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【広告本読書録:029】活字で読むデザインマガジン クリネタ

長友啓典 編集 株式会社クリネタ 発行

今回は雑誌です!しかもけっこうマニアックな専門誌『クリネタ』でございます!クリネタとはアートディレクターの長友啓典さんが創刊したかなりマニアックなデザインマガジンです。

密林のサムネに利用したのは長友啓典さん追悼の最終号ですが、ぼくの手元にあるのは創刊間もない第2号です。

長友啓典さんといえば、もうそれだけでnote何回分もかかるぐらいエピソードが多いアートディレクターです。イラストレーターの黒田征太郎さんと設立した「K2」の社長として、長らくエディトリアルデザインのステージを中心に活躍なさっていました。

曰く「経費が使えるってんで毎晩銀座でガーッとね。やりすぎたね」ひと晩で数千万なんてウワサも。曰く「酒場で『おーい、仲畑』と声をかけてきたのが友さんだともう諦めるね。今日は終わった。朝までだ」と仲畑貴志談。

その豪快なキャラ同様、人柄がにじみ出るレイアウトやデザイン、装丁で広く愛されたアートディレクターでありました。

その長友さんが、はて、なんで雑誌なんかを?

活字でしかわからんことって、仰山ある!

これは第2号の表紙に書いてあったフレーズです。まさにここに、長友さんがいいたかったことが込められているんじゃないでしょうか。表紙にはさらに「オシャレデザイン誌」は多い。しかし「オモロイデザイン誌」は少ない。とか、本屋さん!創刊号と並べて頂戴。といった香具師の口上みたいなキャッチが散りばめられていて、なにこの賑やか感?という印象。

思わず手にとってみると巻頭に

パ ッ と 買 え ! 長友啓典

なんてひとをくった…と思わず笑ってしまいました。さすがエディトリアルの鬼。雑誌のページをめくる、という行為を知り尽くしてのギミック。

デザインマガジンなので、図案系の話が中心だとおもいきや、そんなこともなく。とてもバラエティに富んだラインナップです。目次をひろってみましょう。

クリネタ名物アンケート「いま、会ってみたい人は誰ですか?」
「拝啓、お師匠さま」
証言「広告人、開高健」
稀代とは、何だ?
牧村憲一『渋谷系ミュージック』の企画と仕掛け
……and more

デザインマガジン、と銘打ってはいますが、範囲は広め。アートから、コピーから、酒から、音楽から、と長友さんらしい盛りだくさんの文化系コンテンツです。

名物アンケートの「いま、会ってみたい人は誰ですか?」ではレジェンドコピーライターの秋山晶さんからデザイン界のスーパースター佐藤可士和さん、東京パノラママンボボーイズのパラダイス山元さんまで、これまたコンテンツの幅広さに負けず劣らずのバラエティ豊かな顔ぶれ。

これ、おそらくですが長友啓典さんの顔の広さと比例しているんでしょう。

アンケートの中身についても少し触れたいと思います。せっかくなので、コピーライターに絞って紹介します。

秋山晶さんが一度でいいから会いたい、とおっしゃるのは『フェデリコ・フェリーニ』だそうです。秋山さんらしいですね!いかにもです。

児島令子さんが会いたいのは、同姓同名の人。つまり釣りタレントの児島玲子さんです。たしかに!漢字こそ違えど同じだ!

谷山雅計さんはダルビッシュ有とのことですが、実は同じマンションだったそうです。根っからの日ハムファンの谷山さん、以前はさすがにプライベート空間でファンです、とはいえなかったんだそう。

こんな、メインの業界紙では知ることができない小ネタが満載の雑誌なのです。しかしクリエイティブのネタになるのだろうか。そんなことをいうと長友さんにどやされそうですね。

広告人「開高 健」

実はこの連載では、この後少なくとも2冊の開高健さんに関する本を紹介する予定です。本当はそちらを先に書評しろよな、って話なんですが、ついうっかり…。クリネタ第2号では伝説の作家にしてサントリー専属のコピーライターであられた『大開高』の呼び名も高い開高健先生を特集されています。

開高先生についてはいまさら説明の必要がない、昭和を代表する文豪ですが、もうひとつの顔としてサントリー宣伝部、のちにサン・アドの重役兼コピーライターというものがありました。

軽やかで巧み、ユーモアと反骨精神あふれるサン・アドの設立趣意文(以前紹介しましたね)は、こちら開高先生の手によるもの。サン・アドにはもうひとり直木賞作家の山口瞳先生も在籍されていましたが、山口先生をサントリー宣伝部に誘い込んだのも開高先生なのでした。

クリネタにおける開高特集で特に目を惹くのが、さすが長友人脈ともいえるのですがサン・アドに古くから在籍、あるいはかつて在籍していたクリエイターたちの「証言」が載っていることにあります。

そこには、関係者のみが知る、生っぽい開高先生の姿がいきいきと描かれています。本当に開高先生の声が聞こえてきそうです。少しずつ、引用を通じて紹介しましょう。

70年代の前半の頃です。
耳元で大きな声がする。「夕方までに起きろ!飲みに行くで~」二日酔いで机に突伏している頭の上にガンガン声が響く。
「ウルサイナ~。あっ、先生ですか」
「夕方やで」
行けば、最低3軒。初手は、うなぎか寿司か蕎麦か。次にワインを抜いて、最後は必ずビアレストランだった。女の人のいる店には行かなかった。
<東倉田長>

東倉田長(とおくらたおさ)さんは元サン・アドのコピーライター。在籍が71年から75年といいますから、こりゃまたずいぶん昔のお話ですが、それだけに“開高リアタイ”世代なんですね。それにしても毎晩のように開高先生のお酒のお供とは…なんとも羨ましい限りです。

お次はもう少し若手ではありますが、やはり生身の開高さんと席を同じくした安藤隆さんの証言。安藤さんといえば『タノシイマイニチニコニコワイン』や『ウーロン茶はサントリーのこと』で有名なコピーライターです。

ある午後、<やあ、兄弟>という素敵なコピーの新聞広告のラフを通りすがりに見ました。つい気になって「このコピーは、誰が書いたのですか?」と、そこにいた確かに坂根さん、当時社長で、アートディレクターでもあった坂根進さんに訊きました。すると「開高さんだよ」と、こともなげに答えられたのですね。~中略~ そんなコピーらしいコピーを開校さんが書いたことに、不遜な言い方をすれば書けたことに、驚き感心しました。
<安藤 隆>

安藤さんいわく、開高さんのコピーといえばウィスキーの広告での独特で格調高い言い回ししか知らなかったとのこと。それだけに、人間臭さまるだしのこのコピーが衝撃的だったそうです。ちなみにこのコピーはホンダの当時画期的低公害エンジンCVCC搭載シビックだった、ような気がするそうです。

アートディレクター、小西啓介さんは開高先生をモデルに撮影して創ったポスターでADC賞を受賞しました。そのとき、開高さんから祝電をいただいたそうです。

「クリガミカズミクン コニシケイスケクン トウジョウタダヨシクン 三ニントモ エーデーシーショウオメデトウ ワタシノミギヨコアルクヒト ミンナエラクナル コレカラモ ワタシトナランデ アルイテクダサイ モウイチドオメデトウ」カイコウタケシ

右横歩く人という意味は「助けてくれる人」ということだそうです。細かい気遣いの人なんですね、開高先生は。

ナガクラトモヒコさんが20代最後のころ、開高先生の担当となります。はじめての仕事はカナダでの番組ロケへの同行。リルエットという山奥にチョーザメを釣りに行く企画でした。釣りをしないナガクラさんは何も知らないし、どんなにすごいのかもわからない。

番組スタッフが開高スペシャルの釣り竿をズラリと並べておく。そこに開高さんが現れて、釣り糸を垂れるとすぐに釣れる。
「お前、すぐに釣れると思うとるんやろ?」
「あ、はい」
「釣りはな、そんな甘いもんじゃないんだ」と僕の顔を見ておっしゃいます。でもその時は入れ食いだったんです…(笑)
ローヤルのグラスを持つ開高さんの小指が立っていたので「先生、小指、小指!」と指摘いたしますと「ン?指を立てた方がカッコえ~んや」と言われる。「でも先生、カラオケじゃないんですから」と返すと「そうか…」とシブシブ小指を降ろしてくれましたね。そんな感じで撮影現場はザックバランで、いつもジョークが飛び交っていました。

さきほどの小西さんの電報のエピソードもそうなんですが、文壇にその名を轟かす大開高、とまでいわれた開高先生が、どうしてここまで気さくでフレンドリーなんでしょう。それはおそらくですが、開高先生が小説家となるまでの大事なカタパルトが、サントリー宣伝部での広告制作であったからではないか。つまり広告への淀みない愛が、それに関わる者たち、自分の後を継ぐ者たちへの深くやさしいまなざしとなってあらわれていたのではないか。

そんなふうにおもいます。

他にも西村嘉也さんや古くは山口瞳先生、佐治敬三さんの述懐が続きますが、最後に引用するのはサン・アドきっての名アートディレクター、葛西薫さんの弁から。

あるサントリーの仕事で葛西さんは生涯一度だけ、開高さんとご一緒したといいます。そのときはこれまでのイメージと違うグラフィックを作ろう、と意気込みます。しかし、結果はボツ。アクティブな開高健らしくない、というのがその理由でした。

で、カメラマンも交代して再撮に。降ろされてしまったカメラマンは「写真は気に入っている。開高さんに会えて、同じ時間を過ごし、紙焼きが残せただけでも幸せです」と言ってくれました。でも葛西さんはショックです。開高さんに会わせる顔がありません。

「スイマセン!」と頭を下げますと、開高さんはニコニコしながら、私の顔を両手でポンポンと叩いて、こうおっしゃった。「気にすることはない。あのミケランジェロがな、ある時王様に彫像を頼まれ、出来上がったところにその王様がやってきた。しかし上々の出来のつもりが、顎が気に食わんという。ミケランジェロは、すかさずその場で濡れた石膏を顔に継ぎ足して、これでどうですかと。王様はそれに満足して帰った。でもしばらくすると、その石膏が乾いてポロポロと剥がれ落ちて元の姿に戻ってしまったんだ。「最後の最後には、葛西君の好きなことをやればいいんだ。この程度の変更でクヨクヨすることはないよ。俺はいくらでも協力するよ」と励ましてくださったんです。

ううむ…なんていいエピソードなんでしょう。それにこの場面でミケランジェロのストーリーを引用して慰めるなんて、なんという博覧強記ぶり。さすが大開高!葛西さんは、当時のサン・アドには開高ファンと山口ファンがいて、派閥というわけではないがそれぞれがおふたりの魅力を語っていたそうです。それに耳を傾けているだけでも、幸せだったとも。

なんとも羨ましい話ですが、それもこれも、この活字でしかわからんことって仰山ある!と声高に叫ぶクリネタという雑誌があったからこそ。そう考えると、長友さんの狙いは見事に果たせているのではないかと。

このクリネタ、このあと38号まで続いて、長友さんを失い、同時に終刊となるのでありました。もし古本屋などで見かけたら、ぜひ手にとってみてください。即効性のあるネタは皆無です。しかし、じわりじわりと効いてくる、本当のクリエイティブが、そこにはあります。

(おしまい)


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