『源氏物語』の対象的な2人の女性を描いた明石と蓬生(よもぎう)の屏風……東京国立博物館「屏風と襖絵」①
金木犀(キンモクセイ)の香りが近所にあふれています。近所では、今年は昨日(10月18日)か今日が、キンモクセイの満開の日だったと思われます。
なんでキンモクセイの話をしているかと言えば、2年前の今ごろ……10月9日のnoteを読み返すと「キンモクセイが咲いていたと思ったら、雨が多かったからか、もう見かけなくなり……」と記されていたからです。今年は2年前よりも、満開の時期が2週間くらいは遅いということ……。今年は本当に暑かったんだなぁと。
それにしてもキンモクセイって……「涼しくなったから、そろそろ咲こうかな」って思っているんでしょうかね。
■《源氏物語図屏風(明石・蓬生)》
上述した、キンモクセイについて書いた2年前のnoteには、東京国立博物館(トーハク)の本館2階7室の「屏風と襖絵」の部屋に展示されていた、筆者不詳の《源氏物語図屏風(明石・蓬生)》について記していました。
その『源氏物語図屏風(明石・蓬生)』が、今回も同じ部屋に展示されていたんです。2年後というトーハクとしては短い期間で同じ作品が展示されている……ということは、同作が優れた作品だと評価されているということでしょう。
ということで、『源氏物語図屏風(明石・蓬生)』です。
■光源氏の明るい未来が開く転機となる…明石(あかし)の巻
まず、右隻に配されているのが『源氏物語』の「明石」の巻を描いたものです。
「明石」の巻を、現代の感覚でざっくりと説明すると、京でやらかした光源氏が須磨へ左遷されてからのお話です。その左遷先の須磨で暴風雨に遭った光源氏は、地元の有力者・明石入道の招きにより、明石へ移り住みました。明石入道は、光源氏に取り入ろうとして、娘の明石の君と結ばせようとするんです。踏んだり蹴ったりの状況から救ってくれた明石入道に、恩義を感じたからか、それとも単に女好きだからなのか、光源氏は明石入道に指定された日時に明石の君の邸へ向かいます……おそらく今回の《源氏物語図屏風》には、この時の情景が描かれています。
だとすると、この日……というのは、8月13日……つまりは十三夜(じゅうさんや)であり、今年で言えば10月15日……先週の火曜日です。スーパームーンが18日の金曜日でしたので、月がちょっと欠けていた時期ですね。屏風に描かれた月を見てみると……まぁほぼほぼ満月として描かれています(月が黒いのは、銀箔が褪色してしまったせいだと思われます)。
ちなみに下の写真は、10月12日17時19分に自宅から撮った月です。上の話を知っていたら、15日に撮ったんですけどね……まぁ15日は曇りがちだったような気もします。
先述は、光源氏があまり乗り気がしないままに明石の君のもとへ行ったかのように記しましたが……実は逢う前に和歌のやり取りをするのが平安時代のしきたりです。光源氏も明石の君と何度かやり取りするのですが、そのうちに光源氏の方が「早く逢いたいなぁ」という気分になっていきます。
なにしろ須磨や明石に来てから2年も、睦言(むつごと)を語りあう女性がいない生活を送っているので、光源氏は寂しくて仕方なかったんですね。
そんな歌を明石の君に送りつつ、十三夜の日が来ました。まだ空が暗くなりきっていない16時過ぎには、東の空に月が見え始めていたはずです。だんだんと光が強くなっていく月を見ながら、光源氏は明石の君の邸へと向かいました。
一方の明石の君としては、野望実現のために親に言われて光源氏に会うことになったのですから……「都会育ちでイケメンと噂されている光源氏と逢えるなんて! 楽しみで仕方ありませんわ!」なんて風には、こちらも当初は思っていません。
そして光源氏へ送る明石の君の和歌には、楽しみにしている気持ちと、そうでもない気持ちが混ざりあったような気持ちが織り込まれている気がします。どちらとも取れるというような……物語を読む人がその時々の自身の気持ちの状態によって、意味が変わってしまうような歌が挿入されているんですね。
「明けぬ夜に やがて惑へる 心には」などは、光の見えない暗闇の中で明石の君が苦しんでいるようにも思えます。それでいて「いづれを夢と わきて語らむ」と「もう心がドキドキしてしまって、お逢いした時にちゃんと話せる自信がありません」といった、乙女のような気持ちも入れています。この歌が送られてきた光源氏としては……特に、光源氏は明石の君への気持ちが前のめりになっていますから……「もう私に夢中なのか」と思わせるような……したたかさも含ませているようにも感じます。
平安時代の男女は、逢う……つまり逢瀬ですね……その逢う前に手紙でやり取りをしていました。現代の男女の多くの出会いは、マッチングアプリ経由と聞きます。そうした出会いでも、最初はメールのやり取りから始まるでしょう。平安時代には、それがメールではなく和歌のやり取りだったということです。
そのやり取りをするうちに、相手の教養を含めた様子や容姿を探り、想像するわけです。その最初のやり取りで、光源氏は「意外だったなぁ……明石の田舎の姫とばかり思っていたけれど……都の女性とやり取りしているよだ」と思ったのではないでしょうか。
そうした明石の君のキャラを反映しているのが、屏風の右隻の左端に描かれている明石の君の邸です(↑ 上の写真です)。明石の君は身分が高いわけではありませんが、意外と風流な気持ちを持ち合わせた女性……という雰囲気が邸の描写から感じられる気がします。
ちなみにこの『明石』の巻の時、光源氏は27歳で、明石の君は18歳という設定です。先日放映されたNHK大河ドラマ『光る君へ』で、東宮の居貞親王(いやさだしんのう)のもとに、藤原道長の娘の妍子(きよこ)が入内(じゅだい・嫁入り)することになりました。この時の居貞親王が33歳で、妍子は15歳でした。ドラマで妍子は、「おじさんはおじさんよ」と、居貞親王のことを一刀両断していましたよね。今回の明石の君も、「光源氏って、いくら高貴な方と言っても、もう27歳のおっさんでしょ? なんでわたしが……」という気持ちも、当初は強かったのでしょう。
《源氏物語図屏風・明石》には、光源氏と明石の君の邸が描かれています。明石の君こそ描かれていませんが、その金雲の雲間に描かれた邸は、明石の君そのものと言っていいでしょう。つまりは明石の君が、播磨国(兵庫県南西部)という地方で生まれ育ったとはいえ、父が以前は播磨守で三位中将という高い地位にいた人という、まぁまぁの身分で、風流を解する人だということです。
明石の君はこの後、光源氏の正式な妻となり、後に中宮(天皇の正妻のような人)となる……物語のキーパーソンの1人となる……明石の姫君を産むことになります。つまりは、明石の君との出会いを描いた「明石」の巻は、左遷されて、どん底まで沈んでいた光源氏にとっては、これから明るい未来へと進んでいく、人生における良い意味での転機となった重要なシーンなんです。
■成熟してきた光源氏を象徴する…蓬生(よもぎう)の巻
光源氏にとっては、明るい未来に向けての転機となった明石の君との出会い……そんな「明石」の巻を描いた右隻(うせき)の隣にあるのが……「蓬生(よもぎう)」の巻を描いた左隻(させき)です。
光源氏が26歳で左遷されて須磨で数カ月から1年くらいを過ごし、明石の入道のいる明石に移って1〜2年を過ごします。だいたい2〜3年間は京を離れていたことになります。そして28歳の時に京へ帰ります。
帰京してから程なくのこと……光源氏は偶然、18歳の時の元カノ……末摘花(すえつむはな)が住んでいるという邸の前を通ります。ですが、邸は手入れや修繕が行き届いておらず、塀も縁側もボロボロで雑草が生い茂っているような邸でした。
以前付き合ったことのある人が、貧しく寂しい生活をしていると分かったら、誰でも心が締め付けられますよね。28歳になり、大人になった光源氏もそうだったんです。しかも末摘花(すえつむはな)が、今に至るまで自分を一途に待ち続けていることを知ります。
そんな末摘花(すえつむはな)の現状を伝え聞いた光源氏は、「あぁ……わたしは末摘花(すえつむはな)のことを、完全に忘れてしまっていたなぁ」と、自責の念を抱きます。そして末摘花(すえつむはな)に会いに行こうと決心しました……その時の様子を描いたのが、今回の《源氏物語図屏風》の左隻、「蓬生(よもぎう)」です。
「末摘花(すえつむはな)」という名前を聞くと、可憐そうな女性を思い浮かべてしまいます。性格は確かにそうなのですが、容姿については、そうした印象とはほど遠いものとして源氏物語には記されています。
光源氏が初めて末摘花(すえつむはな)と会ったのは、第6帖の「末摘花」巻です……光源氏は18歳でした。無事に末摘花(すえつむはな)と一夜を過ごした後の朝のこと……光源氏は末摘花(すえつむはな)の容姿の酷さを見て驚愕します。紫式部はその酷さを、こう記しているんです。
『源氏物語』では、けちょんけちょんに描写されている末摘花(すえつむはな)ですが、色んな人生経験……特に女性経験を積んだ光源氏は、(自身のことは棚に上げて)多くの女性の自分への愛情が移り変わっていったのに、末摘花(すえつむはな)だけは変わらずに自分を愛してくれていたことに感動してしまうんですね。
それで光源氏は、別邸の1つである二条東院に末摘花(すえつむはな)を住まわせて、彼女を庇護しようと決心します。
美しくない末摘花(すえつむはな)に会いにいった光源氏のことを門の外で待つ部下たち。指を差して馬鹿にしているような人もいますね……「うちの旦那はもの好きにもほどがあるぞ」とか「こんな貧しい女性に会いに来るとは……困ったものだ」とか、呆れているようにも思えてきます。
「蓬生(よもぎう)」の巻での2人の再会は、光源氏が大人へと成長したことと、末摘花(すえつむはな)の変わらぬ純粋さを描いたシーンなんですね。
《源氏物語図屏風》の、右隻「明石(あかし)」と左隻「蓬生(よもぎう)」を合わせて見てみると、この左右が対象的なシーンだということも分かります。
また明石の君を“明”とするならば、末摘花(すえつむはな)は“暗”と言ってもいいでしょう。でも“明”の明石の君はもちろんですが、“暗”の末摘花(すえつむはな)も、「蓬生(よもぎう)」以降はなんとなくの幸せのうちに過ごしているんですよね。その点、光源氏は偉いなぁと思います。
また、そう考えてみると「具体的にコレ!」とも言えませんが、なにか教訓めいたものを語ろうとしているようにも思えます。
今回の《源氏物語図屏風》は、昔の親が、嫁入りする娘に「明石の君なのか末摘花(すえつむはな)のような妻になりなさい」という風に贈った屏風……なのかもしれませんね。←全くの想像ですけれどね。
ということで、今回のnoteは以上です。次回は同じ「屏風と襖絵」の部屋に展示されている別バージョンの《源氏物語図屏風》をnoteしたいと思います。