藩主や将軍、皇太子がこぞって訪ねた沼津の名園
20代後半の一時期に、植木屋で働いていました。その頃に、都内の元大名庭園(都立公園)を訪ね回ったことがありました。最近では、雑草の花への興味は継続しているものの、庭といえば東京国立博物館の裏にある庭園しか行っていません。
先頃、そのトーハクの書画の部屋で、円山応挙や円山応瑞の絵を見て、その寄贈者が同じことに気がつきました。いずれも「植松嘉代子贈」とあり、解説パネルには「円山四条派と交流のあった沼津の植松家に伝来しました」と記されています。
「いったい植松家とは何者なんだ?」と考えるのは、自然なことだったでしょう。
東京国立博物館で円山応挙と言えば、今年の8月に『朝顔狗子図杉戸』を見てキュンっとなったばかりです。今回は、そんなかわいらしい仔犬の絵とは真逆の、猛々しい龍の図。眼光鋭く、稲妻を手にしていまにも地上に投げつけそうな勢いを感じます。
一方の『鯉魚図襖』を描いた円山応瑞は、応挙の長男。Wikipediaには「円山派は長男の応瑞が継いだが、後述の弟子たちの方が有名である。」と記されています。なんという身も蓋もない書き方をするものかとも思いますし、実はトーハクで2つの絵を見た時には、この長男の応瑞の鯉の絵の方に惹かれました。画題がわたしの好みだったのかもしれませんが、親の応挙譲りの、とても写実性の高い細やかな筆使いだなと思いましたけど……どうなんでしょう。
水面の描き方とか、陰影の付け方など、すごいなと思いましたよ。解説パネルには「鯉は応挙も多く描いた画題で、ここに描かれた鯉も、まさに応挙の図様を継承したもの」としています。パパの応挙も、この息子の絵を見て、喜んだのではないでしょうか。
しっぽの繊細な線など、すごくないですか? また、けっこう地味な絵なのに、金砂子蒔きとして、完成させた当時は白い襖にキラキラと映えたでしょうね。
この絵を見ていると、Wikiに「弟子たちの方が有名である」というのは、なんともかわいそうだとも思うのですが……その弟子たちというのが、呉春や長沢蘆雪なのですから……まぁ事実と言えば事実ですね。あくまでも、彼らの方が有名だとしているだけです。応瑞は円山派の継承者として、父・応挙の技をしっかりと守ったのでしょう。むしろ、血縁ではないし、ましてや「弟子」と言うよりも「客分」として迎えられていた呉春と比べられるのも酷な気がします。
■沼津の植松家とは何者か?
植松家とは、東海道の原の宿(静岡県沼津市)を本拠とした、江戸時代の資産家だと言います。その6代目の当主、植松季英(蘭渓)が、円山応挙やその一門、池大雅、岸派などの画人と親交を結び、その書画を収集したそうです。
以下もWikipediaに記されていたのですが、この六代の蘭渓は、京へ頻繁に行って、まずは池大雅と、その後は円山応挙と親交を結んだと言います。その応挙には、自身の跡取りを送り込み弟子入りさせます(応令)。
その後も「駒井源琦、長澤芦雪、呉華、岸駒、そして伊藤若冲、儒学者の皆川淇園とも交流があったこともわかっている。蘭渓は様々な書画を発注し、原へ送らせた」のだそうです。
そして、地元の原では、植松家が昭和の初めまで代々整備することになる「帯笑園」という、植物園に近い庭園がありました。その庭園は、当時からかなり有名で、参勤交代で通りかかる大名や文化人などが、こぞって訪れたそうです。蘭渓の時代ではありませんが、井伊直弼をはじめとする歴代の彦根藩主や、木下肥後守、仙石越前守、紀伊大納言殿、松平土佐守などの大名、オランダ領事のポルスブルックが訪れたという記録も残っています。
さらに幕末には14代将軍の徳川家茂が2回立ち寄ったほか、明治以降には多くの皇室や皇族が訪問。なかでも皇太子時代の大正天皇(嘉仁親王)は、18回、訪れていたと言います。
「帯笑園」が、なぜこれほど人気だったかと言えば、まずは季節ごとに花咲く植物が魅力だったこと。さらに前述した六代当主の植松季英(蘭渓)が、多くの絵師や文人と交流し、絵や書が集まっていったことも、大きな魅力となったのでしょう。
Wikipediaには「植松家は家訓により、植物や鉢物を売ることを禁じている。もしも大名や公家がそれらを希望した場合は、献上する代わりに書や絵や絵画を所望した」とあり、「一種の文化サロンのようになっていた」のです。
そうして集められたコレクションが、トーハクへ寄贈されて、展示されているということ。本当にありがとうございます! なのです。
■トーハクの『旧植松家コレクション』
植松家=植松嘉代子さんが、トーハクへ寄贈してくれた数々の作品を並べてみます。トーハク蔵の「植松家コレクション」とも言うべきものですね。あぁ……これ見たことあるよ! という絵もありました。うん……かなり重要な絵がザックザクですね。
狩野山雪『猿猴図』と、下の伊藤若冲『松梅孤鶴図などは、展覧会のパンフレットなどに使いたくなるような、目が離せなくなるような魅力がありますね。こうしてデジタルデータで見るだけでも、惹き付けられるのですから、実物を見てみたいものです。
上の襖絵は、まぁ「呉春っぽいよね」という雰囲気です。どうも呉春と、その師の与謝蕪村の違いがパッと見てわかりません。そういえば、この旧植松家コレクションには、与謝蕪村がないですね。お金の問題で手に入らなかったわけではないでしょうから、当時生きている
ほかにもありますが、ちょっと眠くなってきたので、今回はここまでです。また展示で見かけたら、それぞれ画像を差し替えていきたいと思います。
ちなみに帯笑園は……画像が少なくて、現在がどんな庭園なのかネットでは全体像が掴めませんでした。花などが好きであれば、行ってみると良いかもしれません。明治の頃までは、雑草の棚というのがあったそうで、そこが現在もあれば見てみたいなと思いますが、たぶんないだろうなぁ。まぁでも沼津へは、伊豆へ行く時に何度か通ったことがあるので、機会があれば行ってみたいと思います。
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