【広告本読書録:024】広告の迷走~企業価値を高める広告クリエイティブを求めて
梶 祐輔 著 宣伝会議 刊
黒バックに浮かび上がるチンパンジーの横顔。非常に印象的なブックデザインが施された、広告業界の巨人、梶祐輔さんの著作であります。
それがあなた、たった5円から手に入るなんて…つくづくいい時代になったもんだ、といいたいところですが、果たして本当にそうだろうか。そんな風に広告に限らず世の中の、時代の流れぜんたいに対して「ちょっと待て」と思わず考えさせられてしまうような読後感が、この一冊にはあるんです。
広告界の巨人、梶祐輔
ここで少しご紹介。梶祐輔さんは電通を経てフリーに、その後日本デザインセンターの設立に参画された、日本のコピーライターの草分け的存在です。主なクライアントはアサヒビール、トヨタ自動車、野村證券など。ぼくが個人的に好きなコピーに「ビールつくり三代」(アサヒビール)そしてクリエイティブ・ディレクターとして関われた不朽の名作「白いクラウン」(トヨタ自動車)があります。
ま、詳しくはwikipediaをご参照いただくとして(そんなに詳しくない)
やはり巨人を巨人たらしめているのは「白いクラウン」でしょう。これこそビッグコンセプト。世の中の価値観をピボットするアイデアです。いま見直しても惚れ惚れしますよね。
それまで黒塗り、公用車のイメージが強かったクラウン。それが時代と景気の後押しもあり、広く一般のマーケットまで売れる(売る)意思を持ったトヨタ自動車のオリエンに対して、たった6文字で満額回答を果たしました。
そして、これは梶先生が自著でも書いていることですが、海外の人からすると少し首をかしげたくなるぐらい、日本では白い車が販売流通しているが、それにはこの広告が少なからず影響している、とのこと。まさに一広告というよりも社会現象だったわけです。
(画像は日本デザインセンターHPより引用)
まったくわからない、と嘆く巨人
そんな巨人が著したこの本、いったいどんな内容なんでしょうか。タイトルは『広告の迷走』ですが、サブタイトルには『企業価値を高める広告クリエイティブを求めて』とあります。迷走しつつも巨人は希望をお持ちである、と?かいつまんで説明しますと…
まず巨人は(野球の話みたいですね)「商品を売るのが広告」という日本の広告業界に流れる定説を否定するところからはじめます。その説を支えるロジックとして、アドバタイジングとプロモーションの境界が曖昧であること、広告予算と販促予算では雲泥の開きがあること、日本のTVCMが15秒スポット全盛になってしまったこと、長期的経営ビジョンと広告が連動していないこと、そして高度消費社会による成功体験の呪縛から逃れられていないことを挙げています。
さすが広告の歴史とともに歩んできた巨人。そのひとつひとつに実体験からくる重たい説得力がのしかかってきます。読んでいるこちらの息が詰まりそうなほど。
さらに巨人はテレビの急成長と視聴率至上主義、差別化が図りにくくなった商品、有名タレント依存症、などなどを挙げ、ますます広告が効かなくなっている現象に警鐘を鳴らし続けます。
やがて巨人の舌鋒は新聞広告の体たらくぶりに及びます。しかしどこか新聞というメディアに捨てきれぬ愛があるようで。期待は捨てていないようです。「新聞広告よ、もっと自分の想いを語れ」という小見出しからもそれはうかがえます。
どうやら巨人は商品を売る広告はやめて、企業イメージ、もっといえばブランド広告を打ち出すべきである、と。そしてその舞台にふさわしいのは新聞をおいてほかにない、と。とはいえ昨今の軽佻浮薄なブランドブームにのっかることなく、しっかりと本質的なところで語り給え、と。そのようなことをおっしゃっているのでありました。
しかし、最終章の文末に目をやると、巨人、すっきりしていない。こうあります。
わからない。
ぼくには、まったくわからない。
なにがわからないのでしょう。
2000年から語られている現代の課題
この本の初版が出たのは2001年9月であります。つまり書かれたのは2000年前後ではないかと思われます。巨人がこのとき、筆をとってぼくたちに伝えたかったこと。そこにはなかなか恐ろしい未来予想が含まれていました。あ、予想したのは巨人ではないのですが。
あまりにも怖いので長いですが引用します。『One to Oneマーケティング』という本からの引用の引用です。
ひとり一人の個人に特別に編集された情報が毎日届けられるというコンピュータ化されたニュース・サービスを受けていると、失業や国内の経済問題についてのニュースを読む一方で、エイズやホームレスの問題には目を向けたくないという状況も生じる。しかし、<自分だけ>のニュースのなかで、関心がない、あるいは触れたくない話題から目を反らし続けると、それらの問題はそれほど気にかからなくなる。そして、そのうち問題の存在すら忘れてしまうようになる。
あれ?これってみんな大好き『グ●シー』とか『スマ●ュー』とかのキュレーションメディアのこと言ってない?さらに続きます。
しかし未来社会においては、人々は情報の流れを自らの手で断ち切ることが可能になる。政治的に分断された派閥のように、ネットワークによって結びついた同じ考えを持つメンバーだけによって構成されたグループに結集することになるのである。その結果、反対意見や思想からはまったく隔離された立場に立つことによって、それらを耳にする機会すらほとんどなくなる。異なる意見を耳にする機会がなければ、たとえ離れた場所で目には見えない反対派が猛烈な議論を展開しているとしても、それが多数派の意見であったとしても、一見して対立しているようには見えない意見に対しては、全く反応を示さなくなってしまうのである。
確かに、これ、心当たりありますよね。巨人も非常に恐ろしいこと、として、あまりにもパーソナルな情報の流れだけに未来を託してはいけないのではないか、と語っています。
そこから、オワコン扱いされかけているテレビや新聞などの「マス」媒体はその役割を終えるどころか改めて存在意義や価値を提示すべきではないか、とつなぎ、同じことは広告にも当てはまると結ぶわけです。
その、未来の、21世紀の広告がどんな怪物に育つかは、だれにもわかっていない。そして当の巨人自身も、わからないというのであります。
巨人が没したのはいまから10年前。2009年までの10年足らずは、その足跡を巨人も見届けることができたのですね。しかしそこからの10年間は巨人にとって識ることのできない世界。ではこの10年でどれだけ広告が変わったでしょうか。実際に比べてみることにしました。ひまだから。
手元にまとまった広告の資料がない(!!)ので、大変視野狭窄になってしまいますが『ブレーン別冊 サン・アドの本』(これはこれでまたあらためて取り上げます)から2009年の広告をピックアップします。
「美食の友 黒烏龍茶」(サントリー黒烏龍茶)
「ルハ!」(横浜モアーズ)
「KAKU YOKOHAMA」(サントリー角瓶)
果たしてこれをもってして2009年の広告である、といっていいものかどうか甚だ自信がございません。が、しかし、いままさに手元にある資料のなかで2009年とクレジットされているのは上記3点のみでござる。
ま、2009年って08に起きたリーマンショックの余韻につつまれまくっていて日本中、いや世界中が縮こまっていた時期ではありますけどね。
で、一方2019年。今年ですね。どんな広告が出てきているかというと…ふふふ、新しいヤツならわかるぜ。中でもギンギンに新しい『ブレーン11月号』今月の注目広告からいくつか紹介しましょう。
「人間まるだし。」(NETFLIX/全裸監督)
「次は、カーブでいきましょう」(ユニクロ/カーブパンツ)
「かあちゃん、楽しい夏休みをありがとう。」(オイシックス・ラ・大地)
こう、なんていうか、キャッチだけ抜き出すとよくわからない感は10年前もいまも一緒ですね。広告する商材やサービスの違いはありますが、なんというか、巨人が震えて眠るほどの化け方はしているようなしてないような…。
企業広告の芽は出てきている
ひとつだけ、巨人を安心させる材料があるとしたら…ぼくはマス広告の最前線にいるわけじゃないので正確なことはわからないのですが、少しずつ、広告、とくにテレビCMや新聞広告を打てばそれで商品が売れるという認識は変りつつあるんじゃないかと感じています。
それは、巨人も恐れたインターネットの台頭によるものですね。巨額のお金が動くマス広告はその目的が以前よりも足の長いもの、息の長いものへと変りつつあり、直接の販売はネット広告に頼るようになってきている。そんなふうにおもうんです。
実際に、新しい地図のふたりを「ミノキ兄弟」として起用したデーハーなプロモーションで有名なアンファーなんかもECでの売上が大きいそうですし、いま販売戦略からWebというチャネルは切っても切れない関係になっています。その傾向が加速すればするほど、じゃあテレビの役割は?新聞の目的は?ってことになりますよね。これ、ぼくはいい傾向ではないかと。
また、予算はないのでマス広告を打つには至らないのですが、ぼくの周辺のスタートアップ企業は、お金がない、人がいない、知名度がない、というナイチンゲール。しかし理念があります。ビジョンがあります。
巨人がこの本で声高に語っている経営者の「熱い想い」が、そこにはあるんです。唯一の経営資源といってもいい。そこにぼくなんかは呼ばれてなんとかしろと言われるんですが、そのときに企業ブランディングの重要性を説くと、ものすごく理解していただきやすいんですね。
で、なんどもいいますがマス広告では展開できませんが、経営トップの熱い想いをコーポレートスローガンにしたり、ミッション・ビジョン・バリューにしたり、あるいはそこから分解してサービスのPRフレーズを創ったりします。これこそ、巨人がマス広告のステージでやるべきだ、と提唱されていたことではないかと。
経営者の想いを一行に凝縮したフレーズで、優秀な人材が採用できることもある。サービスをちょっと使ってみようかなと思われることもある。定着率の向上にも、社員のモラルアップにもつながる。
こういう、決して『ブレーン』や『宣伝会議』や『TCC』とかに取り上げられることはないけれど、地道な世界で機能するブランディングを継続してやっていると、その会社が大きくなって市場で影響力を持つようになったとき。あるいはその経営者がビッグな存在へと成長を果たしたとき。
巨人が懸念するような企業と広告の関係性は、いくぶんかは見晴らしのいいものになるんじゃないか、とおもうのです。
(おしまい)