円山応挙や池大雅の書が、仲良く展示されています@東京国立博物館
東京国立博物館の2階に行くと、「書画の展開」という部屋があります。安土桃山から江戸時代にかけての有名書家や絵師の作品が飾られている場所です。
「書」については、良し悪しを判断できるほどの知見を持ち合わせていませんが、アートとして見た時には「あぁ、なんか良い筆づかいだな……」なんて思うこともあります。
2023年3月2日現在は、そんな「書」が3つ並んで展示されていました。特に2点については、へぇ……あの人はこんな書を書く人だったんだな……って思いました。
上の写真が、その3つ。中央が絵師として有名な池大雅さんです【享保8年5月4日(1723年6月6日)〜安永5年4月13日(1776年5月30日)】。右が、池大雅さんと同時代に、同じく絵師として活躍した円山応挙さん【享保18年5月1日(1733年6月12日)- 寛政7年7月17日(1795年8月31日)】。
そして左が、もう少し前の時代に生きた、書家の龍公美さん【正徳5年(1715年)〜寛政4年(1792年)】。名は公美、字は君玉、号を草廬・竹隠・松菊・鳳鳴などを使い分けていたようです。この方、わたしは全く知りませんでした。
■池大雅《花開万国春》
まずは、池大雅さんの《花開万国春》。昨年か一昨年にも展示されていた記憶があるので、この季節の常連作品なのかもしれません。
花開万国春(はなひらいてばんこくのはる)
意味は「日毎に暖かさが増していくとともに、至る所で様々な花が咲き始め、本格的な春の訪れが感じられる」……と多くの解説書に記されていますが、その後に「その長閑な日々が未来永劫へと続くことを祈る気持ちを込めた言葉」といったことが書かれています。
え? なんで5文字の言葉に、それだけ多くのことが盛り込まれていると判るのか? とも思いますが、この一文が、中国唐時代の禅僧である、臨済義玄さんの言葉を集めた語録『臨済録』の一節が元となったとされているからでしょう。ネットで調べると、いわゆる禅語が元になっていると書いてあるのですが……しっかりとした解説が見つかりませんでした。残念……。
■円山応挙《春曉》
こちらは円山応挙さんが書いた《春曉》。
あっ……と思った方は正解です。中学だったか高校の時に習う、孟浩然さんが詠んだ「五言絶句」と言われるものですね。
春眠不覚暁
処処聞啼鳥
夜来風雨声
花落知多少
春眠暁を覚えず
処処啼鳥を聞く
夜来風雨の声
花落つること知る多少
春の眠りは心地がよく、夜が明けるのも気づかないほどです。
あちらこちらから鳥のさえずりが聞こえてきます。
そういえば昨夜は風雨の音がしていたな。
いったいどれほどの花が散ったことでしょうか。
■花飛んで樵路が香し
3つ目が、この龍公美(りゅうこうび)さんの書。
花飛樵路香
花飛んで樵路が香し
なんだか、この言葉自体が意味がさっぱり分からないのに、美しい感じがします……なんでしょうね……。そして上の書を見て、判別できる文字が「飛」という感じだけです。その「飛」の文字が、すごく「飛びそう」な勢いの良さ。そのほかの文字も……読めないのに……バランスが良くて、全体として心地よいんですよね。
ちなみに【樵路(しょうろ)】を辞書で調べると、「きこりなどの通る山中の小路」とあります。一文字で【樵(きこり)】と読みます。
どうやら下記の漢詩の一節を抜き出して記したようです。
初歲開韶月,田家喜載陽。
晚晴搖水態,遲景蕩山光。
浦淨漁舟遠,花飛樵路香。
自然成野趣,都使俗情忘。
■小林一茶の句稿《評判の八重山ざくら云々》
おまけ……と言っては非常に失礼ですが、好きな小林一茶の書が架かっていたので、こちらもnoteに保存しておきます。
何が書かれているのか分からないまま「手紙かな?」と思ったのですが、ヒントは解説パネルにありました。「小林一茶が自作の句を書き留めた作品」とあります。それをきっかけに、小林一茶のデータベースと照合していくと、下記のように読めてきました。まだ一部は分かりません。
評判の八重
山さくら あゝ老ぬ
花さくや伊達
にくはへし売きせる
善光寺
開帳に逢ふや
雀もおや子連
おなしく
刈のや堂(?)
花の世ハ仏の
身さへおや子こな
陽炎や新吉原
の昼の体
薮?のわゝな月
うくひすよ(?)
惣ゝにきげん
とらるゝ蚕かな
新保高台な(?)
ちる花やお市
小袖の裾ではく
それ虻に世話
をやかすな
明り窓
一茶
■松尾芭蕉と与謝蕪村……それに本阿弥光悦
前項の小林一茶の作品と、下の松尾芭蕉、与謝蕪村の2作は、セットで展示されることが多いようです。なんで、この3作がセットに展示されるんですかね? なにかあるんだと思うのですが……。トーハクの研究員……学芸員の方に聞いてみたい気がします。で、一番最後のは本阿弥光悦です。
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