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外国人観光客も足を留めた、亜欧堂田善の銅版画

東京国立博物館トーハク2階の「書画の部屋」のラインナップが変わりました。

過去2回のnoteで、円山応挙まるやまおうきょ岩瀬鴎所おうしょの作品を紹介しましたが、今回は亜欧堂あおうどう田善でんぜんの『金龍山図』です。

『金龍山図』亜欧堂あおうどう田善でんぜん・江戸時代・19c

金龍山きんりゅうざんと言えば、浅草好きであれば誰でが知る金龍山の浅草寺のことです。絵を見た時に、わたしもすぐに分かりましたし、同じタイミングで作品の前を通った外国人も、「oh……」というような顔をして、スマートフォンのカメラで作品を入念に撮っていました(後ろにある円山応挙の作品はスルーだったのにも関わらずです)。

Mount Kinryu By Aodo Denzen
This engraving depicts one of Edo's best-known places: Sensōji Temple in Asakusa. Denzen uses both Western- style linear perspective and shading techniques.

解説パネル(英字)

銅版画の作品ということで、線遠近法と陰影法を使った、西洋人が描いたような作品です。絵の左から山門(仁王門)があり、中央奥に薄っすらと本堂(観音堂)、右側奥に今はない五重塔が描かれています(現在、五重塔は反対側に建てられています)。

『金龍山図(部分)』亜欧堂あおうどう田善でんぜん・江戸時代・19c

そして五重塔に少し重なるように描かれた仏像は、高瀬善兵衛さんが建てた観音菩薩と勢至菩薩のいずれかでしょう。片方しか描いていないのは、2つ描くのが面倒だったのか、2つ描くのは構図的に難しかったからでしょうか。

『金龍山図(部分)』亜欧堂あおうどう田善でんぜん・江戸時代・19c

さて、この亜欧堂あおうどう田善でんぜんさんですが、どこかで聞いたことがあるな……なんて思ったんです。いま思い出したのですが、松平定信の家臣というか、おそらく友達関係にあった谷文晁たにぶんちょうさんのことを調べた時に、名前をチラッと聞いた絵師でした。

上記のnoteを見ると(すっかり忘れていましたが)、下記のように記してあります。

Wikipediaの松平定信のページには、「洋学への強い関心」という項目があります。自らオランダ語を学ぼうとしたことや、元オランダ通詞や蘭方医などを召し抱え、洋書の翻訳や蘭仏辞典を訳させたりもしている。また「洋画収集を趣味として持っており、亜欧堂田善に洋式銅版画の技術を学ばせている」ともある。なお、この亜欧堂田善は、谷文晁を師と仰いでいたとする資料も見かけました。もしかすると、谷文晁が松平定信に推薦したのかもしれません。

note『南画の大家・谷文晁が描いた、伊豆・相模の偵察図』

この時に松平定信が、洋式銅版画を学ばせた時の作品が、今現在、トーハクに展示されている『金龍山図』と『西洋公園図』だという可能性が高いですね。

いずれも橋本伝右衛門さんという方から寄贈されたものだそうです。この方の詳細は、解説パネルには記されていませんが、ネットで調べてみると、現在の福島県須賀川(中町)の豪商だったようです。須賀川と言えば、松平定信の白河藩の版図(領地)だったこともあるため、その縁で、亜欧堂あおうどう田善でんぜんさんの作品を持っていたのかもしれません。

以下は浅草に関連するnoteです。お時間あれば、読んでみてください。


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