外国人観光客も足を留めた、亜欧堂田善の銅版画
東京国立博物館2階の「書画の部屋」のラインナップが変わりました。
過去2回のnoteで、円山応挙や岩瀬鴎所の作品を紹介しましたが、今回は亜欧堂田善の『金龍山図』です。
金龍山と言えば、浅草好きであれば誰でが知る金龍山の浅草寺のことです。絵を見た時に、わたしもすぐに分かりましたし、同じタイミングで作品の前を通った外国人も、「oh……」というような顔をして、スマートフォンのカメラで作品を入念に撮っていました(後ろにある円山応挙の作品はスルーだったのにも関わらずです)。
銅版画の作品ということで、線遠近法と陰影法を使った、西洋人が描いたような作品です。絵の左から山門(仁王門)があり、中央奥に薄っすらと本堂(観音堂)、右側奥に今はない五重塔が描かれています(現在、五重塔は反対側に建てられています)。
そして五重塔に少し重なるように描かれた仏像は、高瀬善兵衛さんが建てた観音菩薩と勢至菩薩のいずれかでしょう。片方しか描いていないのは、2つ描くのが面倒だったのか、2つ描くのは構図的に難しかったからでしょうか。
さて、この亜欧堂田善さんですが、どこかで聞いたことがあるな……なんて思ったんです。いま思い出したのですが、松平定信の家臣というか、おそらく友達関係にあった谷文晁さんのことを調べた時に、名前をチラッと聞いた絵師でした。
上記のnoteを見ると(すっかり忘れていましたが)、下記のように記してあります。
この時に松平定信が、洋式銅版画を学ばせた時の作品が、今現在、トーハクに展示されている『金龍山図』と『西洋公園図』だという可能性が高いですね。
いずれも橋本伝右衛門さんという方から寄贈されたものだそうです。この方の詳細は、解説パネルには記されていませんが、ネットで調べてみると、現在の福島県須賀川(中町)の豪商だったようです。須賀川と言えば、松平定信の白河藩の版図(領地)だったこともあるため、その縁で、亜欧堂田善さんの作品を持っていたのかもしれません。
以下は浅草に関連するnoteです。お時間あれば、読んでみてください。