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限界辛口批評:リゼロという衝撃的で薄っぺらい神アニメを全力で語る


⚠️注意
この記事は否定パートです。
リゼロファンは気をつけてください。 


・ 肯定パートです( ̄∇ ̄)


・この記事の前提にある考えです






◆生まれてきてくれてありがとう



 まずはこの〝Re:ゼロから始める異世界生活〟という作品がこの世に生まれてきてくれたことを作者と神に感謝します。

 俺と同類の人は分かると思うのだが、リゼロはエロゲの血統を色濃く受け継いでいる作品だ。

 俺には、「深夜アニメに興味を持ったものの、アニメのライトでポップな作風に感情が動かなくて、すぐにエロゲに流れた」過去がある。

 特定のタイトルにハマったというより、エロゲ界隈の土壌そのものに魂が反応したというか、

 「俺の居場所はここだ。俺の感情を強く揺さぶる作品はここから生まれてくる」

 という根拠のない直感が働いたんだ。

 リゼロはなろう小説からライトノベルを経てアニメになった作品だが、これらの事実は俺にとっては意味をなさない。

 リゼロは、エロゲ界隈という母親から生まれた、エロゲ作品なのだ。

 もうエロゲ業界は虫の息で、新しいビッグタイトルの登場は、ほとんど期待できない。

 だから、リゼロや進撃の巨人のような、エロゲの魂を受け継いだ作品が、広く世間に知れ渡ることを、いちエロゲーマーとして嬉しく思う。

 まあ、なので、これからリゼロに対して沢山文句を言うわけなのだが、嫌いだからではなく、好きが昂じてこうなってしまったということを承知しておいてほしい。

 罪悪感に駆られて余計なことを喋りすぎてしまった。

 それでは始めます🙂


◆ リゼロは衝撃的だ



 リゼロは、

 情報の出し方、コントラストの付け方、魅力的に見える映し方、シーンの積み上げ、プロットの構成力……

 総じて〝ストーリーセンス〟の言葉で包括できる側面がとても優れている。

 いわゆる〝趣味〟の世界から上がってきた作品とはとても思えない。まるでずっとプロの世界で書いていたかのようだ。

 しかも、ただ「プロみたいにちゃんとしている」というだけでなくて、それ以上の、+αの輝きがある。

 
 中でも特に印象に残ったのが、


「他人を嫉妬の魔女の名前で呼んで、どういうつもりなの?」


「あなたは魔女教の関係者ですか?」

 

 この二つのシーンだ。

 どちらもたった一言の台詞なのに、何から話したらいいのか悩んでしまうくらい、言及することがある。

 まず、どちらも章の山場を張れるような、単体で破壊力のあるシーンだ。

 いくらループ物とはいえ、美少女アニメで好きな異性から本気の敵意を向けられるとは。

 そしてこれらは、解釈できない情報だ。


 この記事で話した「新しい情報が混乱を引き起こす」というのは、この2シーンのことだ。

 いまでも覚えてるのだが、初見でこの台詞を聞いた瞬間、俺の脳が急に、リゼロ世界に強い関心をもって理解しようとし始めたのだ。

 進撃の巨人でも、女型の巨人がアルミン達と交戦した後になぜか進路を変えるシーンが出てくるが、リゼロの方が切れ味がある。

 多分、「好きな異性からの敵意」が乗っているからだと思う。

 
 最後に、これら二つの台詞は、三章の14話以降の展開に向かって「積み上がっている」

 嫉妬の魔女、魔女教徒と来て、最後に本物が出てくるわけだ。

 
 たしかに作者のストーリーセンスは凄い。
 
 しかしこれは、リゼロの優等性であると同時に、劣等性の源でもある。

 リゼロは例えるなら、「凡人に有能プロデューサーがついている」ようなものだ。
 


◆ 導入 問題提起 ラスト◯ 解決編✖️



 初見の時に、最初に違和感を覚えたのが、アニメ第9話だ。

 この辺りから二章の〝破滅の運命〟の全容が見えてきて、やられっぱなしだったところから攻勢に転じ始める。

 ストーリーを、

 ①導入
 ②問題提起
 ③解決編
 ④ラスト
 
 という分け方をした際の、〝③解決編〟にあたる部分――
 
 推理小説で言えば、密室殺人の仕掛けが分かってきて、犯人を追い詰める準備にかかる頃合いだ。

 リゼロはこの解決編に入った辺りから、急激につまらなくなる。

 
 二章だけではない。

 俺界隈で神認定されてるあの三章ですら、解決編に入ると暴力的につまらない。
 
 あれは物語ではない。

 動いて音が鳴ってるだけの、ただの映像だ。

 

(暴走レムの角を折るシーン)

 

 作者は多分、何をすればいいのか分からないのだと思う。

 分からないから、よくわからない因果関係で物事が進んでいき、無内容なシーンの羅列になってしまう。

 「◆リゼロは衝撃的だ」で語ったストーリーセンスは、解決編ではまったく発揮されない。

 山を作らなければという消極的な理由で白鯨が分身し、ペテルギウスが他人に乗り移り、苦戦している雰囲気をなんとか演出し終えたら、ようやく物語がラストに向かって進んでいく。

 要するに、「義務苦戦」なのだ。

 無内容なシーンも、よく分からない因果関係も、このままストレートに終われないという違和感も、そこから生じる義務苦戦も、

 すべては何をすればいいのか分からないというところから始まっている。

 「もし俺が編集者なら」という仮定のもとで、一つ具体的な助言をしよう。

 解決編でするべきこと、それは――敵を格好良く封殺することだ。

 つまり主人公は解決編において、序中盤で集めた情報をもとに戦略を立て、敵の対処を全て封殺した上で、格好良く勝利しなければならないのだ。

 リゼロの作者は、格好悪いシーン(ありのままと言い換えてもいい)はオタクコンテンツの頂点と言っていいほど優れているが、格好良いシーンは全然駄目だ。

 作者には、「解決編ではスバルを思いっきり格好良く描いてもいいんだ」ということを、声を大にして言いたい。

 死に戻りっていう情報戦最強の能力を持ってるんだから、凡人が戦略で無双してもなにも矛盾しない。

 リゼロは解決編で苦戦しすぎて全体の調和が崩れている。

 恐らくプロットの段階で絶望編と希望編の比率を1:1にして作っていると思うのだが、2:1くらいにした方がいいと思う。

 
 
 

◆ この世界は〝印象〟と〝存在〟の時系列が反転している



 リゼロ世界は〝印象〟と〝存在〟の時系列が反転している。

 これは観測者であるスバルの内面でも起きており、

 スバルの「俺は社会に馴染めない=悪い奴だ」という〝印象〟に従って、善玉側にユリウスを筆頭とする王戦メンバーが現れ、悪玉側にスバルを筆頭とする魔女教メンバーが現れる。

 リゼロ世界は、スバルを囲い込むように配置された、壮大なホログラムに例えられる。

 ホログラムは正面からは立体に見え、角度を変えると絵が動く。真横から見るとひらぺったい。

 だから、スバルが立っている場所から見ると立体に見えるのだが、スバルから離れて世界を横から眺めると、たちまち厚みが消え失せ、紙ぺらになる。

 リゼロ世界の構成要素――例えば、キャラクター、土地、集団、出来事などは、スバルに印象を与えるために存在し、スバルに印象を与えることで立体感=質量を得る。

 
 ↑の内容は今回の話の核心なので、もっと丁寧に説明する。

 4話で次のような会話が出てくる。


スバル「双子で得意スキルが違うパターンだ」

レム「はい。姉様は掃除洗濯を家事の中では得意としています」

スバル「じゃあレムりんは料理系得意だけど掃除と洗濯は苦手か」

レム「いえ。レムは基本的に家事全般が得意です。掃除洗濯も得意ですよ、姉様より」

スバル「姉様の存在意義消えたな!?」

 

 この会話の前提にあるのが即ち、〝印象〟と〝存在〟の反転なのだ。
 
 〝物自体〟よりも、〝物を特徴付ける情報〟が先行し、その後で存在が確定する。
 
 誰でもこのような角度で物を見ることはある。

 だがリゼロの場合、この「印象と存在の反転」が、あらゆる物事の根本にある。

 これが良い方向に働いた結果が、リゼロのストーリーの面白さだ。

 情報の出し方、コントラストの付け方、魅力的に見える映し方……
 
 作者にとって印象的であることが重要だからこそ、印象を与える筋肉が発達しているというわけだ。

 だが、このような認知が人間に向かうと、少しまずいことが起きる。



 オタクコンテンツには〝属性〟という概念が存在する。

 属性とは、ツンデレ、無口、妹、メイド、幼馴染などのキャラに付随するカテゴリーのことだ。

 属性という概念は常に、視聴者の欲望の後に発生する。

 例えばツンデレなら、素直になれずに逆の態度をとってしまうキャラクターに大勢の人間が萌えを抱き、その後に〝ツンデレ〟という属性が生まれる。

 属性が生まれると、今度は属性からキャラクターが生成されるようになる。

 属性から逆生成されたキャラのいいところは、視聴者に作用する要素を生まれ持っているところだ。

 これによって、「現実味はあるが、まったく関心を持たれない」という事態を避けられる。

 逆に言えば、

 属性から逆生成されたキャラは、視聴者に強く作用することによってのみ、リアリティを得る。

 もし作用しなかったら、属性から出発した空っぽさが剥き出しになってしまい、俺みたいな奴から「薄っぺらい」と言われてしまうわけだ。


 

 以上を踏まえて、この記事の内容をもう一度振り返ろう。

 リゼロ世界は〝印象〟と〝存在〟の時系列が反転している。

 これは観測者であるスバルの内面でも起きており、

 スバルの「俺は社会に馴染めない=悪い奴だ」という〝印象〟に従って、善玉側にユリウスを筆頭とする王戦メンバーが現れ、悪玉側にスバルを筆頭とする魔女教メンバーが現れる。

 リゼロ世界は、スバルを囲い込むように配置された、壮大なホログラムに例えられる。

 ホログラムは正面からは立体に見え、角度を変えると絵が動く。真横から見るとひらぺったい。

 リゼロ世界は、スバルに強く作用している間は立体的に見えるが、作用が弱まるとたちまち厚みが消え失せ、紙ぺらになる。


 〝ツンデレ〟は視聴者に作用することを想定した属性だが、リゼロ世界は視聴者ではなくスバルに作用する。

 そして、リゼロ世界のこのような構造は、スバル自身の認識から出発している。

 「リゼロ世界―スバル」は、ちょうど「アニメ―視聴者」のような関係にある。

 以上のことから、

 このリゼロという作品は、主人公に強く作用するという長所と、薄っぺらいという短所を、表裏一体に併せ持っている。

 衝撃的で薄っぺらい――。

 我ながら、この作品の実態を短く正確に表現できていると思う。

 これでようやく本題に入れる。

 なぜ一期は面白いのに、二期はつまらないのか、いまからすべて説明しよう。
 
 

◆本物の感情



 俺界隈では、内面とストーリーの動きが繋がっていることが、特に重要視される。

 先ほど、7話のこのシーンが特に強烈だったと話した。


「あなたは魔女教の関係者ですか?」

 

 このシーンを見た時に、アニメでこのレベルの作品が出てきたことに感謝の念が芽生えるのと同時に、俺の中でのリゼロに対する評価が一段階上がった。

 リゼロがエロゲであることを認識し始めたのも、この辺りからだ。


「姉様が世話をするのを装って、あなたと親しげに振る舞っているだけと知っていても!」



 レムのこの台詞に対して、スバルは160キロのストレートをど真ん中に投げ返す。

「俺はお前らのこと、大好きだったのに!」 


 スバルみたいな人間には、このシーンみたいな「仲良くしていると思っていた相手に内心嫌われていた」といった出来事が高確率で発生する。

 死に戻り、魔女教、魔女の瘴気などの雑音が混じっているが、このシーンは紛れもなくスバルの実体験であり、本物の感情だ。

 だからこそ、凄みがある。

 このリゼロという作品は、世界がスバルに強く作用することで、とんでもない出力が出ている。


 三章から出てきた王戦メンバーは社会に精通した、スバルよりも上のステージの人間として登場し、スバルは場違いな存在として描かれる。


「なにもしてこなかった。あんなに時間があって」


 スバルは自分が何もしてこなかったことに、強烈な罪悪感を抱いている。

 スバルの「俺は社会に馴染めない=悪い奴だ」という〝印象〟に従って、善玉側にユリウスを筆頭とする王戦メンバーが現れ


 スバルの罪悪感から逆生成された王戦メンバーたちは、スバルに対して強烈に作用する。


「君は無力で救い難い」


「カルステン家は一切の戦力を卿に貸し出さない」


「貴様のような畜生を擁する陣営など妾が打ち滅ぼしてやる」


「自分の正しさを信じてもらいたいなら、相応のものを見せなあかんよ」


 彼らの言葉はスバルの本心だ。

 だからこそ、傷つく気持ちも本物だし、目を背けて突っ走ってしまう気持ちも本物なんだ。



 

◆結果を出したら愛される


 例の記事で、「俺がこの作品から一番強く感じるのが、『社会に馴染めない』という印象だ」と書いた。

 リゼロ世界では、「社会に馴染む」ということと「個人的に愛される」ということが連動しているように感じられる。

 リゼロでは、

 社会性の低い主人公が独りよがりに近づいて、相手の拒絶を買い、その後で武功を立てて愛される

 という筋書きが繰り返しに語られる。

 7話の「そんなに魔女の匂いを漂わせて」のシーンと、13話の「私のため?自分のためでしょ?」のシーンは本質的には同じなのだが、スバル側の認識に違いがある。

 スバルは、武功を立てたことを根拠に、じぶんにはエミリアに接近する権利があると強く思い込んでいる。

 エミリアに拒絶され、権利を侵されたと感じたスバルは、声を荒げて怒り出す。


「お前は俺に返しきれないだけの借りがあるはずだ!」


 恐らく人類勃興以来、数多の男が落っこちたであろう落とし穴に、スバルも落っこちる。

 恋愛に権利の概念は存在しない。

 会ったばかりだろうが、知り合いだろうが、恋人だろうが夫婦だろうが、出来る時は出来るし、出来ない時は出来ない。

 スバルも感情的になってはいるが、深層心理ではこのことに気がついている。

 だから、「愛されないのは努力不足だ」という逆張り思想から生成されたキャラクターが悪玉側に登場する。


ペテルギウス


 だが、この辺りの認識は、あくまで深層心理にとどまり、表には出てこない。

 リゼロ世界では、日が昇ると明るくなるように、武功を立てると愛が成就する。

 普段なら、オタクコンテンツのヒロインに愛の根拠を問うことはあまりしない。

 だがリゼロだけは話が違う。

 リゼロでスバルの願望を肯定したら、物語が死んでしまうからだ。

 いままでリゼロは、スバルの罪悪感から逆生成されたリゼロ世界が、スバルの急所を的確に責め立てることで、利益を出してきた。

 だが、一期の19話辺りから、リゼロ世界はスバルを攻撃することを止め、願望を反映するようになり始める。

 その結果、スバルと世界の力関係が逆転し、スバルに作用することで形を保っていたリゼロ世界から質量が流出する。


「からっぽだ。俺の中身はスカスカだ」


 この独白はスバルの負の側面を表したものであり、同時に、スバルの認識から生まれたリゼロ世界の性質そのものなんだ。



◆スバルに作用しなくなることで紙ぺらに


ペテルギウス


 リゼロにおける彼の功績は大きい。

 彼がいたからレムの活躍があり、スバルの大爆発があり、大罪司教のブランド力がある。

 三期で他の大罪司教たちが揚々と騒いでいられるのも、彼の仕事があってのものだ。


レム


 彼女もまた、ペテルギウスと並ぶ、三章の立役者の一人だ。

 世界がスバルを足蹴りするなかで、彼女だけがスバルに安らぎを与え、物語にコントラストをもたらした。

 だが、レムが活躍できたのは、リゼロ世界がスバルを攻撃していたからだとも言える。

 二期の冒頭でレムが退場して、人気キャラがどうしてと思った人も多いと思うが、

 リゼロ世界がスバルの願望を映す鏡となったあとでは、レムにできることは少ない。

 むしろレムがいると、リゼロ世界がスバルの妄想であることが強調されてしまい、かえって邪魔にすらなる。

 
 ペテルギウスもそうだ。

 一見すると、彼が彼自身の力で舞台を盛り上げていたように見えるが、実際はそうではない。

 彼らがやっていたことは、漫才で言うところのツッコミに似ている。

 彼らの仕事は、スバルの強烈なボケがあって初めて成り立つものなのだ。

 ペテルギウスについては、15話で出てきた時はリゼロで初めて哲学を感じるキャラが出てきで喜んだのだが、17話で再登場した時にはまったくの別人になっていた。

 17話以降のペテルギウスは酷すぎる。無内容で、薄っぺらくて、それなのに声と身振りだけはやたら大きくて、見るに耐えない。

 これは一重に、スバルがボケていないからなのだが、「スバルが崩れたらここまで堕ちるのか」と驚愕した記憶がある。

 対戦ゲームで味方チームを勝利に導く(運ぶ)ことを「キャリーする」と言うのだが、

 このリゼロという作品は、良くも悪くも主人公・菜月スバルのワンマンチームであり、彼のハイパーキャリー無しではまったく立ち行かない。

 スバルの崩壊が招くのは、レムとペテルギウスの失速どころではない、言うなれば、リゼロ世界そのものの滅亡だ。


五人の王候補

 

 はっきり言って、彼女たち五人を選挙で戦わせて、面白くすることは不可能だ。

 三章で出てきた王戦メンバーは、スバルの「俺は社会に馴染めない=悪い奴だ」という印象から逆生成された、〝正しい人間〟だ。

 だから彼らは、「スバルの間違っている部分」に対応する「正しい部分」にしか、魂が宿っていない。


「君は無力で救い難い」


「カルステン家は一切の戦力を卿に貸し出さない」


「貴様のような畜生を擁する陣営など妾が打ち滅ぼしてやる」


「自分の正しさを信じてもらいたいなら、相応のものを見せなあかんよ」


 
 このように、スバルが強くぶつかっていけばカウンターを喰らわせることはできるのだが、

 逆に言えば、それ以外の機能は貧弱だ。

 彼女たちはその出自から、スバルに対応する〝正しさ〟から出られない。

 他の陣営の悪評を広めることはできないし、白鯨討伐の手柄を独り占めしようとすることもできないし、

 そもそも何がなんでも王になろうという強い意思もないし、その背景となる思想性もないし、

 あったとしても、そこにまともに取り合うだけの魂は宿っていない。

 3期の内容から察するに、リゼロは彼女たちを戦わせる話ではないのだろう。

 でも、彼女たちが自立した魂を持って戦ったら、きっと面白くなると思うんだ。
 
 

◆リゼロ二期つまんない!😡😡




 スバルは、三章の始めから終わりまでずっと正しいことをしている。

 スバルと周囲の認識の相違は、周りの人たちが死に戻り能力を知らないから起こっているにすぎない。
 
 その証拠に、スバルは最終的に戦力を集めてエミリアのもとに辿りつき、脅威を排除することに成功する。

 周りの人たちの意見が勘違いであったと証明されたわけだ。

 しかし逆に言うと、スバル自身は何も変わっていないとも言える。ただ周りの人たちが誤解して、それが解けただけだ。

 エミリアとのコミュニケーションエラーも、死に戻りの制約によるところが大きい。

 だが作中では、「スバルが成長したことで解決した」という文脈になっており、四章では「スバルは成長しました」という空気がぷんぷん漂っている。


 これが俺の中で、致命の一撃となった。


 いままでも「解決編がつまらない」などの欠点はあったが、章を跨いで話が切り替わることで、次の展開に希望を持てた。

 だが、スバルの成長だけは、本当に取り返しがつかない。

 いままで散々話したように、このリゼロという作品は、スバルの精神的な急所を責め立てることによって、利益を出してきた。

 この構図は、たんにグロテスクに殺されるだけでは再現できない。

 ちゃんとスバルの精神に弱みがあって、そこを的確に攻撃する文脈があってこそ面白くなるのだ。

 しかし、スバルが成長したことによって、スバルの精神と人間関係が安定し、それにともなって、リゼロ世界がスバルの脳内妄想と化す。

 その結果、「結果を出せば愛される」というスバルの思い込みが現実になり、がん細胞となって物語を蝕み始める。

 ペテルギウスが悪玉で登場したことから分かるように、スバルも深層心理ではこれが間違いだと分かっているものの、スバルに主導権を奪われたリゼロ世界では、スバルの欲望が優先される。


 三章の最後に、スバルが大きな武功を立てたのを見計らったかのようなタイミングで、レグルス・コルニアスという、自分の権利を主張するくせに人の権利をまったく認めない悪玉が出てくる。

 これは偶然ではない。

 スバルは三章で結果を出したことで、エミリアの意思とは関係なしに、エミリアとセックスする権利を得たと思っている。

 実際にスバルは四章に入ってからエミリアの身体に異性として触れるようになり、エミリアもそれを受け入れる。

 俺は頭を抱えた。

 この「結果を出せば愛される」という法則は、エミリアだけでなく、善玉側の勢力全体に及んでいる。

 三章でスバルを否定しまくっていた王戦メンバーも、白鯨討伐を境に、どれだけ魔女の瘴気を纏っていてもスバルを肯定するようになる。

 そしてそれは、スバルの認識から逆生成された彼ら自身の喪失を意味する。
 



 

◆ 動いて音が鳴ってるだけの映像



 スバルが成長したことで、カメラの焦点が移り、別のキャラクターたちの回想が入り始める。

 これも非常にまずい。

 リゼロのキャラクターは、ぱっと見でどれだけ魅力的に見えたとしても、本質的には空っぽなのだ。

 だからスバルに強く作用するように設計するか、もしくは三期の序盤みたいに、一度にたくさんのキャラを画角に入れて、賑やかにやってるくらいが丁度いい。

 一番やってはいけないのが、キャラクター一人一人に焦点を合わせた、長尺の過去回想だ。

 二期では、これが複数回に渡って行われる。(やめろ)

 リゼロ二期はそのほとんどが「動いて音が鳴ってるだけの映像」なのだが、エミリア、オットー、ロズワールの回想はその最たるものだ。

 正直言って、一期の9〜11話、19〜25話、二期の大半は「動いて音が鳴ってるだけの映像」だったため、何があったのかあまり覚えていない。

 覚えていないから、これ以上具体的な批判ができないのだ。

 見返せばもっと言うこともあるのだろうが、まあいいだろう。


 皮肉なことに、恐らくリゼロのキャラたちは作者に愛されている。

 愛されているがゆえに一人一人に焦点が当たり、回想が挿入され、物語がつまらなくなる……なんという悲しい運命だろうか。

 


◆赤字経営の三期



 最初は「おもしろーい😆😆」という気持ちで書き始めたのに、いざ終えると小言ばかり言っていた。

 予想を超えた部分も確かにあったのだが、それ以上に悪い意味で予想通りだったからだと思う。

 実際、俺はリゼロ三期を一度も見返していない。

 俺は面白いと思ったものは何回も見るタイプなので、見返していないということはつまりそういうことなのだ。

 リゼロ三期は赤字経営だ。アレは、一期で築いたものを消費することで物語を盛り上げている。

 例えば、

 一期で王戦メンバーにボコボコにされてたスバルが、三期では信頼され、逆にアドバイスまでしている。

 エミリアもベアトリスも、魔女の瘴気があってもお構い無しに、スバルの言うことを説明なしに信用する。

 今回のループでは、一人でも厄介だった大罪司教が一度に複数人登場し、いままでよりも強い敵がずらりと並ぶ。

 だがその分味方側も強くなっていて、従来の孤独な戦いとは打って変わり、最初から頼れる仲間が周囲にいる。



 これらは過去のループとの対比になっている。

 他にも、過去キャラと新規キャラとの絡みがあったり、久しぶりに会ったキャラの立場や関係性に変化があったり、明るい雰囲気から急に厳しい状況になったりと、

 作者のストーリーセンスは健在だ。
 
 だが同時にこれらの面白さは、すべてその場限りだとも感じる。

 これまで話したように、このリゼロという作品は、スバルの精神的な急所を責め立てることによって、利益を出してきた。

 だから、スバルが何の説明もなしに信頼性だけで信用されると、物語が死んでしまうのだ。

 作者に言いたいのだが、じゃあなんで〝魔女の瘴気〟って設定を作ったんだ? その方がスバルに疑念が向いて面白くなると思ったからじゃないのか? 自分が面白いと思って作った設定をみずから殺すのか?

 
 実は、三期の「王戦メンバーvs魔女教の総力戦」というパッケージの段階から、「物語がバトルに終始するんじゃないか」というのが心配だった。

 リゼロはバトル物としては平凡だ。

 バトルで良いなと思ったのは、一話でフェルトがエルサに飛びかかった瞬間と、三話でラインハルトがエルサをしばいたとこくらいで、他はマジで駄目だ。

 ただ、これは俺が能力バトル評論家だから駄目だと感じるだけで、みんなにとっては普通に面白いのかもしれない。

 しかしこの場では駄目だという前提で話を進める。

 バトル要素はエログロと同じように、大きく扱うと物語が陳腐化する恐れがある。

 現時点で三期の五話まで視聴済みなのだが、

 俺にはリゼロがこの先、〝残酷ポルノ〟と〝最強キャラランキング〟で飯を食おうとしているように思えてならない。

 リゼロはマジで一期の19話から、内容が〝なろう作品〟になり始めている。

 俺的には嫌でしょうがないのだが、実は文句を言っているのは俺だけで、世間的にはこれで正しいのかもしれない。


 こんだけ広告に金を使うくらいだから、制作も面白いと思ってるのだろう。

 あまり作者を甘やかさないで欲しい。

 この人ならもっと良いものが書けるはずだ。



◆俺が夢見た理想のリゼロ



 ただのいち視聴者のくせに、偉そうなことをたくさん言ってしまった。

 この記事の内容は、合ってる間違ってるは置いといて、ぜんぶ俺の我儘だ。

 俺がリゼロという作品に対して勝手に理想を抱き、現実とのギャップに喚いているにすぎない。

 では、俺が抱いていた〝理想のリゼロ 〟とはどのようなものだったのか、最後に語っていきたいと思う。



◆スバルを圧迫し、ストーリーセンスを活かす



 基本的な方針はこの二つだ。

 ①スバルを精神的に圧迫する
 ②作者のストーリーセンスを活かす


 二章のような「スバルを信じていいのか分からない状態」を維持すると①と②の両方を満たすことができるので、一つのエピソードが終わった時に「スバルが信用されすぎないように」気をつける。

 以上を踏まえて、「スバルを攻撃する役」と「優しくする役」を作る

 例えばレムは二章では攻撃役、三章では保護役を務めた。

 16話の、

クルシュ「もっとも、卿も魔女教なら知りえて当然だが」

レム「クルシュ様、お戯れはよして下さい。スバル君が魔女教だなんて、そんなことあるわけないじゃないですか」


 このやり取りのような、保護役に回ったキャラの信用を揺さぶるシーンを意識的に挿入し、攻撃役の疑念は解決編の格好良さで晴らす。(序盤で話した)

 このように、

 疑われる→解決編で信用を得る→信用が揺らぐ

 というような、周囲の認識の振り子を常に止めないように神経を使う。

 〝魔女の瘴気〟を設定したことはリゼロの大きな勝因だったと思う。

 死に戻り&魔女の瘴気のコンボで、スバルに対する周囲の認識を簡単に揺らすことができるからだ。

 こうして飴と鞭を交互に差し出しながら、スバルに物語をキャリーしてもらい、他の皆はそれを全力でサポートする。

 そしてスバルを一番助けられるのが……



 実はエミリアなんだ。



 

◆ リゼロ世界は「エミリアを傷つける」という目的の下に集え




 スバル―エミリアの関係性はリゼロの最重要事項だ。

 そもそもこのリゼロという作品は、スバルがエミリアという呪われた少女を好きになってしまったところから物語が始まっている。

 本編を見ていると忘れてしまいそうになるが、〝破滅の運命〟に囚われているのは、スバルではなくエミリアだ。

 エミリアに関わろうととしなければ、スバルがあんな目に遭うことはなかった。



 これまでスバルを圧迫することの重要性を散々聞かされてきたあなたなら、エミリアがどれだけ大きな役割を果たしているかお分かり頂けると思う。

 エミリアを攻撃することでスバルに圧力がかかり、物語が盛り上がる。

 このような仕組みを〝スバル―エミリア陣形〟と名付ける。

 
 リゼロは、スバルの精神的急所を突くだけでなく、エミリアを攻撃することでも面白くなる。

 この観点から俺界隈で地味に好評だった展開が二つあって、一個目がこれ。


「元々予想された事態でもある。辺境伯がハーフエルフを支援すると表明した時点でな」


 自分のせいで関係ない人たちが殺されたり、その憎しみが自分に向いたりしたら、エミリアみたいな人間はどうなると思う?

 そして二個目。


「少なくても彼は、あなたが世に恐れられるような存在ではないと皆に示した。良い従者をお持ちですな」

 

 この時、エミリアは


「スバルは私の従者なんかじゃありません」


 って突っぱねるんだけど、

 これは、劣悪な環境に適応した人間が救いの手を差し伸べられた時に見せる初期反応なんだ。

 三章において、スバルは成長することでエミリアと和解するのだが、スバルはありのままでいい。

 スバルの空気の読めない性格は、普段は煙たがられる要因にしかならないが、差別の蔓延した世界ではそれが良い方向に働く。

 スバルに必要なのは、自分が「エミリアを否定するリゼロ世界にNoと言える人間」であるという気付きと、そんな世界と戦っていく覚悟だ。

 エミリアにも「攻撃役」と「保護役」を配置する必要があるのだが、エミリアの場合は攻撃役に〝リゼロ世界〟を、保護役に〝スバル〟を配置する。

 もし俺がリゼロの編集者に就任したら、まず作者の家に突撃して、四章以降の話を無かったことにしてから、壁のあちこちに次のような文言を貼る。


 リゼロ世界は「エミリアを傷つける」という目的の下に集え。


 リゼロはエミリアに対する攻撃がまったく足りてない。

 エミリアは可愛くて優しくて温厚で、リアルで恋愛するなら良いの相手だが、彼女が普通にしていてもてんで物語にならない。

 エミリアみたいな人間をヒロインとして機能させるには、間違っている世界に閉じ込めて、緩やかかつ確実に自己肯定感を傷つける必要がある。

 ストーリテラーは時に悪魔にならねばならない。

 まず、特別な理由が無いなら、エミリアをハーフエルフから純潔のエルフに変えて、ルグニカ王国内でエルフが実際に差別を受けているところを描写した方がいい。

 エミリアの性格なら、目の前で同じエルフが酷い目に遭わせることがそのままエミリアへの攻撃になる。

 元々エミリアが王戦に参加するのは凍った故郷を溶かすためらしいが、故郷も凍らせずに、今も住処を圧迫されてる設定に変えた方がいい。

 とにかくリゼロ世界にエミリアと同じ背景を持つ生きた人間を作って、エミリアの政治活動の結果に関わる人数を増やすべきだ。

 あとは王戦メンバーの中にも、エミリアに差別感情を持ち、ルグニカ貴族の価値観を代表するキャラを複数配置する。

 五人の中ならクルシュが妥当か。クルシュはエミリアと若干人間性が被っているので、一つの案として、純粋さと公平さを減らして階級意識を増やすといいかもしれない。今のままだと物語的に厳しい。

 あと、メイザース領の住人とエミリアの関係はもっと緊張させた方がいい。これはアーラム村じゃなくてもよくて、エミリアが立候補したことで被害を受ける市民が他にいれはそいつらでもいい。

 パックも内心では何考えてるのか分からないキャラにした方がいいと思う。

 四章ではパックが居なくなったことが成長のきっかけになったが、居なくなるよりも自分の意思で離れた方が面白いし、エミリアが信じようとするものは不確かなほうがいい。

 エミリアを揺らせばその分スバルに仕事が回ってくる。
 

◆攻撃隊長ユリウス


 


 この記事を読んだ人たちは、俺が急にユリウスに怒り始めたことに戸惑ったと思う。

 ユリウスには可能性があった。

 例の記事で「ユリウスを筆頭とする善玉側に王戦メンバーが現れ」と表現したように、ユリウスは善玉勢力の中で最もスバルに影響を与えられる存在……つまりやれば出来る子なのだ。

 ユリウスの仕事は多岐に渡る。

 まずユリウスは、スバルの精神的な急所を正確に突くことができる。

 リゼロでは膝枕のような母性を求めるシーンが複数出てくるが、俺から見ると母性と性欲が結びついているだけで、母親からの愛情が不足している感じはしない。

 だが父性は足りていないように感じる。スバル自身がそれを求めているというより、無いとバランスが悪いという感じだ。

 あくまで例え話なのだが、ユリウスとスバルは兄弟で、ユリウスは成績が良くて父親に認められており、成績の悪いスバルは叱られはしないものの内心では劣等感と欲求不満を抱えている。

 リゼロの解決編がつまらないのもこの辺りが関係しているのではと思っている。

 「嫌だけど叱られてやる」というフェイズが消えてるから、結果だけを求めて過程が空白になり、「頑張らなきゃいけない」という罪悪感で自己駆動しようとするも上手くいかない。

 ユリウスはそんな弟を軽蔑しており、スバルは口では言い返すも本心では兄に憧れており、認められたいと思っている。

 だからリゼロ世界がスバルの妄想になった後では、ユリウスはスバルのことが大好きになる。

 ユリウスは父親に愛された長兄として、リゼロに不足している父性を代行できる。

 父親が叱る代わりに、兄が軽蔑するというわけだ。

 このことから分かるように、ユリウスはスバルに対して強い影響力を持っている。

 さらにユリウスは、ルグニカ貴族の価値観を自然に体現できる立場にある。

 ユリウスは表には出さずとも、エミリアを差別しているべきだった。

 ユリウスがエミリアを攻撃すると、スバル視点では「憧れの人が間違ったことを言っている」となり、〝スバル―エミリア陣形〟に貢献できる。

 なのに「私は己に従ったまでた」とか腑抜けたことを言って剣を振り回し、スバルに心を支配されているから、「しっかりしろ」と叱ったのだ。
 

 
 
 

◆それでもリゼロが好きだ



 これだけ文句があっても、やっぱりリゼロが好きだ。

 1話や13話以降を初めて見た時の高揚感が今でも忘れられない。


 このpvに出てくる、

「無力な少年が手にしたのは、死して時間を巻き戻す、死に戻りの力」

 っていうフレーズにリゼロの面白さが詰まってると思う。



 主人公がスバルでよかった。

 スバルが自分の内面に深く潜り込んだからこそ、リゼロという物語がある。



 エミリアもあんま人気無いみたいだけど、俺はめっちゃ好きだ。

 リゼロのヒロインがエミリアでよかったと心の底から思う。



 13話でエミリアと喧嘩別れした次の週にこの新OPが流れるの、マジでやばかったな〜。

 ワクワクが止まらなかった。

 あとEDの〝STYX HELIX〟


 歌詞が「エミリアが死に戻りしてるスバルを俯瞰してる」っていう本編にない角度から書かれて、すごく味わい深い。

 メロディもめっちゃ良くて、1話の最後に流れてから頭から離れなかった。

 俺にとって最高のアニソンだ。


 最後に作者の長月達平さん。

 
 こちらこそ、素晴らしい物語を描いてくださってありがとうございました。




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