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悪口が止められない病気って?【つれづれ綴り帳】

前回の「眠れない夜と戦う」では、不眠症状について取り上げた。

今回は、私を長年悩ませているもう一つの症状について、語っていこうと思う。


【前回追記:悪夢が目覚ましく減った。言葉で発散することは良い影響をもたらすのかもしれない。あとぬいぐるみを抱かなかったらハチャメチャな悪夢を見た。あれでも抑えられてた方だったのだ。】


さて。私のもう一つの症状、それは題の通り悪口が止められないことである。といっても心の中である。声には出さないし、出したらお縄になる頻度とレーティングで、始終上演している。

仮に「声」と名付けよう。声は自分に向けたものと他人に向けたものがある。どっちにしろ最悪で、自己嫌悪がノーブレーキで突っ込んでくる。嫌すぎる。

この症状について心理学的な所見を述べたい。一種の強迫性障害、チックともとれる。が、ここは私の愛読書であるピート・ウォーカー氏の「複雑性PTSD」からお知恵を拝借するところによると、機能不全家庭で育ったことによる、鬱屈した親への批判だそうだ。

子は親を責められない。故に自分を貶めたり他人へと攻撃を向ける…というプロセスの変異種らしい。

自己批判もともかくとして、とりわけやっかいな「外部への攻撃」について分析を進めていこうと思う。

私は見知らぬ人を見かけたり接したりする時、「自主規制」や「自主規制」と心の中で叫んでいる。むにゃむにゃ。私だってこんなこと言いたくない。それでもこれを書くこと、誰かに相談することはものすごくハードルが高くて怖かった。ふつうに引かれるだろうし接する時『コイツ悪口言ってんのかな…』と思われるのが辛い。

マイナス思考が過ぎるかもしれないが、これが私なのだ。笑っておくれ。日本中を震わせて。この童謡覚えてる人いる??


…ウォーカー氏曰く「外向きの批判家」(という用語が頻出する)というのは、苛烈な家庭環境を生き残るために発達した自己防衛プログラムなのだそうだ。

他人の欠点をあげつらい、批判する。これにより「他人は危険だ」という思考が強化され、ますます人を避けるようになる。なんのために?もちろん、子ども時代に受けた裏切りを二度と繰り返さないために。

つまり脳は守ってくれているのだ。人と向き合い、傷つくことから。

か〜〜ッ、なんというハタ迷惑。もういい。戦いは終わったのだ。私は脅威にさらされていないし、人を恐れて遠ざけるのは私の為にならない。

とはいえ私は眠れないほどに過去の傷から回復していない。そこから解放されるための戦いは、私が、現在の私が導いてやらねばいけない。
長く厳しい戦いになるだろう。それでも私は歩みを止めない。人としての尊厳と誇りをかけて。


ここまでお読み頂きありがとうございました。同じ症状で悩まれている方、過去の傷が癒えない仲間に届きますように。コメントや感想、その他お待ちしております。

ではでは。

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※具体的な解決策については、「他人と関わる」「コミュニケーションによる安全な感情の開示を学ぶ」など新しい生存戦略を学ばせることだろう。

これからカウンセラーさんに相談したり自助グループを探してみようと思う。参考までに!!









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