せるはず。そういえば自分にもこういうときがあったな、とか、自分はここまでがんばれたかな、とか。

ここに青春小説の味わいが眠っているんですね。

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と、いうわけで1980年から90年にかけての10年間、広告業界で明日を夢見る若者がどんな日々を送っていたのか、非常に興味深く知ることができる『東京物語』。広告本としてはもちろん、もともとの青春小説としての出来栄えもピカ一なのでぜひ手にとっていただきたいです。

そして、さすがにこれは言わずもがなですが、主人公の田村久雄は奥田英朗さんの分身ですね。豊崎由美さんのあとがきを引用します。

次の一行へと向かわせるこの一行の魅力やディティールをおそろかにしない文体は、幾度も書き直しをさせられたコピーライター修行時代に培われたもので、自分以外の誰かをステロタイプに陥らない生きた人間として立ち上げる客観性は「モノを創造する側の人間が自分に夢中になっては困る」と叱られた生意気盛りの失敗を今も忘れないからで、様々な人間の本性を見抜く眼力は二十年近くもの間、広告業界で大勢のいろんなタイプの人間と真っ直ぐ向き合ってきたからこそ身についたのだということ。

そう『東京物語』、いやすべての奥田英朗作品はコピーライターやプランナーにとって文体から、モチーフから、ストーリーからその全てがお手本になる素晴らしい『広告本』だと言えるのです。

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