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【広告本読書録:057】私広告

沢野ひとし 椎名誠 著 本の雑誌社 刊

私広告。わたくしこうこく、と読みます。椎名誠さんのあとがきによれば「私小説」がこの本の発想のもとだったからこのタイトルになったそうです。「本書は、椎名誠と沢野ひとしのサントリー・モルツの広告と新宿・池林房チェーンの広告を再編集し、一冊にまとめたものです」と但し書き。

つまり内容としてはれっきとした広告本なのですが…とにかく出てくる話が徹頭徹尾酒の話。なかでも椎名さんのパートは酒の王者ビールについて思いの丈を語っています。酒、サケ、さけの本なのであります。ちょっとおかしな、ふしぎな、でもきちりと広告の本。

上のアーカイブで目黒考二(本の雑誌編集長)さんが言っているように、この本、本の雑誌社の資金繰りが厳しくなったため急遽一冊本を出さなければいけなくなって出版されたものらしい。

しかしその割には普通に売れたそうで、おそらく本の雑誌社はいくばくかの資金を得ることができたのでしょうね。そうでなければいま現在存在できていないはずだから。

房チェーンとはなんぞや

さて、ではその中身ですが、やはりここは完成度の高いサントリーモルツの広告ではなくて、太田トクヤ氏率いる房チェーンの広告にスポットを当てるべきでしょう。

房チェーンとは『池林房』『陶玄房』『浪曼房』『梟門』『犀門』というそれぞれ個性豊かな居酒屋を展開。正しくは竹馬グループといいます。新宿界隈で働くサラリーマン、演劇関係者、出版関係者、編集者、クリエイターあたりが夜な夜な集う居心地のいい店ばかり。

もちろんぼくも新宿時代には浪漫房、陶玄房にはよく足を運んだものです。この居酒屋チェーンを一代でつくりあげたのが、太田トクヤさん。グループのお店が居心地いいのはおそらくすべてこの太田トクヤさんの人柄によるものだと睨んでおります。

「なににする?」「クジラのベーコンがうまいよ」そんなふうに、どこまでが店員でどこからが客なのかわからない接客など、よほど夜の店に精通していないと演出すらできないのですから。

なんでも太田トクヤさんは北海道から出て来て、アルバイトを5つほどかけもちしてお金を貯めて店を開いたのだそうです。当時の太田トクヤは酒が飲めなかった。というのもあまりにも過酷な労働で寝不足だったため、アルコールを一口なめただけで昏睡してしまうのだ。なんていうエピソードもあるぐらいです。

房チェーンの広告とは

『私広告』には沢野ひとし画伯の手による房チェーンの広告がたっぷり掲載されています。これらはもともと「本の雑誌」に掲載されたもの。当然ですが、太田トクヤさんは広告料を払っています。にも関わらず…

夏になっても海に行けない だが酒だけは飲める 池林房
酒を断つ 女を斬る 陶玄房
父ちゃん お酒をやめなよ 浪曼房

こんなんばっかりですからね!そして添えられる沢野画伯の脱力感あふれるというか、なんとも味のあるイラスト。この、絶妙なコピーとビジュアルのマリアージュは絶対に大手広告代理店ではできない!そうだ、電通や博報堂やADKにはできないんだーっ!といいたいです。

ほかには4コマ漫画型の広告がずらっと並ぶ、房チェーン広告年鑑といっても過言ではない『私広告』。で、あればグランプリといいますか、ベストアドを選んでみようではありませんか。

極私的私広告グランプリはこれだ!

数ある迷作の中からぼくが独断と偏見で選んだ作品は、こちら!

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やすい うまい 別に おもしろいの わからない 池林房 

ちょっと画像がひんまがってて申し訳ないのですが、ぼくがいちばん気に入ったのがこちらになります。「やすい」「うまい」まではわかるんです。百歩譲って「別に」「おもしろいの」までは許容するとします。しかしなんですか最後の「わからない」は。しかもねこ。しかもかわいい。

この最後のねこの「わからない」によって世界観がおかしくなる、というか一気にさわのひとしワールドへ突入していく。シュール、という言葉で片付けたくない魅力。だってこれ、広告ですよ。広告費発生しているんですよ。すごくないですか。

次点はこれ。

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中野俊一さん どうして今夜は来ないのですか 怒りますよ 陶玄房

なんどでもいいますが、これは広告です。新宿に数店舗を展開する房チェーンのれっきとした雑誌広告です。本の雑誌、という書籍に掲載されているものです。そこになぜか個人名が。なんでなんだ。なんだこのシュールさ。

『私広告』本編には「本書の主な登場人物」というコーナーがあり、そこに中野俊一さんについてこう書かれています。

【中野俊一】「家庭画報」編集部、30歳。性格は無口、がんばり屋と言われる。酒好きでおもに新宿の安い店をまわる。酔うと雄弁になり絡みはじめるが時々フッと眼鏡をはずし、グラスの底をのぞきこむ癖がある。好きな酒は「いいちこ」。

それがなんだ、と言われればそれまでなんですが、どうやらこの中野俊一という人物は実在するようです。そんな人を広告に登場させて何を狙っているのか…そもそも何も狙ってないのか。

■ ■ ■

と、いうような実に人を喰ったというか、なんだかよくわからないコンテンツ満載の本に仕上がっている『私広告』。あとがきでは椎名さんも沢野さんも「つくづくヘンな本」「訳のわからない本」と言っています。しかし、総じて熱量というか、くだらなさの中にある芸術的感性のようなものがひしひしと伝わってくる、といったら褒めすぎでしょうか。いずれにしても読むと新宿に飲みに行きたくなる一冊です。

あと、椎名誠さんのサントリー・モルツの広告につかわれているエッセイは、全編さわやかな椎名節で貫かれた名作ぞろいなので、それを味わうだけでもビールが飲みたくなることうけあいです。

緊急事態宣言もあけたし、ステップ2(だっけ?)へとコマも進んでいるし、経済回さないといけないし、そろそろ外へ飲みにいきませんか?

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