解釈と創作ー安積の沼のあやめ(2)
安積の沼は、(1)で紹介した大岡信の「名句 歌ごよみ」において「菖蒲の名所」として「有名な歌枕」の地とされている。もちろんそれは間違っていないし、俊頼もその歌枕で安積の沼の歌を詠んでいる。ただ、異説もあって、この「安積の沼」はやっかいな歌枕なのである。
▢歌枕として「安積の沼」
安積の沼が歌枕となるきっかけとなったとされている歌がある。
みちのくのあさかの沼の花かつみ かつみる人に恋やわたらん
(古今・恋四)
はじめは「安積の沼」は「花かつみ」にちなむ場所であり、「菖蒲の名所」ではなかったのである。ちなみに「安積」の「あさ」は「浅」にも通じている(参照:「堤中納言物語-逢坂越えぬ権中納言」)。とすれば「安積の沼の花かつみ」という歌語は薄情な異性をも含意しているともいえる。それをふまえ少し意訳してみた。
陸奥のあさかの沼のほとりに咲くという花かつみ
おれはお前を その花の名のように
時々にしか見ることができない
それなのに、いやそれ故にこそ
おれはつれないお前に恋惹かれるのだ
この歌によって「安積の沼の花かつみ」は片恋の歌の格好の素材になったともいえる。
▢幻の花ー「花かつみ」
そして、この花かつみ、じつは誰も見たことがない幻の花で、これが話をやっかいにするのである。
「花かつみ」とは何か。平安の昔からいろいろ言われているが、いまだ不明である。たとえば、
花菖蒲 / 真菰 / あやめ草(現代の菖蒲)
田字草/ 姫射干
それでは、源俊頼の時代はどうだったのか。彼は「俊頼髄脳」で次のように述べている。
このごろは、あさかの沼に、あやめをひかするは、ひが事とも申しつべし。
これをみると、彼の時代(平安後期)にあっては「花かつみ」は「あやめ」(あやめ草=菖蒲)とみなされ、歌に詠まれていたことが分かる。俊頼もそれに則って例の歌、
あやめかる安積の沼に風ふけばをちの旅人袖薫るなり
を詠んでいる。ただ、それは、あくまで「ひが事(まちがい)」で、彼自身は能因説を踏まえ、「花かたみ」は「真菰」と主張しているからこれもまたやっかいである。
▢題詠の妙「あさかのぬまのあやめ」
ただ、大岡信の言うようにこの歌は題詠である。詞書きには
あさかのぬまのあやめをよめる
とある。
つまり、この「あさかのぬまのあやめ」という題によって、あやめをのせる風が旅人の袖を薫らせる詩情が生まれたともいえる。そしてそれはまた、この花が幻の花であることがもたらす恵みでもある。
いくつもの幻を咲かせて花かつみ安積の沼を今に薫らす 薄楽
⇐ 解釈と創作ー安積の沼のあやめ(1)
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