【広告本読書録:097】土屋耕一全仕事
広告批評の別冊④ マドラ出版 刊
いよいよ、というか、ついに、というか。ある意味、日本のコピーライターのいまにつながる源流ともいうべきレジェンドの作品集を取り上げます。
その人の名は、土屋耕一。
そうですね、コピーライターなら知らない人はいないですね。ごく最近、デジタルの領域でコピーライターをはじめた、というヤングの中には知らない人がいるかもですが、まあ、そういうあなたはこの機会にこの一冊をなんとかして手にいれて読んどけ。この方の存在を知らないヤツはコピーライターを名乗ってはいかんです。マジで。ガチで。
それまでどこか、借り物の言葉で語られていた日本の広告文案を、生の言葉、いきいきとしたみずみずしい表現で、軽やかに語れるものにしたパイオニア。あの糸井重里さんが若かりし頃に憧れた存在でもあります。
広告業界のことはもちろん、コピーライターについても全く知識なくこの世界に入ってきたぼくでも、最初の会社で生まれてはじめて見たコピー年鑑に掲載されていた土屋耕一さんのコピーの数々に、それはそれは衝撃を受けたものです。
さらにオフィスにあった『土屋耕一全仕事』の表紙の写真、ならびに最終ページに大きく掲載されていた顔写真をみて、みんなで「土屋耕一ってすげー顔丸いよね!横からみたらどうなってるんだろう…」と不謹慎なことをいいながら、いつか会えることを夢みていました。
しかし、その夢は叶うことなく、土屋耕一さんは2009年3月、鬼籍に入られました。残念で仕方がありません。
コピーライターがまだ広告文案家だった頃
土屋耕一さんは1930年生まれ。戦時中は千葉に疎開していたそうです。その後に重い肺結核を患ったり、なかなか不遇な青年時代を過ごしました。23歳でラジオの企画立案者募集に応募したことがきっかけで、資生堂宣伝部に嘱託として入社。その後、ライトパブリシティを経て当時まだ珍しいフリーに転向します。
ほどなくして青山ツインタワーに個人事務所『土屋耕一の仕事場』を構え、伊勢丹、資生堂、東レ、明治、キッコーマンなど数多くのクライアントの広告を手掛けます。
冒頭でも書きましたが、土屋耕一さんのコピーの持ち味はなんといっても話し言葉の特徴を活かしたところ。そして時代の空気を軽やかに切り取って見せる技術は、いま見てもため息がでるほど。
この『土屋耕一全仕事』はいうまでもなく土屋さんのデビュー時からだいたい83年ぐらいまでの作品が収録されています。古いものについては土屋さんご自身も忘却の彼方だったそうで、おもしろいことにクレジットに貝塚マークがついてます。1959年ぐらいのものには大貝塚だ、とご本人がいうほど。
では、さっそく膨大な作品の中から、独断と偏見でぼくが良い!と思うコピー、若い頃影響を受けたコピーを紹介していきます。
伊勢丹キャンペーン
第一章として伊勢丹のキャンペーンを取り上げています。まだ百貨店が売り場としての力を持っていた時代。輝いていた時代。一年を通して続くキャンペーンのコピーは「持続力」と同時に「大きな傘」となりうる懐の深さが求められます。
有名なのが「こんにちは土曜日くん。」ですね。まさに週休2日制が社会的に浸透しはじめた時代の空気をとらえています。とはいえ当時は土曜日休みはまだまだ少数派でしたけどね。
生活の、同級生
キャンペーンテーマっぽいですが、実はこれは正月の一回だけ掲載されたコピーだそうです。当時の若手コピーライターから結構人気があったそうで、なんか、それもよくわかる気がしますね。
太るのもいいかなぁ、夏は。
伊勢丹といえばファッション。ファッションといえばモデル。モデルといえばスマート、という定番を覆すコピー。ただし太い細いを云々ではなく、健康でハリのある生活をしませんか、という提案。
肩のチカラを抜くと、夏。
またもや夏のコピー。昔の俺は夏にマイっていたのでしょうか。土屋耕一さんのコピーでいまでもそらで言えるのって、夏ものが多いんですよね。特に伊勢丹やファッション系のコピーにおいては。
着る
ファッションは粋人、土屋さんの得意領域。メンズもレディースもお手のもの。そこには土屋さんならではの美意識やら哲学が息づいているのです。第2章はファッションの広告を集めています。
主なクライアントは東レ、伊勢丹、三陽商会と少ないのですが、特に伊勢丹においてさまざまなブランドを手掛けています。カルバン・クライン、ダーバン、バーバリー、カール・ラガーフェルド、アレグリ…それぞれの個性をきちんと表現しつつも最後はきちんと伊勢丹に落とし込む。マジで写経したいコピーの数々です。
(退屈な、ながーいスピーチです)
人々の目をシルックが救っています
東レのシルックというドレスなどを仕立てる繊維のコピーです。ビジュアルは結婚式、おじいさんが笑顔でスピーチしている隣にシルックで仕立てた着物を着た麗しき女性。ユーモアの極みです。
縞は三歳トクをする
これ、特にデータがあるわけじゃなくて、土屋さんがなんとなくそうおもったんだそうです。それをそのままコピーにして、なおかつ結構説得力があるって、土屋さんにしかできない技だとおもいます。
かるく・あかるく・あるく・はる
こういう言葉遊びはコピーライターにとって禁じ手と言われていますが、そんな反論を軽やかに超えるのが土屋さん。ぼくは結構この辺に影響を受けてまして「わたしらしいがあたらしい」とか書いちゃうんですよね。
粧う
よそおう、とタイトルがついたこの章にはお化粧、つまり資生堂の広告が集められています。土屋耕一さんで資生堂といえば、カネボウとのキャンペーン戦争がつとに有名ですね。
当時はCM音楽とのタイアップも盛んで、毎年季節が変わるのが楽しみでした。ヒット曲がコマーシャルで流れるたびにワクワクしたことを覚えています。そうだ、ぼくが広告の仕事を志したきっかけはテレビコマーシャルでしたからね。
「サクセス、サクセス、」「君のひとみは10000ボルト」「ピーチパイ」「A面で恋をして」コピーがそのまま曲のタイトルになることも多かったです。
SHE・SAY・DO
シイ・セイ・ドゥが、5年でシセイドウになりました
世界各国に資生堂製品を輸出しはじめた頃、米国で「シセイドウ」と発音されなかったがそこから5年で知名度を上げたという広告。でもいまこの時代は逆に「SHE・SAY・DO」のほうが素晴らしい名前だとおもえます。
女性の美しさは都市の一部分です。
長く続いたインウイのシリーズ広告の中では、このフレーズがいちばん好きです。メッセージのクオリティの高さからか、その後もキャンペーンのように年間を通してタグラインとして使われたようです。
太陽とあそびすぎたのがわかるのは 大ていその日の晩です
土屋さんの、こういうコピーも大好きです。事実に基づいて、それをチャーミングな表現に仕立てています。日焼けが、ではなく、太陽とあそびすぎた。この言葉のセンスは見習いたいものです。
食べる
土屋さんの代表的なコピーに「おれ、ゴリラ。」というものがありますが、あれ、明治のチョコレートの景品なんですよね。当時のキャンペーンの定番といえるのが、包装紙を何枚か集めて送れば景品が当たる、というもの。
そんななか、なんとも愛くるしいゴリラのぬいぐるみをプレゼントする企画がこれ。最初、ゴリラのネーミングの依頼だったそうです。「團十郎」に決まりかかっていたところをゴリラに戻して、なおかつ喋らせた。「おれ、景品。おれ、ゴリラ。おれ、社長の代理。」といった具合に。このアイデアがすぐれものなんですよね。広告の殿堂入りも果たした傑作でした。
痛快まるかじり
明治チョコバーのグラフィック広告。痛快まるかじり、って相当いさぎよいコピーだとおもいませんか?なんたって、痛快なんだから。まるかじりするってのは。そういう時代だったわけです。
渇きに。
コカ・コーラがアメリカで使っているキャッチ『Drink!』に日本語で対抗したもの。明治ソーダ梅酒入りのコピーです。これは土屋さんのキャッチの中でも最も短いものだそうです。
淡白質と蛋白質
多くの傑作コピーを生んだキッコーマンのシリーズ広告。5年にわたって続いたロングランです。他に「ひのな、ひののな、ひのなのな」「みんな私のツマです」などクスッとさせられるコピーがたくさん。
遊ぶ
東レの水着やスポーツウェアも土屋さんにかかると、あら不思議。昔から仲のいい友人からおすすめされているみたいな気分になります。あと、この章では数こそ少ないですが、小学館の広告も取り上げられています。
このひとは準指導員って感じだけど
ほんとはデサント着てるだけなんですね。
本格的に見えるシルエットをどう表現するか。スキーをしない土屋さんは少し離れたところから、第三者視点で見ていますね。そのスタンスがまた新鮮であり、妙な説得力を持つのであります。
水着を買うのって、夏の一日を買っているみたい。
これは買う人の気分を見事にあらわしていますね。ほんと、そうなんだよねーって声が試着室から聞こえてきそう。あと、買うことすらレジャーの一部に組み込もうよ、っていう提案でもあります。
1歳児が育っていく5年間はママが歳をとっていく5年間とはちがいます。
小学館の幼児学習雑誌。マミィやめばえ、よいこ、ベビーブック、幼稚園と昔はなんでこんなにいろいろあるんだろう、とおもっていたんですが。その答えは土屋さんのコピーにありました。
住まう
土屋さんのコピーのもう一つの特徴が、生活者のまなざしを忘れない、ということです。それがもっとも大きな華を咲かせたのがこのカテゴリではないでしょうか。例によって伊勢丹、東芝の家電、協賛による公共広告などさまざまな商品、サービスをあざやかな切り口と暮らしに根付いた発想でみせてくれています。
とっておきのワインをあけます。よかったら泊まっていってもいいし。
これは以前、プロダクションに勤めていたとき先輩とよく話題にしていたコピーです。こんなに暮らしの、週末の豊かさをふくよかに表現したフレーズが他にあるでしょうか。
天気予報を持ちましたか?
いまでは当たり前の話ですが、このコピーは1958年のもの。63年前のトランジスタラジオの広告です。機能をコピーにする、ということがどういうことなのか、この広告から学ばせてもらいました。
口をそろえてお願いします。
これは日本製瓶協会とコカ・コーラボトラーズが協賛した公共広告です。瓶の扱いについての薀蓄がコミカルに描かれています。こういうのはちょっと間違うと上から目線になるんですが、そこは土屋さん、一級品です。
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と、まあ本当にあれやこれやとたくさんの名作コピーをうみだした土屋耕一さん。『全仕事』の巻末には糸井重里さんとの雑談風コピー論なんてのも掲載されてて、混迷の一途をたどる広告コピーの未来を占う上で示唆に富んだやりとりが展開されています。
そのあたりを、というか、歴史の流れをひと通り押さえているか、いないかは広告文案を考える上で非常に重要だとおもいます。ですから冒頭でも書きましたがデジタル領域の広告(ぼくはあれは販促だとおもっていますが)を手掛けるコピーライターの方は特に、古典として土屋耕一さんから学ぶことをおすすめするのであります。