西と東がぶつかる場所で、古代に陽気なミュージシャンが描かれてた……@東京国立博物館
東京国立博物館(トーハク)の中で、日本以外のアジアの古物を展示するのが東洋館。その2階の奥には、10畳ほどのスペースを含む、大谷探検隊の将来品……中国西域の作品が展示されていることが多いです。
そこに、いつだったか印象的な壁画や器が展示さていたのですが、noteの下書きに埋もれさせていました。現在は展示されていませんが、せっかく思い出したのでnoteしておきます。(調べたら、昨年2023年の9月〜10月頃に開催されていた特集展『博物館でアジアの旅 アジアのパーティー』でのことでした)
大谷探検隊は、大谷光瑞がリーダーとなった探検隊です。1902年〜1914年に、3回の探検隊を組織。主に現在の中国・新疆ウイグル自治区のシルクロード上にある各地をめぐりました。
大谷探検隊の探検時期については下記のとおり。
第1次(1902年 - 1904年)
第2次(1908年 - 1909年)
第3次(1910年 - 1914年)
■ベゼクリク石窟の《衆人奏楽図》
この《衆人奏楽図 TC-554》は、今の新疆ウイグル自治区にある、ベゼクリク石窟の1つ、第33窟の壁画として描かれていたそうです。トーハクのサイトには「ベゼクリク石窟は、『西遊記』でおなじみの火焔山(かえんざん)の麓につくられた石窟寺院で、そこには10世紀にこの地に移り住んだウイグル人独自の仏教美術がみられます」とありますが……大谷探検隊などが行った頃から西欧諸国や日本の探検隊が、この石窟から多くの壁画が国に持って帰ってしまったため、現地で今見られる壁画はほとんどないようです。
ウイグル人は、どうやらモンゴルからやってきたようです。「くっきりとした目鼻立ちの人物は、横笛、縦笛、シンバル、太鼓、四絃琵琶などを演奏しています」としています。
解説パネルによれば「この壁画があった石窟の奥には塑造の仏涅槃像(釈迦が右肩を下に横たわって亡くなった姿の像)を安置し、この壁画の反対側には菩薩や仏弟子、諸国の王が仏の死を嘆き悲しむ場面が描かれていました」そうです。
以下の写真の作品は、上の《衆人奏楽図》と同じくベゼクリク石窟から大谷探検隊が持ち帰ってきた《持香炉菩薩跪像 TC-553》です。
■ホータンの《如来坐像》
トーハクは、ホータンから出土または発掘された複数の遺物を、令和3年度に新たに収蔵しています。安く手に入れられる時期だったのか、それともこの時期を逃すと手に入れられないような貴重なものだったのかは分かりません。
その1つが、《如来坐像 TA-718》です。
解説パネルでは「ホータンは中国新疆ウイグル自治区南部に位置するオアシス都市で、かつて仏教国として栄えました」としています。冒頭で挙げた、大谷探検隊の足跡を記した地図にも「1」としてあります。
同じくホータンから誰かの手によって持ち帰られた《千仏図 TA-714》。同じくホータンで作られたものだからでしょうが、《如来坐像 TA-718》と、描かれ方が似ているように感じます。
描かれているのは、いずれも如来。
■ヨートカンの《共命鳥像》
■《舎利容器》
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