【広告本読書録:054】巧告。企画をヒットさせるために広告クリエイターたちが考えること
京都広告塾 編 インプレスジャパン 刊
さて今回は前回に続き、京都広告塾が主催する広告学校の講義を編集した『巧告』からCMディレクターの中島信也さんとコピーライター眞木準さんの教えをご紹介します。
CM界の鬼才、中島信也
中島信也さんといえば東北新社の偉いさん。いまどれぐらい偉い人になっているのか調べてみると…おお、副社長にまで登り詰めておられる!さらにムサビの客員教授にもなられています。パッと見た目、スキンヘッドでインパクト抜群。しかもべしゃりも独特の味があって、クリエイターっていうよりも関西芸人の魂を感じさせます。
でも、すごい人。レジェンドといってもいい。親しみやすいその表面の下にはものすごい努力と運とその運をさらに倍にする努力という“努力と運のサンドイッチ”を第一線で続けているCMディレクターなのです。こういう人が、実はいちばん怖い。若手のことを“ヤング”だなんて言ってますが、絶対に負けないつもりでいるはず。また負けないだけのノウハウとリソースと努力がある…そんな人だとおもいます。
過去の作品は『hungry?』(日清カップヌードル)『伊右衛門』(サントリー伊右衛門)『小便小僧』(サントリーDAKARA)他にホンダステップワゴンなど、いずれもみなさんの記憶に残るものばかり。ACCグランプリ、ADC最高賞、カンヌ国際広告フェスティバルグランプリなど各タイトルも総なめ。まさにひっぱりだこのCM界の鬼才です。
才能よりも想像心
さて、そんな中島さんの講義はどんな内容か。おおかたの想像通り、テクニック論は少なめです。それよりももっと大切な、仕事への向き合い方やマインドの持ち方が多くを占めています。たとえば…
新入社員にもよく話すのですが、どんな仕事でも、プロになるまではおもしろくないものです。ところが経験を積んで、実績を残して、プロになった瞬間、自分で「オレはこの仕事のプロだな」と思えた瞬間から、その仕事がおもしろくもなり、楽しくもなる。お客様に感謝されるような仕事ができるようになる段階とも言えます。(後略)
また、優れたクリエイターは技術や能力を日々磨いているものだが、それよりも大切なものがあり、それは「想像力」だといいます。しかもその想像力はイマジネーションという意味ではなく、相手の気持ちをわかろうとする心のことであると。
言ってみれば人の痛みがわかるかどうか。そういう心があるかどうか。これは想像“力”というより“心”です。だから、ぼくはこの心を「想像心」と呼んでいます。~中略~ こういう言葉を投げかければ、受け手はどう感じるのか、こういう映像を見せたらどんなふうに感じるのか、とすぐに思いを巡らせて、想像することができる。だからこそ、いい広告をつくれるわけです。
説法のような、広告制作のツボ
しかし中島さんは何も寺の住職のようにありがたい説法をしているわけではありません。一見すると精神論、考え方を説いているようで、実はその奥に実際の制作現場で必要なポイントが見え隠れするんです。
クリエイターというと、わがままで自分勝手な印象が強い。でも表面的にはともかく、実際には人格的にできた人が多いと思います。心底「オレだけがよければいい」などと思っている人は、まずいません。
すぐれたクリエイターはみな「いっしょになんとか解決しましょう」と広告主とパートナーシップをもって広告づくりを進めようと考えていますし、広告主が抱えている問題や悩みを、親身になってわかってあげようとします。
このあたりは勘違いしがちなヤングにやんわりと、正しい道を説いていますね。また「広告をつくる仕事はひとつひとつの心の営みの塊なのです」と前置きした上でこんなことも。
ただ、なかには売れっ子になって有名になったりする人もいますから、煩悩の多いヤングが、そこを見てしまうのも仕方がないのかもしれません。実際に「有名クリエイターの仲間入りをして、六本木で派手に遊びたい」と夢見ているヤングもたくさんいるはずです。こう言ってるぼくも、じつはヤングの頃はフリーになって稼ぎたいとか、有名になって注目されたいなどと思ったりもしました。でもクリエイターの実情はかなり違っています。(後略)
ここで中島さんはやんわりとヤングの夢を壊しにかかります。しかし、売れっ子クリエイターは忙しくて“六本木で派手に遊ぶ”暇がないということもありますが…と実に本当のことをおっしゃいます。
京セラ稲盛会長と同じ論法
最後に中島さんは、いくらすぐれた才能や技術を持っていても根本の部分がちゃんとしていなければ良い広告にならない、といいます。
ここで中島さんが引用するのが京セラの稲盛和夫会長がいつも口にする方程式を持ち出します。それが「考え方×能力×情熱」の話。すぐれた能力にすごい情熱を掛け算して、そこに「悪」を掛けてしまうと社会にとって役に立たないどころか、悪い影響を与えてしまうというアレです。
中島さんはクリエイティブの仕事を、優れた才能とすごい努力に「善」を掛けるものだと断言します。想像心とはまさにこの「善なる思い」であると。言いかえれば相手に対する思いやりを持て、その根本に愛、つまりラブを持てとおっしゃいます。
思いやりを失わない、強い自分をもつことこそが、広告でいいコミュニケーションをつくる。テクニックではなく、そういう自分をつくるべきだと中島さんは講義を結びます。
ダジャレではなくオシャレ
さて『巧告』のトリを務めるのは眞木準さん。惜しまれながら2009年、60歳の若さで急逝されたコピーライター界の巨人です。この眞木準さん、甚だ個人的な話しですが、同郷なんですよね。愛知県。で、ぼくの師匠だった竹内基臣さんは眞木準さんの実家と山一つ隔てた街のご出身でした。
昔、師匠と飲んでるとき「マキジュンは知多のあっちのほう。オレは横須賀のほうだったから、オレのほうがシティボーイだよ(笑)。あいつんとこはド田舎だでよ」と笑ってました。まあ、正真正銘のシティボーイである名古屋市出身のぼくからいわせれば…という戦いなのですが。
眞木さんの講義で興味を惹かれるポイントは、クライアント名がいくつか実名で出ている一週間のスケジュール帳に沿ってリアルな仕事の実態を説明しているところです。
月~金はコピーを書かない
当たり前ですが、眞木さんの平日はほぼ分刻み。本当にお忙しい。朝から編集、続いてプレゼンが2件。そしてオリエンを受けた足でテレビ局にて打ち合わせ。夜はこれまた打ち合わせを兼ねた会食。だいたいがそんな毎日。
これ、ぼくが駆け出し前のヤングだった頃に見たとしたら、ほーぅッ!とため息ついて憧れる世界です。そう、ぼくは昔、仕事でビッシリの毎日を過ごすことを夢見ていたんです。いやあ次はプレゼンでねハハハとかいいながら会議室を後にする…みたいな。昔だったら間違いなく目がハートです。
しかし、甘かったんですね。あまちゃんでしたね。ぼくはこれまでのコピーライター生活で、実際に目がまわるぐらい忙しかったことが2回ほどあります。1回目は若手のころ。六本木のプロダクションであまりにもコピーが書けなくて毎晩徹夜だったのですが、その深海から少し抜けて、息継ぎができるようになった。タイミング的に先輩がいなくなって、ほとんどの仕事をぼくが担当することになった。
さらにその後、社長がフィリピンパブにはまって事務所の仕事を全部ぼくがこなしていた。その時はもう同時に30本ぐらい仕事を回していて、文字通り目も回っていました。
2回目は求人広告メディアの制作責任者をやっていたとき。リーマンショック前の全盛期ですね。直属の部下が170人ぐらいいた。このときは新卒採用もめちゃくちゃやっていて、大阪に出張して朝から晩まで11人面接とか。普通に考えて休憩なしで11時間ですよ。
さらに自分のチームのメンバーの打ち合わせ同席とコピーチェック、部門全体のマネジメント、モチベーション管理、教育評価、そして部門責任者としてのPL/BS管理(これはほとんどシカトしていましたが)。この時も目が回ったねえ。制作アシスタントの女性に秘書みたいな仕事をお願いしていたぐらいです。
そしていまの心境は、忙しいという文字は心を亡くすと書く、という意味をかみしめております。
土日はコピーの時間
では眞木準さんはいつコピーを書いていたのか。それは土曜日と日曜日に集中して、だったそうです。『巧告』で取り上げた2006年1月30日から2月5日までのスケジュールによると、土曜日に3本、日曜日に3本と計6本のコピーをこさえる予定になっています。
眞木さんのコピー作成法は有名で、博報堂時代から一貫して「ひとりの世界にこもる」つくりかたをなさっています。ホテルにカンヅメになり生まれた過去の名作として「トースト娘ができあがる。」「高気圧ガール、はりきる。」といった全日空沖縄キャンペーンのキャッチがありますね。
フリーになってからはおそらくご自身のスタジオにひとり、こもって自分の内なる世界に深く潜りながら、言葉を選んでいたのだとおもいます。眞木さんの手法で有名なのが「2時間集中法」。ひとつのコピーを2時間じっくり考えて、ダメなら別の仕事を。そしてまた2時間…というように区切って集中力をピークにもっていくというものです。
およばずながらぼくもこれ、マネしています。もっともぼくの場合はサウナで12分間、ひたすら考え続けるというもの。12分汗をかきながら考えて、1分間水風呂、そしてまた12分汗を…を3セット繰り返します。
ただ単に“ととのいたい”みたいですが違います。そこで見えてきたヒントというか、言葉の断片を捕まえて表現に磨いていく。2時間集中するのはしんどいですが、サウナならしんどさの質が違うのとせいぜい12分ですからね。
コピーライターの上位層ともなると
そしてこの講義では、これまでどのコピーライターも口にしなかった事柄について語られます。いかにもノブリス・オブリージュ感ある内容。
新潟中越地震の被災後、市制100周年を迎える長岡市から、新しい市歌の制作を依頼された眞木さん。作詞をし、曲を三枝成彰さんに付けてもらうというお話です。
予算は録音の実費程度で、決して多くはありません。でも、こうした意義深い仕事は、ボランティアであっても積極的に引き受けることにしています。というのも、キャリアを生かした社会貢献は、当然の責務だと考えているからです。
キャリアを生かした社会貢献。この言葉をコピーライターから聞いたことはありませんでした。よく考えたら、こんなふうに考えるコピーライターがいたっておかしくないのに。その昔、小池一子さんが日宣美解体という騒ぎのときに現場に駆けつけたところ、コピーライターが一人もいなくて幻滅し、TCCを脱退したというエピソードがありました。
コピーライターっていう職業も、社会貢献に近いところで、あるいはもっと言い方を変えると社会に根付いた活動をしてもいいのではないでしょうか。でも、もしかしたらもうたくさんのコピーライターがやっているのかもしれませんね。それをことさら声高に叫ばないだけで。あるいはぼくが無知なだけで。
これまでにもアフガニスタンやカンボジア、パキスタンなどの震災、インド洋の津波被害、フィリピン残留孤児などの支援のために、ボランティアコピーを書いていますが、それもやはり自分のスキルが世の中のためになるのであれば、ぜひとも役立てたいという思いから。諸君も将来、そのような気持ちを持ってくれることを期待します。
そんなふうに、未来のクリエイターに期待を寄せた眞木さん。この講義の約3年後にこの世を去ってしまいました。そのニュースが飛び込んできたのは西新宿の高層オフィスで働いていたとき。少し歳の離れた仲間たちと絶句したことを覚えています。まだまだ切れのある、その手があったか!と膝を打ちたくなる、オシャレコピーをたくさん書いてほしかったです。
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と、いうわけで2回にわたってお送りした『巧告』ですが、クリエイティブディレクターからデザイナー、CMディレクター、コピーライターとそれぞれの巧みの業を吸収できる、お得な一冊だとおもいます。古本屋で見かけたらぜひ!『考告』や『効告』もおすすめです。